丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

雲南の判子屋に関西弁が響く

yonkichi, · カテゴリー:

中国は広く、広大だ。もともとどこからどこまでが中国だったのか中国4000千年の中、歴史自体があまりに深く複雑で、正直本当の所はわかっていないのではないかと思う。
いろいろな歴史の本が出ていて、それを読んだとしても、21世紀に入ってた今もなお、次々を見つかる新たな歴史を塗り替えんばかりの遺跡が、とてつもなく深い歴史の事実を紐解くきっかけにはなっているが、有識者と言われる学者さんがいくら研究しても、事実かどうかはあくまで推測の域を出ない。
日本の歴史をいくら調べても、中国のように手つかずの地が残っている場所は、比較にならないほど少ない。大雑把に比べてみれば、もうないと言ってもいい位だ。与那国の海底に沈むムー大陸の痕跡とか、夢のある話題もあって楽しいのだが、中国はざっとみても漢民族以外、モンゴルやチベット系から雲南の少数民族など、多民族国家であり、そのスケールはあまりにも大きい。
中でもチベットと雲南は特別に惹かれるものがある。雲南はタイやベトナム、ミャンマーと国境を接する南部だが、海南島や香港とはまた違った中国の一面を見せてくれる。正直な所、中国とはまた違う国のように思える程だ。チベットについても、殆どインド、ブータン、ネパールと宗教を同じくするエリアであり、漢民族と繋がる部分よりもはるかに繋がりがある。しかし歴史的に色々な経緯があって、中国の一部となっている。
これらについて主張や討論をしても、白黒はっきり着く事はまずないだろう。しかし、その場所を実際に歩き、旅をし、人と接する事で、少しだけでも自分なりに意見が言える土俵に立てるような気がする。そう、気がするだけなので、これが正解かどうかは分からない。
中国は私にとって敷居が高い国の一つだった。最初耳にする話といえば、中国は大変だという事。予定通りには絶対に行かない、戦わなければならないなど、確かにほんの10年前は激しく外国人が立ち入る事が難しい国の一つであり、今も外国人未開放地区も存在するが、以前はもっと対象エリアが多かったはずだ。移動するにも宿泊するにも環境は整備されていなかった。そんなバックパッカー初心者に厳しい国である中国の中で、雲南というエリアはちょっとだけ違う魅力があった。
世界遺産に認定された麗江、大理石で有名な大理は風光明媚だが、チベット自治区の中甸は既に、標高3000mを越える厳しい土地だ。怒江大峡谷のように自然の国境のような厳しい谷などは、桃源郷として名高い。地球上である意味、まだ未知の生物が生き残っているとすれば、このあたりしかないのではと思える程の秘境だ。
まあそんな所まではなかなか足は踏み入れられないが、世界遺産の麗江で過ごした6日間は充実していた。麗江の町にはいたるところに水が流れていて、言いようによっては郡上八幡のような町だ。日本語すら表記されている店もあるカフェ、神々しい玉龍雪山が望めるメインストリート、建設中の建物にみる日本に似た柱の組み方、裏道にある看板のない扉の先にあるレストランなど、全てが平和で、時間がゆっくり流れていた。
ある判子屋で土産ものがわりに、自分の名や友人の名を掘って貰った。その彫師の店には、何故か関西弁を話す神戸に住んでいた事のある金持ちの香港人や、無職の日本人学生、コンタックスを持ったカナダ人、そして私たちがたむろっていた。このメンバーの公用語はなんと関西弁だった。この彫師はナシ族なのだが、民族衣裳も着ていない。ラサでもこの仕事をした経験があるとかで、チベット文字も彫れる。お茶を飲んだり、下らない話をして過ごしていた。
この思い出深い麗江を訪れる3年前、由は本当は自転車で大理から麗江まで走る予定だった。由は毎夏、自転車で中国大陸を走っている。これまでチベットはシガツェからラサ、青海湖から敦煌、海南島、内蒙古、黄山、北京他、毎年10日間前後をかけて、走り繋いでいる。その年は雲南がステージだったのだ。
私の父親が元気に材木を担いで仕事をしていたのだが、検査で判明した脳幹部にできた動脈瘤を手術する事になり、7月に新大久保にある社会保険中央病院で手術をした。麻酔を打ち、私たち家族が手を振って送ったあと、手術室でオペが始まった。麻酔医が麻酔を効かせ、執刀医が側頭部にメスを入れたあたりで父は突然心停止した。あわてて蘇生を行ったようだが、父の意識は戻らなかった。それから1週間、私と由は病院のICUの横にある待合室で過ごしたが、父は手術した日の深夜に一瞬だけ目を動かしただけで、そのまま逝ってしまった。これから手術をはじめようとした矢先にだ。私たち家族の中には深い疑惑が残ったが、この1週間の看病でへとへとになってしまった。
葬式やら何やらで、結局由は予定していた雲南のサイクリングを全てキャンセルし、翌年の一周忌も丁度中国サイクリングの時期と重なる為に不参加となってしまった。この2年で随分、寂しい思いをさせたと思う。
この夏、由の友人達はこの時の雲南のコースをもう一度走る。しかし由はこの事もあって、今年は不参加を決心したようだ。今頼まれた今年の記念Tシャツのデザインをしているが、あえて今年はくーと共にどこかに旅をしようと考えている。色々な意味で、あの夏の事は、今でも忘れられない。
雪を抱いた玉龍雪山は、今も多くの旅人を見守っていてくれる事だろう。由の仲間たちの、今年のランも…
写真はそのたむろしていた判子屋。陽が落ちても時間を忘れてお店で下らない話を続けていた。
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2 Responses to “雲南の判子屋に関西弁が響く”

  1. うりちゃん より:

    アジアには関西弁が良く似合う。
    それはカオスの象徴であるからかもしれないし、双方とも「深く考えない」「深刻にならない」場所であるからかもしれない。
    そしてもっとも大きな相似点は、「過去は振り返らず、常に『今』そして『これから』が大事」である世相ではないだろうか。
    今が大事。そして「これから」が大事。

  2. よんきち より:

    うりちゃん
    そうなんですよね。アジアで関西弁に出会う確率が高いような気がします。北海道でもそうなんだから、関西の人が行動的なのかも、目立つ?のかもしれません。
    性格的に細かい事を考えないというのも多いのかもしれないですね。私はそういう人がウラヤマシイです…(^_^;

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