麺類
yonkichi, · カテゴリー: 食べ物今日は某ベンダー主催の研修。サーバOSのセキュア設計という内容の座学だったが、少しいつもよりゆっくり家を出た。研修では職場の同僚が偶然申し込みをしていたので、一緒に受けていた。彼は私よりもこの分野ではスキルが高い。私も少しはがんばらないと…
オフィス街は真新しいスーツで胸に名札をつけ、いたる所にグループをつくってたばこをふかしている入社したての新人のような若者が目についた。どこを歩いても煙く、喘息持ちの私にとってはたまらない。
外だからといって、喫煙場所を設けているビルも、健康増進法なんか考えていないのだろう。ビル風が吹くあたりで、出入り口の左右に吸殻入れを置けばまんべんなく出入りする人に副流煙が襲いかかる事を考えていない。当然灰は吸殻ではなく地面にパラパラと舞うどころか、風に巻かれて通行人にかかる事になる。
オフィスビルの地下でお昼を食べたが、時間も時間だった事で異様な混み方だった。普段は420円の仕出し弁当なのだが、ランチの女王というドラマのように、ランチを楽しみにしている女性はいたとしても、もっとおいしくもっとリラックスして食べられる場所の方が、少々味が落ちたとしても私は選ぶかもしれない。今日はオムライスとスパゲティのセットだったが、一人であれば丼ものやコンビニでおにぎりなどを買って、さっさと食べて終わりにするだろう。
まだ明るい時間に研修は終了したので、実家まで歩いて行った。今日検査入院から退院してくる母親の様子を一応見に行く為だ。検査結果は大きな問題はなく、とりあえず安心という所だが、もう老人の域に入っている事から、何かと気苦労が耐えない。しかし自宅にはおらず、上のフロアに居る本家の方に顔を出すとやはり話し込んでいた。
まだカテーテルの跡が痛々しく、血圧も安定していないようなので、さっさと寝るように促し、少し身の回りを整理してやって帰路につく。途中、このあたりではナンバーワンと思える麺通団で天ぷらと持ち帰りうどんを買い、コージツにまたちょっと顔を出して雑談をし、アルタ裏を抜け桂花ラーメンでおみやげラーメンを買い、バスで帰る。
来週の月曜、生協の宅配が来るまで、お米を切らしてしまっているので、いろいろ買い込んだのだ。さすがに毎日麺というのも少々飽きるが、麺類は好きだ。ラーメン、うどん、そば、素麺、なんでも。まあ何とかなるだろう。
実家のあたりはいつのまにかラーメン屋がどんどんできて、今ではテレビに出るようなラーメン屋も数店。いつも行列ができている。その中に讃岐うどん屋ができたのだが、ここが関西人御用達の本格的な讃岐うどん。我が家の近くにも、チェーン店のはなまるうどんや、こがね製麺所というのもでき、それでも十分だと思っていたのだが、ここのうどんの美味しさにはちょっと差をあけられたという感じがする。四国を旅した時のセルフうどんが思い出されて、こういう店が近くにできてとても嬉しい。
めん類といえば、昨年の夏漸く北海道は夕張のラーメン屋、のんきやに行けた。おばあちゃんも健在で、少々衛生面には問題はあるが、このラーメンは食べておくべきだと思って少々寄り道をして寄ったのだ。
夕張は言わずとしれた炭鉱の町。至る所に炭鉱の面影が残り、メロンや映画祭など町おこしも活発だが、その昔の反映は跡形もない。私は北海道を旅するようになって、炭鉱の町で感じる北海道が、雄大だとか気持ちのよさとかいうものとは別の、本当の北海道の厳しい時代を感じる事ができて好きなのだ。初めて知ったのは、上砂川を訪れた時。私はそういう場面に出会うと、総毛立つという表現がぴったりくるように、鳥肌がたち身震いする。炭鉱の町や廃村をみると、怖さではなく重さを感じるのだ。
そんな中で時間がとまったような店。それがのんきやだ。このおばあちゃんが歴史そのものだ。それがどうも、今はこの店舗がなくなり、おばあちゃんもいない、という話を聴いてしまった。まだ自分の目で確かめていないが、とうとうくる時が来てしまったのかもしれないと少々動揺している。
扉のない出入り口から先に、夕張のモノクロームな風景が目に飛び込んできたあの夏の日の夕暮れ時、あのラーメンの味が思い出される。

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