丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

湖畔の住人

yonkichi, · カテゴリー:

昨日の日記で、富士山から富士山の麓で毎年やっているキャンプという話になり、和琴という場所話になってしまった。すると、和琴のおっと、という人からコメントがついてしまい、まさに和琴の事を書け、と言われているような流れなので、和琴の事を書いてみたりする。
和琴は観光地だ。まあ開陽台も観光地なのだが、いわゆる来るものは拒まず、という感じで和琴はとても寛大な気持ちで出迎えてくれる。しかし、開陽台はそうではない。特に自転車なんかで訪れた場
合、来た時と同じ位、辛い行程をかけて他の地へ移動しなければならない。それだけでなく、半数以上の旅人は、あの冷たく寒い霧と厚い雲に覆われた絶景でない開陽台に失望し、そそくさと丘をおりていく事になる。訪れるものに優しくない観光地なのだ。
和琴は最初の北海道ツーリングの年、1985年に訪れた。しかし観光バスと観光客に阻まれ、1枚写真を撮っただけで立ち去ってしまう。ここで1泊でもしていたら、また違う人生だったのかもしれない。しかし、私は和琴ではなく開陽台に向かった。
それは遠回りだったかもしれない。私がこのまま和琴に居れば出会ったであろう連中と、私は10年後の天竜川の河口でようやく出会う事になるからだ。この10年は、和琴と開陽台にはそれぞれの時間が流れ、それぞれに旅人のストーリーが綴られ、年をとっていったという事だ。時間を越え、時代を越えて繋がるという、壮大な物語とも言えるのではないか。
和琴ではこの10年間、どんな事があったのだろうかと思う事もあった。私の開陽台での10年は、確固たる目的地としての存在になり、この場所が多くの人生を交差させてくれたのだが、和琴でも多くの同じような出会いと別れがあっただろう。機は熟し1994年秋、私にとって記念すべき出会いというか、私が和琴の中に加わらせて貰ったキャンプがその天竜川だった。
実はその2年位前から、やはり和琴と交流のあった私の親しい開陽台の友人が、この集まりに私にも声をかけてくれていた。しかし時期的に私が会社で主催していたキャンプツーリングがあったり、体調を崩したりして、丁度10年目という節目の年になるまで、参加の調整ができなかったという事もあった。
その後は和琴にも立ち寄り、テントを張る事が増えた。確かにとても快適で、朝4時頃から騒ぐカラスがいなければ、カレンダーをなくしてあっという間に季節が変わっていってしまうだろうと思われる程の場所だった。そう、パラダイスと言うにふさわしい、平和で快適な場所、それが和琴だった。
今では和琴の人々もいろいろと生活が忙しくなり、和琴に訪れる事はとても少なくなったと思われる。開陽台にしてもそうなのだが、世代交代は進んでいる。しかし最近の常連さんが、こうして人生の半分近くを友人として付き合い、普段の生活の中でよりも、心許せる友人として付き合っていける友人をもてているのだろうか。私は何よりの財産だと思っている。
和琴と開陽台。道東エリアでは老舗とも言える、ツーリスト定番の地なのかもしれないが、1985年から2000年にかけて、私もひとつの時代を感じられた事を誇りに思う。年をとって、ヨボヨボになっても、カブみたいなバイクでふらふらと集まり、テントを張って酒を飲み、歌を歌い、焚き火を囲みたいものだ。
その和琴パラダイス、湖畔でのお茶の時間は、このように時間という観念が写真の上ですらない。
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15 Responses to “湖畔の住人”

  1. せんせい より:

    和琴には一泊だけしたことがあります。初めて開陽台を訪れる前の日にテントを張りました。まだ陽も高く、緑に囲まれた中でテントを張り終え一服していると、一目で女の子とわかるバイク乗りがよろよろと入ってきて、私の目の前でパタリと立ちゴケしてしまいました。すると四方八方から「クモの子を散らす」の反対のようにワラワラと男どもが10人ほど駆け寄ってきてバイクを起こしてあげたり、怪我はないかとみんなで世話をしてあげてました。わたしゃ、思わず大笑いをしてしまったよ。
    和琴のおっとさんから開陽台住人マゾ説がでましたが、台風や強い低気圧が来るとワクワクします。風雨がたたきつける中、ドキドキしながら夜を明かすのがなんか好きです。そんな夜を何十回すごしたことか、夕方40張りほどあったテントが翌朝私のテントを含めて4張りしか残らず、後はつぶれたり避難して無くなったときは台風一過のその朝のようにさわやかな笑いが出ました。
    ある夜ふと目を覚ますとテントの中が白く霞んでいたことがありました。開陽台お決まりの濃霧かと外を見ると暴風雨は吹き荒れていましたが霧は出ていませんでした。不定期に殴りつけるような風が吹いたとき、濡れたフライとテントのインナーがくっつき、それらの繊維の目を通して雨が霧となって入り込んできていたようです。なかなかオツで趣のある情景でした。
    新しい展望台ができてからは、ハイジの中でお茶を飲みながら強風の中でテントを張ろうとする初心者らしきキャンパーを見るのが楽しみです。テントを張るのに一時間以上かかったり、立てる途中でポールが折れたり、テントが破れたり、はたまた建てたとたん吹き飛ばされて斜面をころころ転がってゆくテントをいくつ見たか、その度にハイジの中で大笑いです。
    開陽台はとても楽しいところです。

