丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

思い出の林道が閉鎖

yonkichi, · カテゴリー:

丹沢は私が「トレールバイク」というものに興味を持ってから、真っ先に行き先としてあげられたエリアでもある。山奥や谷間を走る林道、それも未舗装の道にワクワクしながら、そこへ分け入る事がバイクライフと共に重要なテーマになっていった。
それは高校1年の夏の終わり。私は16歳になるのを待って、原付の免許を取ったのではない。実は16になるまで、まったくバイクに興味がなかったのだ。どちらかというと車、それもF1が好きで、中学時代から5つ離れた兄が読んでいたAUTOSPORTSを眺めていた。
しかしバイクのレースとなると、当時はゲルコートの白いカウルにゼッケンという、皆同じ車体に見え、いわゆるオートレースのようなイメージでしか見たことがなかった。しかし、ある日、クラスメートがホンダの新型原付、MB-5のカタログを学校に持ってきてから、私の人生は大きく変わった。
「カッコいいじゃないか」
素直な気持ちだった。
そして友人がちょっとだけ乗った中古のYAMAHA MR50を譲り受けてから、私はこのバイクはなぜこんな格好をしているのだろうと考え、それがトレールというジャンルに属するバイクだという事を知ったのだった。
そのMR50で初めて走ったのは、房総半島の嶺岡連絡林道と三島湖周辺の林道だった。これがとても楽しいという事が気がついた。しかし私は転倒を繰り返し、センスのかけらもないのかと悩んでもいた。
そして次に目指したのはR246を経てヤビツ峠を越え、犬越道林道で再びR246に戻ってくるというコース。正直ハードだった。しかし丹沢には多くの林道がある事をこの時知った。
そしてその後、XL250RcやKDX200SR、KLX650で何度となくキャンプで入り込んだのが、一昔前に大雨で中州に家族連れのキャンパーが取り残され、多くの死亡者が出た玄倉川に沿った玄倉林道だった。
中州でなぜキャンプしてはならないのか。そんな事は高校1年の私にだってわかったのに、あの事件で通行止めになった私の大事な玄倉林道は、その後行けなくなってしまった。
存在を思い出す事もなくなった頃、途中にある青崩隧道が完全に通行止めになるというニュースを目にして、むしょうに懐かしくなってしまった。
補強限界、歴史に幕/山北の青崩隧道
ここでキャンプや焚火をし、トレッキングをしたあの日を思い出す。行き止まりにあるユーシンロッジの雰囲気が目に浮かぶ。当時から地盤が弱いのを知っていたが、素掘りのトンネルのワクワク感といったらない。
都心からこんなに近い所で天の川や人工衛星が見られた貴重な場所だが、これも時代だろうか。
写真はその河原でテントを張って迎えた朝の私。
写真は20代の頃の私と、玄倉林道沿いでの野営姿。今はもうこういう事ができなくなってしまった。
20080727.jpg

2 Responses to “思い出の林道が閉鎖”

  1. 和琴のおっと より:

    林道が走れなくなるのは残念ですね、また林道が舗装されて我々トレールな者としては道自体の魅力が半減というのもよくありますが、舗装化されて生活道路として地元に有意義に使われているのならまだしも、何のため?予算消化?と思われる舗装化も多いのが残念
     白銀林道はじめ事故の多発で通れなくなるのは自業自得の感もありますが、また別の意味で残念です。
    丹沢の林道って結構走ってない路線が多いんだよなぁ

  2. よんきち より:

    おっとさん
    白銀も走りましたねー。ゴルフ場がいたる所にあって興ざめでしたけど、林道を走っていると今でもワクワク感があります。
    丹沢なんかおっとさんは全て走りきっていると思ってました。普段は私は行き止まりの林道は入らないんですが、玄倉林道はちょっと別格でした。
    おっとさんと一緒に走った林道もそれなりにあったよね。懐かしい。もうそれも12年以上前の話って訳だからね。
    また北海道の林道でも走りたいもんですね。(^-^)

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