救急搬送
yonkichi, · カテゴリー: あれこれ未明に母親が救急で某病院に運ばれた。2時すぎの事である。救急隊から電話があって起こされ、すぐに向かった。
母親は意識はあるが、記憶が混濁している。こんな母親を見るのは初めてだった。迷惑をかけまくってきた母親だが、さすがに困惑した。
しかし性格は当然変わる訳もなく、周囲に自己主張をしまくっている。ERなので仕方がないのだが、他にも患者が居るので申し訳なく思いながらも、母親の身の安否をこれまで以上に心配してそばについていた。
連絡をしていたが、やっと兄が4時頃にやってきた。兄も仕事が大変な状況だったが、頑張っている。最近は長男の意識がしっかりと芽生えてきたのか、私への依存度はないとは言わないが極めて低くなってきている。担当の先生から話しを聞くと、CTなどを撮ったが、脳梗塞や脳溢血ではないという事だったが、血液検査の内容から聞いたこともない病名を伝えられた。
「低ナトリウム血症」
体内の塩分が極めて不足して、意識が混乱しているという。ただ母親の日常でそのような結果になるような状況は考え難い。つい1日前に私も兄も母親に会っており、普通に食事も会話もできていたにも関わらずだ。そして病院に運ばれる6時間前に玉子粥も平らげている。
入院治療が必要だという事を聞いたが、いつもの病院も、運ばれた病院もどちらも満床という事で、入れる病院を探して貰った結果、超高級病院に転搬送される事になった。選択の余地はなく、差額ベッド代が日に相当な額かかる事で、相当に不安だったが仕方なくOKしたのだった。
夜明けの町を兄と2台の車で転搬送先の病院へ行き、また診断や問診を受ける。ICUに入る事になり、ベッドの上でナトリウムを少しづつ体内に入れられている母親と成り立たない会話を交わし、8時頃に兄は一旦実家に着替えや入れ歯などを取りに戻り、私は帰宅した。
午後、その後もう1度病院に行った兄から電話。母の意識が少し戻ってきて、兄や私の名前を認識し、まだ会話のずれはあるが回復してきたという。正直ほっとした。私は中途半端に眠ったのだがすぐに目が醒めてしまったりまともに眠れない。とにかく体調も悪く、外出はとてもではないが辛いので明日の月曜の夕方でも見舞いに行く事にした。
突然やってきた母親の病気。これまでそれこそ100回以上は夜中に呼ばれた事はあったが、今回のような病状は初めてだった。
これからの介護計画は兄が中心になって、考えていかねばならない。高齢化による各家庭の状況は、前後はあれどきっとどこの家庭にも出てくる問題ではないだろうか。私達が子供がいらないというのも、私の病気や体質が引き継がれる可能性についての考えや、子供を育てる事に対する社会環境への不安、そして子供に依存する事でこじれる家族の絆に不安があるというのが大きな要因だという事。
こんな社会にした国、こんなストレスを感じさせる生活や環境を作り上げたのは、誰なのだろうか?
政府や国政に関わる議員先生たちは、お金があるので他人任せにできる。そういう連中がルールを決めていって、半数以上の国民が苦悩に苦しんでいる事は眼中にない事に、後期高齢者への介護制度や補償について、極めて理不尽さを募らせるのだった。
写真はお金に苦労しなかった母親の大好きなデパート。自分で使うお金についてはまったく無頓着なのであった。