  2. よんきち より:

    せんせいも確かかしわ園かどこかに長かったんだよね。んで開陽台の人になってしまったと。せんせいが丘に流れて来なければ知り合う事もなかったけど、まあこうして知り合って今でも無意味な話で笑えるという仲になるのは、自然のなりゆきだったんだろうね。
    コケた女の子に集まる烏合の衆…今でもそれはあるみたいですね。由がウトロの中心の右折時、コケたらあれよあれよという間にバイクが起き上がり、路肩に寄せられ、大丈夫?と四方から声をかけられたそうです。私はよほど周りに誰もいなくて、悲惨そうなコケかたした人をみかけない限りは、わざわざ停めて駆け寄るなんて事はしないと思いますが…。
    今でも特定の宿とかで、ソロ泊の女性ツーリストにちょっかいかけたり、後を追いかけたりするような男は山ほどいるみたいですよね。なんか、幸せの黄色いハンカチの冒頭、網走駅前で桃井かおりをナンパした武田鉄也がモロその雰囲気出ていて、笑えました。
    開陽台のキャンパーがマゾというのよりも、何かあの風にワクワクするんですよね。そういうシュチュエイションが好きなら、山ノボラーになればいいんでしょうけど、そのあたりはバイク乗りという事もあるし、装備的に足があるのとないのでは余裕度が違うので、適当なレベルで軟弱なのは変わらないでしょう。
    私も実際ターゲットになりましたが、あまりに暇だと開陽台の側道を降りる、ちょっとヤバそうなキャンパーをみつけると、しゃがみ込んでその行く末を眺めていましたね。あの道をそれこそ数えきれない程昇り降りしましたが、人に助けられたのは1度だけです。それも塾長だし…(^_^;お恥ずかしい。展望台内のハイジからだと、確かにサイトを窓際から眺める事ができるんですが、いつもカウンターだからあんまりみてないかも。
    飛ばされたりポールが折れたりするテントは、大抵ゴッパーテントとかキュッパーテントなんだろうけど、我々の友人のテントでのアクシデントといえば、あまりに張りっぱなしなので紫外線でリップストップナイロンのフライが裂けたとか、苛めた事をしっかりキツネが覚えていて、何度も1つのテントだけかじられたりするケースはいかんともし難いトラブルです。メッシュ窓がついていて、フライがかかっているのに、霧がフライの下からテント本体をのぼり、窓からテント内に入り降り注ぐとかも、開陽台ならではかも。
    ある夏ルル(キツネ)が横行している時、一見さんが無防備な食料の管理方法をしていて、夜至る所で悲鳴があがって面白かったなぁ。(^_^;

  3. 開陽台最初の夜、バターを盗まれたのは私です、フライの内側に置いておいたのをやられましたもちろんキツネに(ToT)
    自分も高校時代からキャンプには親しんでいたので、最初の北海道も秀山荘の登山用テントでしたから、親綱さえしっかり結んでいれば、かなりの風にもビクともしないテントで、3980のテントとかがベコベコになっているのを見て、笑っている立場でした(^^;
    その後は、V300とかモンベルキーマテントだし、一夜の家だけはしっかりとしていて、疲れを翌日に残さない様に気を遣っていました。
    内地の一泊ツーリングの時などは、ダンロップのツーリングテント(ムーンライト1型みたいな奴)を使って荷物を減らしてましたが、連泊すると疲れてきますね、でも1988年はそれで40泊したんだよなぁ(^^; 若かったね。
    1987年から和琴に絡んで生きてきましたが、色々な人と出会い別れてきましたが、かなり忘却の彼方になりはじめてきています(^^; 覚えているウチに覚え書きにでもしておかないと駄目そうです。

  4. よんきち より:

    開陽台はカラスが風が強くてカラスがいないから、キツネが幅をきかせていると思っています。カラスがいる和琴にはキツネはあまり来ないでしょう。逆にキツネがでないと、ネズミが開陽台には出ます。ネズミが出るとちょっとやばい。悪いウィルスを沢山持っているのがネズミですから。何度か、ルル(キツネ)が出ない年、ネズミが繁殖して困りました。長期滞在中の友人の食料庫からネズミが飛び出してきた時はびびりました。
    ルルはとにかく素早く、10秒目を離せば食料がなくなりました。食料庫としてのダンボールを使っている私たちはまあ大丈夫なんですが、結構いろんな所でやられていましたね。私たちは無駄に無駄な経験積んでないから…
    テントは中学時代には持っておらず、高校に入ってバイクに乗るようになってから購入しました。当時いろいろな情報を自分なりに読んで欲しいと思ったのは、ユーレイカの三角テント。そう、ほぼ同じ構造をしたのが、モンベルからムーンライト3として発売されたので、即座に買いました。日本のように高温多湿の気候の中で、雨に強いテントというのは、間違っていませんでした。初期型だったので、出入り口も1つしかなかったけど、10年位グランドシートの防水性も落ちませんでした。
    そう、結構昔の事を思い出せなくなっています。写真もそんなにないし、こういう形だけでなく、コンテンツとして残していきたいと私も思ってこんな駄文を毎日書いている、という訳です。(^_^;

