丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

道東の丘の行方

yonkichi, · カテゴリー:

今年、ハイジーの家の閉店に参加した友人からのコメントで知ったのだが、今年で20周年を迎えたハイジーの家は来年で終了するかもしれないという話があったらしい。
それがまだ人からの効き伝てなので、性格な理由は分からないが、ハイジーの家が駐車場のテナントの契約満了時期と同時に、現在の展望台ができる年が重なり、色々な話があったようだった。事実その話を少しばかり調べたくて、町の某所に話を聴きにいった事がある。94年の秋だった。
結局の所、色々な私利私欲や地元の力関係があって、話が二転三転して、最終的には新展望台にテナントとして入る事にはなったといえ、圧力や制限は相当あったように感じる。感じる、というのは私がそう感じたからだ。直接ハイジーの家の関係者に聴いた事はない。
観光地を管理するのはその地元の自治体、役場などだろう。私有地であった場合はまた別なのだろうが、そういう場所にあり、少なくとも中標津という町で道外の人間に対して知名度のあるものとすれば、酪農と開陽台だけだろう。それは、胸を張って地元のよさを自慢できるものである事が、結局の所どうでもいいという事だ。
採算なんていう話は、シンボルとなるランドマークに必要なものではない。大切にして、町民が胸を張って自慢できるものは、損得なしにすばらしいものなのだが、なんでそれをないがしろにして平気なのだか、私にはさっぱりわからない。結局金が全てという事なのだろうか。そういう解釈になってもおかしくない事が、あまりにも多すぎる。そして都合のよい時だけ、名前を出す事になる。
ハイジーの家は単なる民間の飲食店だ。しかしピーク時以外はテナント料が存在する場所では、営業は難しい。しかしそれを20年続けてきた事は、何なのか。採算だけではないのが容易にわかるだろう。そう、役所ではない。一般企業であり、続けていくには黒字にならなければ生き残れないのだから、問題は深刻だ。
でもこうして20年、続いてきた。観光バスがやってくると、ほんの20分前後で突発的にピークがやってくる。それに対応したとしても、重ねてピークがやってくる時もあれば、こない時もある、スタッフはてんてこ舞いになるのだが、その波は時には津波のようになったり、時には鏡のように静かな水面を見せる。
ただ、私たちはその場所が好きという事以外、損得の勘定はない。その分、町にとってもハイジーの家にとっても、不要な存在だとも言える。しかしバイパスを走りつなぎ、町にお金を落とさないツアー客よりも、町に少なからず経済効果を与えているのだろうと思う。雀の涙なのかもしれないが、別にそれは私などは逆に、お邪魔させて頂いている立場だと思っている。
結局の所、営利とはまったく別な所で、素直に中標津や開陽台を大切に思っていても、発言権はないという事は分かっている。これ以上批判や希望は言うつもりもないし、言っても迷惑がかかるだけなのだろう。行政に対しては、これまでも希望というスタンスで意見をした事もあったが、残念ながらそういう事で何か変わる事はなかった。
私が大切に思っている場所、人たちには、もうこれ以上無理をしてほしくない。だからこそ、来年でハイジーの家が終わるとしても、それは賛成だ。心からお疲れさまという言葉を贈りたい。そして開陽台には、これまでのようにあの場所にあがり、空を見上げる回数は極端に減るだろう。二度と登らないという事はないだろうが、それこそ残りの人生で片手分も登らないかもしれないと思う。
ただ、あの丘で私が過ごした日々の事は、決して記憶からも消える事はないだろう。
写真は94年の秋、目障りな建造物を神聖な丘の上に建てている最中。
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