丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

南へ向かう

yonkichi, · カテゴリー:

日本縦断の旅は1986年。決行は夏休みに入ったその日だった。しかし、台風が通過し、いきなり出航が2日も遅れてしまった。あらためて有明埠頭に向かうが、北海道航路とはまったく違う、手前右側に接岸している白と青に塗られたA-LINEと書かれている船が乗る船だった。
これまでのフェリーとは違って、この大島運輸はフェリーとは名ばかりで殆ど貨物扱いとなる。乗り手がそのまま乗って乗船する事はできず、作業着にドカヘルで地下足袋の港湾のおじさんが運転して乗せる。買ったばかりのSRX-4だったので、その固定方法が非常に心配で仕方がなかった記憶が残っている。私がエンジンをかけて、少しふかし気味にクラッチミートをして、大きな口をあけた船倉へのタラップの先に消えていった。
船のサイズにしては小さい船室は、当時は正直な所2等しか知らなかった。個室なんていうのはとんでもなく高く、また二等寝台のようなソロパッカー向けの等級もなかった。区切りのない2等船室。ザコ寝だ。ここで48時間を過ごす事になる。正直そんなに不安や退屈が待っているような気分ではなく、これから向かう沖縄から始まる、長い日本縦断の旅への不安と期待といったものが大きくて、落ち着かなかった。
この旅の為に買った分厚い日本道路地図。表紙を破り、ピレリのステッカーを張った。その地図を開き、まず向かう沖縄から、その後九州というあたりまで船の中でじっくりとルートを考えた。カップラーメンやバターロールなどを買い込み、この長い航路を過ごす準備万全で望んだ。
とはいえ、殆ど寝て過ごしたようなものだった。風呂の時間には風呂に入り、甲板に出て夕陽を見ながらビールを飲んだ。中継港の志布志を超えたあたりから、船首があげるしぶきの中に、トビウオが飛んで逃げていくのを眺めていた。奄美大島の名護を出てからイルカをみかけた。与論の港についた時に、学校の友人がこの夏住み込みでアルバイトをしているはずなので、港で友人を探した。彼は女の子に囲まれて、メガホンを持って呼び込みをしていた。そしていよいよ那覇新港へ。
台風の余波で波が高かったらしく、50時間以上かかり那覇に到着。本来なら夕方に到着し、宿を探そうと思っていたのだが、すっかり暗くなっていた。とりあえず何か食事をと、適当にバイクを走らせ、ぽつんと1件だけ明かりがついていた小料理屋をみつけて入った。当時まったく無知な私は、琉球料理というものがわからず、おかみさんに適当に頼んだ所出てきたのがてびちとラフテーとジューシーだった。
オリオンビールや泡盛を飲み、調子に乗っていろいろなものを食べたが、船旅の疲れもあって気持ちわるくなってしまった。寝る場所を探しに一旦港に戻るが、もう動けなくなり銀マットを敷いて屋根もない埠頭の片隅で転がって寝た。辛い日本縦断のスタート初夜だった。
寝ころんだ視線の先には、乗ってきた波之上丸が接岸され、小さい照明をつけて佇んでいた。明日から始まる長い旅。そのスタート地点のここまでは、この船が運んでくれた。今はこの船はなくなり、フェリーなみのうえ、というのが後継で就航しているようだ。東京から沖縄の航路は、フェリーありあけが就航している。
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