  5. せんせい より:

    いや、かしわ園は富良野に行ったときは必ず泊まっていたけどそれは開陽台にはまったあと、ワシは開陽台オンリー(礼文島もだけどあっちは宿、でも桃岩ではない)です。
    でも、開陽台では柵の向こう側(かめハウス側、わしが初めて開陽台に行ったのは1989年―それ以前にも北海道には行っていたけどね―にはすでに柵ができていた)の人たちとは交流がなくて(だって、異様に怪しい連中だったから柵の向こうとこっちは別世界に思っていた。どちらにも長期連泊者はいたが雰囲気が違ってたよねケーブルまき?テーブルに肘掛け椅子使いたち)柵のこっち側の一般ツーリストの中で連泊を重ねていたのだよ。(せんせいと言うキャンパーネームもその時意味もなくつけられたのだが)
    よんきちはモンキーを知っているかな?1989年に柵のこっち側のワシらグループに入ってきて仲間になり、その後も毎年北海道=開陽台に行っていたのだが会うこともなく、93年の秋に開陽台に行った時ハイジの中で再会し、その時モンキーは兄ちゃんたちの仲間になっていて、そこで初めてワシも兄ちゃんと知り合ったのだよ。だーまつとかもいたっけな。だからモンキーと再会していなかったら、兄ちゃんとも知り合いになっていなかっただろうし、現在まで「せんせい」と呼ばれ続けることもなかったはずだ。毎年行っていてハイジにも入り浸っていたけれど、柵の向こうの連中とは一線を画していたからね。
    ちなみに1989年の開陽台で引きずり込まれたグループの中に一人の女の子がいて、後にその女の子を中心にワシを含めた10人ほどの男どもが北海道を一緒に旅することこなった。そのグループが解散すると、別の女の子を中心とするグループがいつの間にか出来上がり(前グループとは全く別メンバーで)、それが解散するとまた別の女の子を中心としたグループができていた。ワシは2ヶ月で計3つの一人の女の子を中心としたグループに所属していたのだ。和琴で笑った男達そのものにワシはなっていたのだよ。人を笑(呪)わば、穴二つ、か?でも決してワシがそうしたのではなく、ワシの周りに人が集まってくると自然にそうゆう構成なってしまうのだ。
    ちなみにワシは高校の山岳部以来の山屋で一人でテントを担いで山に入り込んでいた。バイクもその頃からだけど、バイクキャンプツーリングは1989年の北海道ツーリングが初めてだった。それまでは全て宿泊まり。「俺はバイクで北海道を流浪うのだ!」と会社に辞表をカッコよくたたきつけたのは良かったのだが、貯金はなく、頼りの退職金もすずめの涙で、仕方なく、バイクに登山用品を積み込んで北海道に向かった次第です。
    側道<うん、うん、それも楽しみの一つだったね。特に道がえぐれ出してからは。キャンプツーリングライダーを捕まえては毎夜の宴会、そしてお見送りと称してみんなで柵の上に登り旅立ってゆく者を送り出すんだ。しかしその本心は、あの坂道でこける事期待していたのだよね。
    上からだと坂の途中からライダーの姿は見えなくなるんだけど、しばらくすると、ウィ~ンと異様にアクセルが回る音がする。するとみんな「あっ、やった!こけた!」と大笑い、大喜びで坂を駆け下って助けてあげるんだ。中にはGPZでカウルが割れてしまったやつもいて、状況が悲惨なほど、みんな多くの慰めや同情を口にするのだが、顔は笑いを抑えるのに必死という、酷くもいいやつ等ばかりだった。
    ワシも一回だけこけたが、誰にも知られないようにすばやく起こしたよ。でもタイヤが空を向いた逆さの状態だったので苦労しました。
    ルル。
    あぁ~久々にその名を聞いたよ。なんかうれしいね。散々悪さをされて、レイやヂミなんか殺してやる!なんて言ってたけど、ワシけっこう好きだったんだよ。何代目かのルルかは知らないけど、わしも昼日中にパンと卵と茄子(こんなの食うのか?)を盗られたんだけど、そんなそばからワシの前に現れ「おっちゃん、なんかおくれよぉ」とばかり見つめるんだ。そのときのルルは雨に濡れ、とてもやせっぽちだったので「しょうがねーねぇなぁ~」と許してやったのさ。
    ルルが現れなくなって、一時期ねずみが替わりにキャンプ場を荒らすようになったことがあった。夜中テントの隅でごそごそと音がするので目を覚ますとねずみがテントの中に入り込んでいた。テントのチャックを押し上げて入り込んだらしい。すったもんだの末捕まえてみたら、小さくてモコモコして、つぶらな瞳がとてもかわいく、へたしたらペットショップにでも置いておけば売れるのではというやつだった。とても殺せないので結局笹薮の中に逃がしてあげたが、いつかかわいい女の子になって恩返しに来ないかな。
    そういえば、米原でテントを開けたまま中で昼寝をしていたら、顔に何か乗っかっている感覚がしたんだ。目を開けると30センチくらいのトカゲがワシの顔をぺろぺろ舐めていたのだよ。捕まえたが結局そいつも逃がしてあげた。う~ん、キャンプは楽しいね。

