暑いと思い出す島
yonkichi, · カテゴリー: 旅暑い…今はまだ4月のはずじゃないのか?という言葉を口に出してしまう程の暑さ。東京は24度もあったらしい。本当におかしい天気だ。季節というものがどんどん境のズレをひろげ、いつしか生き物への影響が大きくなり、人類滅亡となる日も近くないのか…そういえば、開陽台の一番古い友人、S兄の子供の頃の夢は世界征服だったな。と意味もなく思い出してみる。
昨日は何だか相当気分がダウンしていて、愚痴っぽい日記になってしまった。今日は少し回復し、この気候もあって例年この時期に夢みる八重山の事を思い出した。今月末から一般サラリーマンにとって大きな連続休暇、ゴールデンウィークだ。八重山など飛行機でいかねばならない場所に安くそして確実に行く為に、発売日の朝から八重洲のANAやJALに並んだ事もあった。そして、しっかりと島を楽しんできたものだ。
八重山の旅の4度のうち、3度は出発した日の午後には、日本最南端の碑の前に立っていた。大抵初日に波照間に入り、2~3日ゆっくりして、一旦石垣に戻り他の島に同じような日数をかけて滞在し、後半は米原キャンプ場にテントを張り、バイクでうろうろするというのが定番だった。与那国は当時まだ飛んでいたYS-11で往復したが、他の西表や波照間、竹富などは全て高速艇だった。それもなぜかあんえい丸の航路があれば必ずあんえい丸に乗った。ファンキーな乗り心地を選ぶのは、友人の話があったからこそ。実際他の船会社のどこよりも、船長が海人っぽいから好きだ。
沖縄と八重山は私の中ではまったく違う。完全に言い分けている。八重山はそう、パラダイスのひとつだ。沖縄は沖縄であり、パラダイスとは違う。北のパラダイスは和琴という意見が私のまわりには多いが、不便極まりなく自然環境の厳しい我が開陽台こそ、パラダイスだとは思っている。要は私のお気に入りの地の事をそう呼んでいるとも言える。
北海道も八重山も、深い苦しみを持った歴史をもっている。一応、いろいろ歴史本や関連の話をみたり聴いたりした上で、八重山には向かう事にした。その中で、椎名誠監督のうみ・そら・さんごのいいつたえは石垣は白保に行ってみたいと思わせるには十分だった。
原付バイクで白保に行き、近くの雑貨屋でオリオンビールを買い、1日中海をみていた。たまに地元のオジーが小さいサバニを出して漁にでかけて行ったり、戻ってきたりしている位で、人も少なかった。リーフに砕ける白波が、はるか向こうで音をたてていた。そして、たまに空の上を石垣空港に着陸する飛行機が通過していく。いくらビールを飲んでも酔った気がしない。
大浜にある1771年にあった大津波で地上に残った津波石がある、という話を聴いて、見に行った。とてもそれが海底から陸に打ち上げられた石とは思えない大きさだった。そしてその岩を拝む、オバーの姿も見た。海と共に暮らす八重山の人々と、その歴史中で培われた信仰心というものに、感動すらおぼえた。島に引き込まれるきっかけになった最初の八重山の旅の出来事だった。
ゴールデンウィークとはいえ、日差しは強烈だ。噂には聴いていたが、バイクを走らせていると涼しい為、腕を出して日焼けしていても、暑いというより心地よかった。それがあとで大変な事になろうとは思ってもいなかった。八重山に入ってから毎日太陽にあたっていた事もあるが、バイクで石垣島一周や与那国島一周をしていた関係で、ハンドルに手をおいた形で、太陽があたる部分だけが酷い日焼けをしてしまう。皮がむけたあとにまた日焼けをし、完全に火傷状態になり、シャツすら着るのが厳しい状態になってしまった。
