ハイジーの家、お疲れさま
yonkichi, · カテゴリー: 旅1986年春、道東の小高い丘に、小さい山小屋風の喫茶店ができた。
その丘は、北海道を旅する人の中で、「地平線が見えるらしい」という口づてでちょっとした秘境スポットだった。それが丘の上への道が舗装され、開陽台という名前をつけられ、訪れる人が少しづつ増えていった。
1985年、そこに行く前から雑誌や友人からその存在を知っていた私は、初めて本格的な一人旅を実行に移した。19歳の夏の終わりだった。他にも色々行きたい場所は事前に調べていったのだが、なぜかその丘には特別なものを感じていた。
夏前になるとバイク雑誌はこぞって北海道ツーリングの特集を行う。当時はバックパッカーのかに族の時代が最盛期で、バイクで旅する人がどんどん増えていった時代。内地にはない雄大な風景を、バイクという体がむき出しの乗り物を駆って、自由きままに走りたかったのだ。私もその一人だった。
私が丘に初めて登ったのは1985年。既にかに族の時代もピークを過ぎた頃。ひとつの時代の移り変わりの頃だったのだと今にしてみれば思う。
初めての丘では、誰とも話はしなかった。霧の中で濡れながら、一人乳白色の空に包まれて、ボロボロの展望台の手すりに触る事もせず、立ち尽くしていた。すると、一瞬霧がぽっかりと開き、オホーツクまで遮るものがない根釧原野が見えた。その時のゾクっとした感覚が、私に染みついた。
翌年、沖縄から北海道までをバイクで2カ月弱かけて走った日本縦断。そこで私はやはり丘に一番長く滞在した。そしてその年、駐車場の脇に、小さい喫茶店、ハイジーの家が建った。
私が20歳の頃の話だ。そこからまる21年半、私は今、42歳となった。
人生の半分以上、私は毎年欠かさず丘に上がった事になる。夏は殆ど、秋は数回バイクで渡った。そして丘では色々な人生が交差し、ハイジーの家はその旅人の中継点でもあり、それぞれが連絡を取り合うが如く、ハイジーの家のかあさんを介して、生存確認を行ったりしたものだ。
そのハイジーの家が、今日で21年の歴史を閉じる。私たち旅人が年をとるのと同時に、かあさんも歳をとるわけで、そろそろ個人的には潮時だと思っていた。展望台のテナント契約の区切りもあるようだが、何よりかあさんが閉じようと思った事は、丘に集う旅人はきっと理解できると思う。
私たちの世代、80年代後半から90年代後半までの1時代を綴った時代は終わり、次の世代に引き継がれるものだとばかり思っていたが、思いの外今の若者は旅をしないようで、きわめて少数派の旅人が、丘を温めていたようだ。そして本当にやってきた次の時代は、ハイジがない丘という事になるだろう。
ハイジと私たちは同じ時代を生きたという事になる。それはちょっと嬉しい事でもあり、開陽台が最も華やかな時代だったのではとも思う。人知れず、ごく少数の人が独り占めできた私たちよりも前の時代もよかったのかもしれないが、私は丘で知り合い、今も付き合いがある友人たちを大事にしている。丘で知り合った連中が、一番自分の気持ちに近いものをもっていると感じるからだ。
21年間、ありがとう。そしてお疲れさま。
ハイジーの家は、私たちの人生の中で、結構大きなポジションを占めている事にあらためて気がつかされる日、それが今日だ。
明日は閉店パーティ。きっと知り合いが沢山集まっているだろう。ちょっと羨ましく思いつつ、北の方角を探してニヤリと笑ってみた。
写真は毎年のこの日の、ハイジーの家の玄関。本年度の文字は、今年はもうない。