  6. 富良野は日の出が多かったです。
    なんか、せんせいと状況が似てますね(^^;
    高校は地学部で鍾乳洞や、天体観測でキャンプをしていましたが、バイク乗り始めてからは宿ばかりで、北海道ツーリングで二輪とキャンプが合体してからというもの、こんな楽しい事があったのかぁ~ と入れ込んでました。
    開陽台の測道はずっとオフ車でしたが、緊張してました、なんせギャラリーが多いもんで(^^;もしかしたら、せんせいもそのなかに?
    和琴だと焚き火の横で朝までヂミちゃんが寝てても大丈夫だけど開陽台だとネズミに囓られるね>鼻を

  7. 富良野は日の出が多かったです。
    なんか、せんせいと状況が似てますね(^^;
    高校は地学部で鍾乳洞や、天体観測でキャンプをしていましたが、バイク乗り始めてからは宿ばかりで、北海道ツーリングで二輪とキャンプが合体してからというもの、こんな楽しい事があったのかぁ~ と入れ込んでました。
    開陽台の測道はずっとオフ車でしたが、緊張してました、なんせギャラリーが多いもんで(^^;もしかしたら、せんせいもそのなかに?
    和琴だと焚き火の横で朝までヂミちゃんが寝てても大丈夫だけど開陽台だとネズミに囓られるね>鼻を

  8. せんせい より:

    おっとさん、私も天体観測<趣味でした。
    中学高校のときは毎晩星を見ていました。ナカーマ
    初めて上った白馬岳の山頂付近で見た星空は最高でした。星座をすべて覚えていたはずなのに、星が多すぎてわからない!感じでした。
    2000年にアフリカに行ったときはやっと念願だったマゼラン星雲も見れました。
    でも、数え切れないくらい星空にカメラを向けましたが、まだ流星の写真が取れたことがないんだよね。

  9. よんきち より:

