丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

北海道を旅する事その6

yonkichi, · カテゴリー:

フェリーに乗る事がちょっとした夢だった。子供の頃は、船でどこかに行くという事は、せいぜい公園の池でボートを借りて、1時間程度漕いだあと同じ桟橋に戻ってきたり、船で釣りに行って同じ港に帰ってくる事だったのだが、対岸に渡る為にあるフェリーという乗り物に乗る事が憧れでもあった。
それは自分が行けないような遠くに連れて行ってくれるような乗り物だったからだ。海という自力ではどうにもならない場所を渡してくれるもの。とても力強く、それも自分が乗っていた乗り物も一緒に運んでくれるという事で、旅心をかきたてられた。
最初に乗ったのは東京湾フェリー。川崎から木更津まで70分で結ぶフェリーだ。これに私は原付免許を取って2カ月たった頃、MR50と共に乗り、房総半島へ渡った。船に乗り入れる時と降りる時の不安定なアプローチを通り抜けるだけで、何だかとても緊張した事を思い出す。
そして長距離フェリーとなると、いやがおうにも旅心は盛り上がる。20時間とか30時間の船旅は、私にとってとても短い時間だった。暇だとかやる事がないとか言う人も多いが、私は自分の愛車と共に、目的となる北海道に向けて大海原の上をゆっくりと進む船の上は、この上なく贅沢で、気分がよい時間だった。
フェリーは主に、コンテナやトラックなどが物資の輸送にコストを抑えつつ、自走するよりも早く確実に送り届ける事ができる事から、輸送業者がメインの顧客だ。そんな中で、旅行が目的で乗る人用に、船室や乗用車が格納できる場所を少し確保してある事が多い。
丁度20年位前からバブルが絶頂の頃までは、船会社も豪華な付加価値を船体に求め、採算度外視で豪華フェリーを造船した時代だった。それは今では旅客スペースが全てなくなり、RORO船となって荷物を運ぶだけのフェリーになってしまった航路も少なくない。不思議と日本海航路はまだまだ旅客向けフェリー業界が活発で、新造船の投入も活発になっている。太平洋路線はどんどん縮小する一方なのは、東京に住む私としてはこれほど寂しい事はない。
私が一番利用した近海郵船フェリーは、まりもとさろまから始まり、ブルーゼファーとサブリナの時代だった。前者はしばらく東京釧路間から別の航路を運行していたようだが、後者は韓国と中国の国際航路を今も運行していると聞く。愛用した風呂や、プロムナードギャラリー、体を焼いたデッキは今どうなっているのだろうかと思う。
往路では、30時間強の航行を終え、釧路西港に接岸したあと、霧がけむる釧路の町に走り出すワクワク感があり、復路では旅の終わりと船で食べる海産物を一杯積んで、急な乗船アプローチを登る時の不思議な満足感が、私にとってのフェリーの醍醐味だった。
沖縄行きで48時間以上かけた波之上丸よりも、父島まですし詰めになって渡ったおがさわら丸よりも私にとってのフェリーは北海道航路が一番だ。
島国日本。もっと船旅を楽しむべきだと思う。恵まれた環境に居る事に、実はあまり日本人は気がついていない。
写真は1989年の夏、まだ近海郵船フェリーがまりもとさろまの時代。釧路到着した友人を迎えに西港に立ち寄り、GPz900Rを私が船から降ろしたのだった。このあと、霧多布岬で泊。
20060715.jpg

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください