旅を残すという事
yonkichi, · カテゴリー: 旅開陽台が翌年大きく変わってしまうという事を知った1994年の夏。私はビデオカメラを新しく買い、会社を2週間休んで夏の旅を記録した。そう、私はノンフィクションが好きだ。SFも嫌いじゃないのだが、ノンフィクションがドラマチックではなくても好きなのだ。
ドキュメンタリーという題材で、いつかひとつの物語を文章にしたいと思っていた。文才がない私にとってはそれは無理な話。映像ではそれに似たことができるのではないかというのは、先日書いたブログの中の通り、一人の旅人と知り合ってから、一段を熱を帯びてきた。
ビデオはそれまでもそれなりに使ってきた。ただ編集という事がどうやっていいのかわからず、繋がった動画を一度見るだけばかり。そう、二度目をみたいと思えるようなものではなかったのだ。
それが編集という事を知ってから、何度も何度も飽きずに見るようになった。それが見る毎に思い出せるシーンが増えていくので、やめられない。そういえばあの店にはあれが売っていたなとか、あのあたりにルルが出るんだとか、この時火傷して大変だったんだよなとか、それまですっかり忘れていた事が鮮明に頭に浮かんでくる快感は、なかなかやめられない。時には涙さえ出るほどなのだ。
96年には変わってしまった開陽台を、9日間の旅の中で記録し続けた。ひとたび二度と訪れる事はないとまで思った場所に戻ってきたのは、そのビデオ映像の中に理由がしっかりと残っていた。ひとつの建物があるだけで、写っている旅人は何ひとつ変わらなかったのだ。そして彼らの笑顔も偽りではなかった。
時代は流れ、人も入れ代わる。そんな中で私たちがどういう風に過ごしてきたか、ひとつの歴史を刻んできたのかという事は、大した事ではない。事実は私や友人の旅人がそこに居たという事。誰に報告するまでもない、自分の中だけの、自分だけの思いだ。その映像を残すという事は、まさに自分の為。誰にみせるものでもなくてよい。
しかしそのひとつの歴史を、自己満足でよい、何かしら形にしてみたかった。それが映像であり、写真であり、文章だった。それをもしも興味を持ってくれる人が居れば、これほど嬉しい事はない。
そんな自己満足のビデオの中の映像を切り取ってみた。虹別林道をアクセルワイドオープンで駆け抜けるシーンをビデオで撮影したもの。Hi8から2度のダビングを経てmpeg化。それをキャプチャ化したので荒れが目立つ。

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