    レス遅れてすみません。土曜に仕事のフォローがあったのと、日曜はハイジのウェブ作成で夜中まで頑張っていました。今日は3時間睡眠で激ネムです…(@_@)
    【せんせい】
     開陽台の柵の向こう側かぁ。そういえばそんな事聞いた気がします。肘掛け椅子は流行ったんですよ。中標津中の折り畳み肘掛け椅子は全て丘の上にあがったという年からですね。チェアーズと呼ばれていました。今もその流れで、あのタイプの椅子が一番積載しやすいので愛用しています。一線で分けなくていいじゃん。(^_^;
     でも仕切ってもいなかったでしょ?(^_^;まあ歩きながら煙草を投げ捨てたり、夜中までドンチャン騒ぎやっているのとか、障害者及びスタッフ用の道を勝手にゲートあけてバイクで上まであがってきて荷卸しするような奴をみかけると、流石に注意しちゃいますけどね。これは仕切っている訳ではなくて一般常識なんだけど、そういう風に解釈して変な噂をたてるおばかさんも大勢居ましたよね。
     確かに柵を境に牧場よりにも大勢のキャンパーがいたのは知ってます。いろんな所に開陽台好きの人たちがここで再会するような話を聞きます。まあ一番奥にはあの方々がいらっしゃいましたしね。(^_^; 最近になって塾長と交流ができて、あの頃から親しくなっていればなぁとちょっと残念ですが、よかったと思っています。
     モンキー、知ってる知ってる。でも殆ど話はしなかった。兄ちゃんたちとよく会話していたので、その時ちらとかな。彼は一番奥の人じゃなかったっけ?
     1989年の開陽台ではまさに「よんきち」がD1から命名の年で、他に大ちゃんとも初めて会った年ですね。その時知り合った連中は私たちよりも若い、リッターバイク好きな連中でした。女性がいるとりまきグループは知りませんでした…その頃の女の子とはまだ続いているの?私は女の子と知り合う事なんてそうそうなかったですね。
     そうかぁ、せんせいは山ヤだったんだ。あと山ヤだったのはシェフですね。まめも山ヤ方向だった。ザック1つに荷物を詰めて、大雪を縦走したり、羅臼岳登ったりとかしてましたね。私はいろいろ体力に問題があって、本格的に山登りってした事ないんですよね。無理のない山から昇りたいと思っているんですが…。上高地の小梨平とかにテント張って、涸沢で泊まって、頂上まで昇りたいという気持ちがあります。そういえば、先生が勤めていた所が、今の我が家の一番使っているお店だったりするので、妙な気分です。(^_^;
     側道ネタは今晩でも書きましょうか。コケると腕に力入るから、リアタイヤが浮いた時に空転しちゃうんだよね。ビデオで撮った時もありました。ずーっと上から撮っていて、周りから「あっあっ」「やった」というという事が入ると同時に、山側にドテン。白煙があがるんですね。その直後、数名な走って降りていく。下では泥だらけになって洗礼を受けた若者が、ヘコみながら丘を去っていく…
     ルルは一番奥の人たちから聞いた呼び名だったかな。彼らのステッカーにも描かれているしね。(^_^; トラバサミしかけて、数年後武佐側のクマザサの中から白骨化したキツネがみつかったり、じみおが買ってきたばかりのコンビニ弁当を一瞬目を話した隙にやられたり、いじめた奴のテントの張り綱だけ、朝になったら全て切られていたりシートの上を足跡でドロドロにされていたり、頭のいい子でしたね。
     ネズミの年はきっと私も滞在した夏だと思います。ダンボールの食料庫の中に入ってインスタントラーメン食っていたもんね。ほんとちっこくてかわいい奴だったけど、正直怖かった。でも確かに殺す事もできなかったよね。ネズミの恩返しかぁ。でも先生の手から離れたあとも、他の誰かのを狙っていたんだろうね。(^_^; 米原ではテントの外側からゴツゴツ、ヤドカリが動きまくっていてうっとうしかった。ヤシガニには会えませんでしたけど、ほんと足が沢山ある虫とかが多くて正直キモチわるかった。頭の上で夕方になると鳴いてくれる、リュウキュウコノハズクがちっこくてまたかわゆくて、姿を探しまくっていました。
    【おっとさん】
     私も富良野では布部駅のステーションビバークか日の出キャンプ場でした。まあ後者は知り合いが多かったというのが滞在理由ですが…。
     そうそう、実は私も先生とは何度もすれ違っているんだと思う。おっとさんとも会っていたかもしれない。でもそれが何年もかけてまた出会って、初めて親しくなるっていうのは、壮大なストーリーだよねぇ。出演者はみんなムサイのばっかりですが…(^_^;女の子とかだと劇的な出会いになるんでしょうけど…ないよね。

  10. 和琴のおっと より:

    おはようございます
    せんせい
     入笠山とかでよくペルセウス流星群を見にあがって嫌って程の流星を観測したりしてました。 固定カメラでなら色々写ってますが広角と言っても35mmしか当時無かったので視野は狭いです。
     野辺山や入笠山あたりでも星が多すぎてなんだか判らなくなる程度の星好きです(^^;
    よんきち
     モンキーって「少年」とは別人かな? 和琴にも若いモンキー乗りがそのころ居ました。
    富良野は鳥沼にも一回だけ泊まったことありますが、皆さん出勤されて….87年でしたが(^^;
    柏園も似た感じなんですよね?
    和琴でヘルパーとかして長期間居るとお客さんやヘルパーの女の子と知り合いにはなるけど、ソーユー時ってこちらはもうヘルパーなんでお客さんと違ってなんかさめてましたね(^^;
    盛り上げ役とかはするんだけどそこまでって感じで(^^;
    由と知り合ったのは88年ですね、おっとが和琴に入った時には既にレストハウスで芋剥いてました(^^; 自転車は既に錆びてました。

  11. せんせい より:

    24日の深夜にワシがねずみとルルの話題を含めた長文を書いてる間に、よんきちも同じ話題を投稿してたのですね。想いがちょっとシンクロしてたのかもね。
    >>レス遅れてすみません。<よんきち
    朝の投稿の5分後に出勤して今仕事から帰ってきたのですよ。ワシに関しては遅いことはないですわ。
    柵の向こう側の連中の件に関してはぜんぜん悪い感じは持っていませんでしたよ。むしろリスペクトしてました。ワシらの中ではタカちゃん(声をかけたこともなく遠くから見ていただけだけど)をいい意味で「主さん」と呼んでいて、ある日開陽台の近くに「多和平」という開陽台のパチもんができると聞いたワシらは敵情視察に出かけたんだ。
    行ってみたらとにかくきれいなのさ。来年から営業されるという頂上の売店用のログハウスも開放されてて中に入ると広くてこれまたきれい。、カメハウスはとてもかなわないし、とにかく360度の展望は開陽台よりすごいかも…と、しばらく脂汗を流して呆然としてたのさ。でもワシは気づいてしまったのね。「あっ!地平線がギザギザしている。あれは地平線じゃない、山だ!地ギザギザ線だ!」と。
    「やぁ~い、やぁ~い、贋もんの地平線!」と大喜びでそこを立ち去ろうとしたとき、芝生の上にサマーベッドを広げて昼寝をしているタカチャンを見つけてしまったのだよ。「あ゛~?開陽台の主さんがこんなところにいたらまずいんじゃないの?」「示しがつかんやろ」と、ワシらは渋い顔をしとりましたのさ。このように、ワシらはワシらで柵の向こうの連中も同じ開陽台の仲間として、交わらないけど親近感を持っていました。
    塾長と交流ができて、あの頃から親しくなって…よんきち<<上記のごとく初めての開陽台でおかしなやつ等と知り合い開陽台にどっぷりとつかり、女の子を中心に宴会をしたり、摩周湖に泳ぎに行ったりしてた時、ラジヲを聞いてたやつが、「大型台風が来るんだって、道東直撃だってよ」と。また別のやつが「なんか噂ではキ○ノンボーラー達が大挙してここにやってくるんだって、チャンピオンになったエリミネーターに乗ってるやつのお祝いをするんだってよ」
    ◎キャノ○ボーラー=映画「マッドマックス」に出てくる凶悪無法者 
    と、ワシらみんなは想像してしまったのだよ。
    その次の日、台風の影響か風が強くなった昼、買出しから帰ってみるとキャンプ場奥めど真ん中、ワシらのテントのすぐそばに大きなテントが建てられていて、その前には改造してあるのだろうことがわかるごついエリミ750(900だったか?)がデーンと置いてあったのさ。持ち主の姿は見えなかったけど、ワシら震え上がったね。「き、きたぁ~、ほんとに来たんだ!きっとやりたい放題やって、気に入らなきゃ俺らみんなボコボコにされちゃうんだ?」
    その夜みんなで相談して、台風と○ャノンボーラーから避難すべく開陽台を離れることを決めた。翌朝は雨が降っていて風も強く、黒雲が空に渦巻いていた。ワシらは恨めしくそのエリミを横目で見ながら隊列を組んで難民(みんな難民て言葉、使うんだね)となったのさ。
    それから9年後。
    「せんせぇ~、オカルトから花咲と肉をもらっちゃいました。それも豚やラムじゃなく牛肉、ぎゅ・う・に・く!。野菜も入ってダンボールいっぱいですよ」「ふくちゃ~ん、恵んでもえたのかい?。もうワシらオカルトに足向けて寝れないよねぇ。ありがたや、ありがたや」
    「へっ、へっ、へっ、あのぉ~塾長!ステッカーをもらえませんかぁ~大事にしますからぁ」と、もみ手すり手でお願いするワシは塾長があのときのエリミの持ち主だとそのときに知りました。
    でだ、難民と化したワシ等は一時帯広に身を寄せていたのだが、女の子が、「私、富良野に行きたいの。美瑛にかしわ園というとても善いキャンプ場があるって聞いたので帰る前に泊まりたいの」とのお言葉をなされたのでワシ等は一路富良野を目指したのさ。それがかしわ園に行った最初です。
    途中、六郷というところへ連れて行かれて、ワシ、その頃テレビってあんまり見てなかったのさ、映画も見ないし、ドラマも見てなかった。で、みんなが「これ、ゴローさんが作ったお風呂よ」「あの風見鶏は…」なんて、みんなで感動してるのさ。一人訳わからん顔してたワシはニュース等の間のドラマの番宣を一生懸命思い出し、一人に訊いたのさ。「それって、西田敏行が主演しているドラマ?」そしたらやつが、「そう、そう、そのドラマのロケ地なんだよウルウル」というんだ。北海道から帰ってきてうちでボーっとしながら番組表を見たらちょうど「北の国から89帰郷」というやつをやっていたので見たけど、西田敏行なんて出てこないじゃん!
    さらにでだ、結局その後レンタルビデオ屋で「北の国から」をすべて借りてきて見て、ハタと気がついた。
    ルル
    ワシ古い人間だから、昔の「風邪にコンコン、ルル三錠」という薬のCMと、「子ギツネコンコン」という歌がリンクして、キツネ=コンコン=ルルから開陽台のキツネをルルと呼ぶのだと信じていたのだが、「北の国から」の中で、蛍がキツネを呼ぶのに「ルゥ~ルルル…」とかやっているのを見て、きっとこっちからなんだろうなと判りました。
    再びでだ、かしわ園に着いたらそこは林の中にブルーシートがたくさん見え隠れする、いや、見た目以上に異様な雰囲気のする場所でした。「おねえちゃん、ここが善いっゆうキャンプ場なの?」「そ、そうみたい…」彼女、以後夕食までほとんどしゃべらなくなりました。
    ワシ等、周りから身を守るように10あまりのテントを丸く設営してたんだけど、やがて夜になり、あたりで宴が始まりだしたのだが、明らかに開陽台とはテンションが違い、嬌声や罵声猥歌が飛び交い、素っ裸の男達が奇声を上げて走り回る百鬼夜行の夜になりました。マジ、みんなビビッていたです、ほんと。
    でも景色や夕景がとてもきれいでその後2泊してそのグループはそこで解散しました。
    3番目の女の子を中心としたグループは多和平(敵地だけど事情があってね)で発生したのだが、和気藹々とすごしていたある土砂降りの日の朝。おねえちゃんが突然、「私、行くわ」と言ったかと思うと荷物をバイクに積み込み始め、引き止める男ども振り切って雨の中に消えていってしまったのだよ
    残された男どもは呆然として魂が抜けたように何もやらないで多和の丘でその後の時間を流していたのだが、2日後ひとりが、「彼女、オホーツクを北上したあと、美瑛のかしわ園に行きたいって言ってたっけ」と言った。
    行きました。みんなでかしわ園まで行きましたよ。5日ほど待ったけど、結局彼女は現れず、ワシもこの2ヶ月近くの旅をここで終える決心をした。
    な訳で、最初の印象は悪かったのだが、なんか想いが残るキャンプ場になってしまい、その後かしわ園にも通うことになったのさ。そうそう、最初のグループが解散するとき「なあ、みんな、来年の八月の上旬、またみんなで開陽台に集まろうぜ!」なんて青春ドラマのような約束をしたのもかしわ園だった。ワシのこの貧困旅生活が始まったきっかけでした。翌年、結局3人しか集まらず、おねぇちゃんも来なかったけど、また新しい物語も始まったりして今に至ってしまったのだよ。
    ごめん!また長くなってしまった。12時に書き始めたのに。長時間の仕事が終わるとハイになってしまう。
    で、明日から3連休なのさ。でも、真ん中は病院にレントゲンを撮りに行く日なので通しでどこかへ行くことはできないのさ。
    骨の付が悪くてね。くーちんと一緒。ナカーマ