写真の白保でのまる1日海を見ていた時に、とどめを差してしまったようだ。帰ってから両腕の火傷で大変な事になり、引き続き会社を通院の為に休んでしまう。地元の人はまっ昼間に決して半袖を着たり不用意に肌を露出しない。まったく情けない状況になってしまった…
そろそろ八重山への旅の季節。でも今年もゴールデンウィークは旅に出たとしても近場になりそうだ。また是非、八重山を旅したい。

君とワシの好みは非常に似通っているようだ。君が嫌だと言っても仕方がない、ワシも八重山大好き人間なのさ。
でも、出発のその日の午後に波照間はうらやましい。いつも東京からフェリーなのだが、最初に行ったときなんて海が時化てて、沖縄まで56時間、船の中で、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロと転がっていたね。到着が遅れたが、石垣行きのフェリーが待っていてくれて船の中で乗船手続きをやって、さらに16時間。〆て72時間かかったのだよ。
石垣ではやはり米原にテントを張り、オリオンビールを飲みながら、とろとろにとろけながらも、各島をも回っていた。それもおんなじだな。
朝はよく白保の海岸に朝日の写真を撮りに言ったものだった。白保の行き帰りの途中に庭に大きな貝殻をいくつも飾った、なかなか雰囲気のいい民宿があってね、帰るまでに一度泊まってみようかなと思っていたのさ。だが、日に日にその庭にサングラスをかけた怪しげなやつ等がたむろしだして、結局泊まるのを断念したのだが、帰ってきてからそれが、「うみ、そら、さんご、のいいつたえ」の撮影スタッフで、椎名誠さんも泊まっていたのだと知った。
ワシは椎名さんのファンで、その頃、いやはや隊の林さんや、写真家の佐藤秀明さんと多少のお付き合いをさせてもらっていて、その話は、秀明さんから聞いたのだ(秀明さんも陣中見舞いに来ていたらしい)。ワシ、地団駄を踏んで悔しがったね。一ヶ月も居たのにな。
まっ、とにかく八重山はイイ!社会復帰したくなくなるね。ワシもまた行くよ…いつかきっとね。
いつもありがとねー>せんせい。
八重山はいいよね。特に同じような旅をしている者にとっては、やっぱり好きな場所っていうのが大体同じようなものになってしまうんだろうね。私が初めて泡波に出会ったのは、開陽台の電線ロールのテーブルの上だったなぁ。誰がが持ってきてくれたんだけど、思い出せない。
ぢみおがくれた年賀状が米原洞窟での探検姿だったり、北海道を旅していて知り合った宴会組や米原組の話を聞いては、行きたいなぁとずっと思っていたんだけど、実際に行けたのは会社員になってからでした。八重山への旅は10日~14日間程度でしたが、南風見田も行ったし、米原も第四炊事場ばかりだけど使っていただけでも、すごくお気に入りの地になってしまいましたね。
そうそう、私も日本縦断の時、大島運輸の波之上丸で有明から志布志~名瀬~与論経由で那覇に入りました。ちょうど台風の余波で、42時間の予定が52時間になったかな。遅れるのは仕方ないのかもしれないね。覚えていないんだけど、きりんちゃんから琉球海運は夜になっても電気を消さないとか言っていたなぁ。当然お金なかったから2等ザコ寝でした。
この船は港湾の人がバイクも積み下ろしするらしいんだよね。その時はSRX4でしたが、同じ船だったGSX-R750を載せようとした港湾のおっちゃんは両足ツンツンで、オーナーはすごく不安そうで見送ってました。下船時私のバイクはいつまでたっても降りてこないで日が暮れてしまい、話をして中に入れさせてもらうと、エンジンかけられないで困っていました。だったら早く言えよなと思いながら、一発でエンジンをかけてようやく下船になり、遅れに遅れた下船の為、港の脇で銀マット出してざこ寝。寝汗かいてまともに眠れず、辛い初日になったのを今でも思い出せます。
