気配りをしよう
yonkichi, · カテゴリー: あれこれ実家の事や兄の仕事の事など、外部要因によるストレスがとても大きい。何故自分の事は自分でできないのだろうか。自分が廻りに迷惑をかけないように配慮できず、安易に廻りに甘えられるのだろうか。
確かな事だが我が家は裕福ではない。犬関係では裕福な環境におられる方も多いが、それを羨ましがってもそれ以上期待する事なんかしない。自分の事は自分でするのが当然だと思っているからだ。
私は第三者に迷惑をかけるのが嫌いだ。それこそちょっとした事だって気になる。例えば車を停める時だって、迷惑のかからないように停める。曲がらなければならない所で曲がりそこねた場合、行き過ぎて左折を3回すればいいだけなのに、中央分離帯に乗り上げて右折して、後ろに大渋滞を作っているような運転手を見るだけでイラっとする。まあ、そこで前後に車がおらず、迷惑がかからないというのであれば別だが、それがどれだけ廻りを危険な目にあわせている事か、考えても判らないような人間は大嫌いだ。
この世の中、廻りに甘えすぎている連中が多いと感じる。皆がちょっと廻りに気配りをするだけで、ずるをしないでマナーを守る事をするだけで、どれだけ安全安心に過ごせる事だろうかと思う。何人かが廻りがどう感じようと自己中な行動をする事によって、同じような行動をするのが増え、相乗効果と集団心理でどんどんモラルが崩れていく。
赤の他人にもそうだが、血縁の間柄だってそうだ。別に変わる事はない。血縁だからといって特別扱いする事は、結局間柄に溝を作るきっかけになってしまう。ましてやお金の無駄使いや会社の経営にかかわる事は、家族全員を不幸にする。
赤の他人と親族は違うにしても、程度問題という事と相手を配慮するという気持ちや行動がなければ、人の関係というのはスムーズにいかないものだと私は思う。少なくとも私は今の仕事に着く前の大学時代にそれを考え、財産や今の収入をアテにせず、自分の生活は自分で賄おうと思った。中学時代から自分の遊ぶお金はバイトで賄おうと思った事からもその時から私は考えていたのだと思う。
ただ、受験費用や学費などは、親に面倒を見て貰っているのは確かだが、その分母親が体調が悪いと言っていた私が中学から社会人数年目位までは、私が食事や洗濯などを行ってきた。母親だから当然だと思ってはいたが、兄は30年以上一切かかわらなかった。
そのうち私は仕事で酷く体を壊し、30になる前からコントロールが大変になってしまった。自分の限界が見えてきたのもその頃だ。あとは細々と由との生活の中で、自分たちが今と老後を考えながら生活基盤を固めていこうという事を実践していた。
しかし巷は自己中がとにかく目立つ。目立つというよりは、正直に増えていると言いたい程だ。
みんな、自分に厳しくなって、もっと廻りを想い敬おうよ。それだけでみんなが幸せになれるのだから。
写真は契約している我が家の駐車場に勝手に野良猫へ餌をまかれた時のもの。近所の迷惑おばさんは有名で、誰かもわかっていて、人の敷地だろうが何だろうが勝手に入ってまいていく問題児だ。行為の本質も含めて、このような人に迷惑をかけても平気な人種が少なくない。

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