  12. せんせい より:

    重ねてごめん!>よんきち
    二重投稿になっちった。消せない?

  13. よんきち より:

    わー長文のコメントありがとうございまする。(^_^; むっちゃくちゃ長いスレになってますな。誤字脱字の多い私のひとりごとにご意見いろいろありがとうございます。m(__)m
    【おっとさん】
     まあラビットに載ってるラビットは他にもいるし、コンピュータのおっととかもある位だから、同じキャンパーネームはいるでしょう。特に少年なんて、多そう。いっちゃん最初、「おれの弟がしいたけって言うんだ」っていう事を兄ちゃんから聞いた時はインパクトありました。私はその時キャンパーネームなかったし。
     かしわ園って有名になったけど、閉鎖してるんだよね。鳥沼も閉鎖だし、富良野エリアはうさん臭いのは締め出しかな?イメージとしては確かに林の向こうの景色はよいと思ったけど、なんかじめじめしてるイメージが…(^_^;
     由とおっとさんは長い仲だよね。その錆びてた自転車は3年前リニュして、ブラックアルマイトのリムとか、ディレーラも交換し、現役ですよ。タマゴ料理な由でしたが、今ではいろんな料理ができます。おっとさんと知り合わなければ、由とも知り合わなかった訳で…
    【せんせい】
     お仕事お疲れさまです。先生がいろいろ書いてくれたから、そのネタで返したんですよ。今になって、ほんと懐かしいけど、細かいディティールを忘れる前に、どこかにまとめたいなぁと思います。先生もウェブページ作ればいいのに。重複発言はサーバのレスポンスが原因なので、気にしないでください。あとで消せますので…m(__)m
     もう一人、開陽台の事をコンテンツにしているちゃぼさんという奈良の人がいるんだけど、彼ともウェブで知り合いました。そして勝部さんグループだという事がわかって…いろいろ相関関係が面白いよね。勝部さんの事は残念でしたけど…
     JEANS TOURING http://www8.ocn.ne.jp/~kaiyodai/
     多和平は私も同意見。地平線じゃないよね。まああそこが好きな人もいるから、それはそれでいいんだろうけど。私にとっては単に開陽台が重要な場所という事は確かだし、せんせいや開陽台の友人のみんなと知り合えた場所だから、やっぱり多和じゃだめなんだよね。これは好みだから。
     塾長はあまり多くは書きませんが、やっぱり怖い人ってイメージがありましたね。でもKLX650と私を助けてくれたし(^_^;、メリーちゃんというかわいいワンちゃんのパパだし。キャ○ンの話は有名でしたが、今はこのイベント自体が結構違う方向に進んでしまっているようなので、申し訳ないですがせんせいの発言も伏せ字にさせて頂きました。ネット上はキーワード検索にかかってしまうので…。もうちょっと私も現地で交流しておけばよかったとちょっと残念です。とりあえず、くーが元気になったら塾長とメリーちゃんに会いに行きたいとは思っています。
     富良野観光、女の子と一緒にしていたのね。北の国からはみてましたが、ロケ地巡りは最初の年位でした。でもある意味富良野ではすごい存在感になってしまいましたね。そうそう、ルルの語源は単純なキャンパーが名付けたんだから北の国からだろうね。あと87年かな、ラッシーってう犬がいなかったっけ。その名だってベタだもんね。(^_^;
     先生もまだ完治してないんだよね。ほんと、体だけは気をつけてね。アタマはまあ、お互い今のまんまでいいとして。(^_^; くーちんはさっき電話したらワンワーンと吠えておりました。もう怪我してから臆病になっちゃって…開陽台に連れていきたいけど、エキノも怖いしダニも怖いんだよなぁ。なので、連れていくなら2月かなとみておりますが…(^_^;道東だと雪原っつーよりは、ブリザードで吹き固められた雪原だから、まともに走れないか…
    また書いてねー。(^-^)私はカレンダー通り、29日からお休みですが、出勤もありそうです…