米原ではいろんな出会いやいろんなバカ話がありますが、それはまたいずれ。夕方になると蚊が出てくるので、風のある砂浜でみんな飯作ったり、点々とキャンパーがころがっていて降るような星空の下、パラダイスを感じました。由と初めて行ったときはやっぱり第四炊事場だったんだけど、ヘールポップ彗星が見えてなかなかすばらしかったです。
リンさんや佐藤さんと知り合いになったんだ。椎名さんの本はほとんど読みました。特に私が開陽台でビデオを撮り始めたのも、きりんちゃんや椎名さんの映画が影響大です。うみそら以外でもあひるの~では沼沢湖にテント張ってカヌーで遊んだりしちゃったし。(^_^;ミーハーかな。
佐藤さんとは風間深志さんのイベントで知り合い、佐藤さんが、そのとき集まったワシを含む写真好きの参加者に「俺達で写真クラブを作ろう、上手くなったらみんなで海外に撮影旅行に行こうよ」と言ってくれて、その後数カ月おきに都内で集まって、我々がその間に撮った写真を佐藤さんが批評してくれたりしていました。でも、やがて佐藤さんの仕事が忙しくなり、いつしかその写真クラブは消滅してしまったのですな。
リンさんとも、年に数回、数年にわたって料理を作ったり、焚き火を囲んで飲んだりしていました。
風間深志さんとお付き合いさせてもらうようになってから有名人と会う機会が増え、毎年暮れに風間さんと宇崎竜童さん、根津甚八さんが開く忘年会に呼んでもらっていたのですが、ある年、これも大ファンだった夢枕獏さんが出席されて、ワシ、たまらず駆け寄ってツーショットの写真を撮らせてもらってしまいました。もう、恥ずかしいぐらいのミーハーぶりでした。
あ、それと根津甚八さんから使わなくなったテンカラ竿、2本で8万円ぐらいするやつを5千円で譲ってもらったときも、思わず「竿にサインしてください!」と言ってしまった。テレビで芸能人にファンがサインして!と群がるのを見ては「ケッ!」と思っていたのになぁ。
まあ、それらもここ6年ぐらいは遠ざかって風間さんともお会いしていません。昨年の秋に賀曽利隆さんから、「明日、パリダカの事故で入院していた風間さんの退院祝いパーティがあるので、参加しませんか」とPCにメールをもらったのですが、ちょうどその時アウトラ関係のキャンプで猪苗代湖に行っていて、帰ってきたのはパーティが終わった後でした。
まあ、とにかくワシは普段すかした態度を見せてはいるが、本当はめちゃくちゃミーハーな男なのですわ。恥ずかしい。(-_-;)
風間さんは私がMR50に乗り始めた頃、練馬の店で何度も会ってお話しました。私は風魔プラス1のステッカーをタンクに貼り、ガッハッハと笑う風間さんは、やはりインパクトが大きかった。オートバイの編集部を辞め、キリマンジャロに挑戦したちょっと後だったんじゃないかな。
根津さんや宇崎さんと、ファラオラリーに挑戦して一悶着あった時も憶えています。浅井さんと風間さんは別格だったなぁ。加曽利さんと風間さんが初めてパリダカに出た時もワクワクして記事を読んでました。練馬のショップにあのDRがあって、鳥肌もんでしたね。
練馬のショップがなくなる直前、番頭さんにXR250Rのシートを張り替えて貰ったんだけど、その番頭さんも埼玉でベースキャンプっていう店を開くあたりまで知ってましたが、いつのまにか行方がわからなくなってしまいました。
ミーハー、いーんじゃないでしょうか。男として魅力ある人に出会って、話ができる喜びは何よりも換え難いかもしれません。私もカッコいいオジサンになりたいなぁと思っています。
椎名さんとは私は会ったことがないけど、スタイルはとても好きですね。でも会っても何話していいかわかんなくなっちゃうんだろうなぁ。(^_^;