  14. せんせい より:

    眠かったけど、なんか眠すぎて目がぎらぎらしてきた。頭もちょっと痛い。迷惑かけついでにもう少し。
    おっとさん
    当時よく「天文ガイド」を見ていたのですが、4連カメラだとか8連(あったっけ?)とかで流星を撮っている写真があって、あんなのは邪道だ!男なら一台のカメラで勝負しろ!と貧乏な私はひがんでいました。
    社会に出てからは星の瞬きが、いつの間にかネオンの瞬きに変わって、旅に出たときぐらいしか星を見なくなりました。だから計画的に流星群に向けてカメラを構えることがあまりなくてね。で、そんな時祈りを込めてシャッターを開けるのですが、必ず開けたところを避けて流星が飛ぶんだよね。どこを向けても。それなら長時間露出だ、と開けっ放しにしてるといつの間にか眠ってしまって気がついたら太陽が昇っていてフィルムも真っ白、ってなことばかり。
    まっ、いつか星を見ながらお酒でも。
    こっちのモンキーは斜里出身の若いお兄ちゃんだったが、同じかも?そういえば、和琴から来たと言っていた様な…記憶があいまい。
    バカチン達のおかげで、かしわ園が閉鎖されてからは鳥沼を利用していました。なんかワシ、怪しいところにひきつけられるのかも。
    でも鳥沼も閉鎖になっちゃったね。
    よんきち<開陽台で知り合った女の子はその後も何人かいるけど、続いてる人はいませんね。同時期に行ってた礼文島で知り合った女の子(今は子ではないが)数人…十数人か?とは今も旅仲間として時々会うこともあります。(みんなとだよ。ワシ、女の人と二人っきりって苦手なんでね)
    10年以上経って結婚したり、まだ独身だったりいろいろですが、みんなまめに連絡をくれたりしす。ただワシが最近出不精なので逢う頻度は減っていますがね。

  15. よんきち より:

    せんせい、おはよう。
     頭痛もちは辛いよね。若い頃転倒しすぎたのかもしれないけど…(^_^;。私は頭痛の専門医に、群発性頭痛と診断され、年に2~3度ある頭痛ウィーク(約1カ月位)は頭痛予防薬というのを今処方して頂いています。
     私も星をみるのは大好きで、開陽台でもあの電線ロールテーブルを肘掛け椅子で囲んで、夜中にみんな無言になって空を見上げている時間が好きでした。でも星の種類は殆ど知らない…天文ガイドも何度か買ったけど、ちゃんと読まなかったしね。
     開陽台で星の写真をずっと撮りたいと思っていたんだけど、なんだか天気がイマイチだったりして撮れていません。折角三脚とレリーズも持っていってたのに、持っていった年は晴れないんだよね。本当は夜の写真をもっと撮りたかった。一番ワクワクしたのは、夜知床の方で稲妻が光り、その瞬間根釧原野の地平線が一瞬見えた時でした。町中の花火大会とかも何度か見たけど、ちっこいんだよね。人工衛星とか、流れ星とかほんとみていて飽きません。
     夜景の写真って綺麗な事は綺麗なんだけど、そんなに執着はしないですね。山の尾根でテント張った時に、眼下の街の灯が地形に沿って並んでいて綺麗だなぁっていうのはあるけど、高層ビルから夜見た夜景とかみてもぜんぜん嬉しくない。同じ夜景でもぜんぜん違うものだと思うんです。
     そっか、じゃモンキーは同一人物かも。和琴と開陽台のどちらかで長い人だったら、どちらもまったく違う意味で好ましい場所だろうから、行き交いはあるよね。昔兄ちゃんがソロ用のマジックマウンテンを和琴に張りっぱなしにして、別荘って言っていたのを思い出します。
     まあ富良野のあたりは道東よりも人は集まりやすいし、いろんなのも来るだろうからね。開陽台も今まで問題児が居なかったとは言えないし、ある意味いつ同じ目にあってもおかしくないだろうけど…私たちのあと、私たちみたいにあの場を守ってくれている若者はいるのかなぁ。はは、偉そうに言う事でもないよね。(^_^;
     先生はまめだもんね。写真とかすぐに送ってくれたし。私はかあさんにすら写真まったく送っていません。いつかまとめて送るべきかなぁと思っているんですが、なんせ人の写真が少ないかもしれないです。まあウェブでなんとかかあさんにお返しできればと思っていますが…

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