さて、出かけるか
yonkichi, · カテゴリー: 旅これから用意をして、公園経由で羽田のパーキング会社へ。
途中公園で1時間くらい、くーを遊ばせてやらないと。
しかし台風がもう1つ、見えている。それてほしい。願うだけ。
旅の間は暫定で作ったこのあたりを更新していきたい。
http://www.yonkichi.com/straylog/
帰ってから、抜けた分を更新する予定。
時には地を這うように、時にはささやくように
これから用意をして、公園経由で羽田のパーキング会社へ。
途中公園で1時間くらい、くーを遊ばせてやらないと。
しかし台風がもう1つ、見えている。それてほしい。願うだけ。
旅の間は暫定で作ったこのあたりを更新していきたい。
http://www.yonkichi.com/straylog/
帰ってから、抜けた分を更新する予定。
鉄(テツ)といえば、旅の世界では鉄道愛好家で鉄道を使ったり巡ったりする事を指すのだが、実際に会ったことや見たことがないと、何の事やらさっぱりわからない呼び名だろう。
多くの鉄は鉄道ヲタクと同義語であり、今でいうマンガやアニメのヲタクと同類に見られる事も少なくないのではないだろうか。殆どのその方向の人は、微妙に路線が違うだけで、同類に見られる事を嫌う。それは普通の人も、類友のように親しみを込めていわれる場合ではなく、私と君とは違う、と否定してしまうだけで、特にそれ以上の事ではない。
既に話題としては遅いのだが、現在テレビで放映中の「電車男」というドラマがある。既に映画は封切られロードショー中で、原作本までベストセラーになっているのだが、別にそれは鉄の話ではない。しかしヲタクと大きくリンクしている主人公がいる事で、妙に題名から自然に想像してしまう。
このストーリーもう有名な話になったのだが、発端になった2chのスレッドこそリアルタイムで見てはいないが、本になる前にはこの話を知っていた。ネットに存在する情報をまとめたサイトを知り合いから教えて貰って知ったのだが、まあ何だか2chの社会的立場も随分変わってきたきっかけにもなっているストーリーでもあるので、よく憶えている。大抵は2chは悪い話題で取り上げられる事が多いのだが、こういう話題があってもいいんではないかと思わせるものだった。
そのテレビは録画しながら見ている。録りためてから一気に見ようかと思ったが、少しづつ見始めてしまった。そこに出てくる主人公を慕うPSPで遊ぶ子供が妙に笑えた。どこから連れてきたのか、どうみても鉄なのだ。セリフを憶えるだけでも大変なのに、総武線の駅を暗唱できるなんていうのは、ネイティブじゃないだろうかと思う。
実際に旅をしていて、ユースやとほ宿に泊まったりすると、高い確率で鉄な旅人に出会う。判る人には判るのだが、それは一見して判るのだ。別に会話をきっかけにするのでもなく、同じ臭いがするのでもなく、あっ、という一瞬にそれを感じるのだ。オーラというか、そういうものを持っている。というのはちょっと大げさなのだが、要は容姿やファッションでそれを感じる事が殆どなのだ。
ただキャンプをしているとそういう旅人と会う確率は減る。鉄道で旅するとはいっても、今北海道はどんどん鉄道路線が減っている。バス路線に変わり、旅をするにしても少ない電車をうまく効率的に乗り継いで旅しなければならないだけでなく、辿りつけないエリアも存在する。鉄道は最も高度成長期においては安全で正確に目的地に辿り着けるメジャーな交通手段であったのだが、どんどん地域の過疎化や採算重視の企業、国の財政難により、国営で営利よりも国民の為に必要な重要交通機関という位置付けが消え、過疎路線はどんどん廃線にされていってしまう時代が現代だ。いいのか悪いのかわからないが、これも高度成長期に未来を考えずに私腹を肥やす事だけで突っ走ってきた報いだろう。素晴らしい人の生活の中で生まれた文化のひとつであった鉄道は、どんどん姿を消そうとしている。
鉄たちはどこにいくのか。まだまだ日本国内には多くの路線が活躍中だ。そして利益が出ている路線は、新型車両が投入され、どんどん近代化されていく。その視点から、彼らは目的を選んでいるのではないかと思う。
私や由は鉄ではないが、たまに鉄道の旅も面白いと感じているので、神戸にいく時や海外に出た時はバスや鉄道をよく利用した。私は上富良野にテントを張り、富良野まで食事をしに鉄道に乗ったり、ツーリングの最中でも鉄道を使う事で、またちょっと違った旅の雰囲気を楽しんだりする程度だが、メインの交通手段として旅をするような事までは考えられない。
写真は台湾の三渓線。懐かしさを感じるディーゼル車両。日本統治時代に敷かれた線路だ。台北ベースにバックパックの旅をした時に、日帰りでバスや鉄道を乗り継いで、この電車の起点から終点まで乗った。正確にはひと区間だけ、滝を見る為に線路の上を歩いたのだが、この電車に乗ったとき、横になんと台湾人の鉄が座っていた。思わず観察してしまった。
漢字で台湾鉄道の旅と書かれたノートに、その日の乗車データやメモを一生懸命書いていた。デジカメの動画モードで、先頭車両からみる前方や、車窓からの風景をひたすら撮っていた。そして姿もファッションも、まさに万国共通と思わせられる程リンクする、そのものだった。
鉄ではない私だが、今でも中標津駅の記憶をもっと残しておけばよかったと思う。あと上武佐駅。私は最初に開陽台に訪れた時、中標津駅の前で休憩を取ったのだが、写真も残っていない。鉄道は日本の開拓時代にまず整備されていった、ひとつの交通文化なのは確かなのだから、もっと残るような運営を考えて欲しいものだと思ったりもする。

この週末、開陽台は1年で一番に賑わいだろう。今日のテント数はおよそ40を越えているという。開陽台ハイジーの家ののりちゃんの報告からだが、彼女がハイジーに勤務するようになってから、まめに仕事の終わり頃、野鳥の会よろしくテント数をカウントしてくれ、iMode掲示板の方に報告してくれている。この報告は今の丘の上の状況が判る、丘に今あがっていない者にとってとても重要なものなのだ。
その賑わいの中、きっと私の古い友人も1~2人はいるのではないかと思う。ただ昔のように、丘にいけば誰かがいるという時代も終わってしまい、偶然にその場で再会という事しかなくなってしまった。それも時代の流れだろうか。世代交代とも言われるが、正直な所私は今の開陽台の常連さんはよく分からない。私自身がそんなに長く滞在できなくなってしまった事もその大きな理由なのだが、それは別に仕方がないと思っている。
ただ変わっていく丘や、時代においても、あの丘の風景が好きで、あの丘の天候を楽しめ、あの丘に集まる人が好きな旅人が、今も私たちが温めていた時代のように大事にしていってくれる事を期待している。町に対してどうのという意見をした事もあったが、単純な事だ。営利目的でもない、純粋にあの場所が好きな者が、丘に長く滞在するようになるのは別に不思議な事ではない。
この夏も、多くの出会いと新しい開陽台の旅人が誕生している事だろう。昔ほど旅人は多くないだろうが、旅の世界以外においても高年齢化が進んでいるように、今の若者の世代はそれほどあの雄大な風景の中で過ごす時間や、旅で自分のフィールド外の旅人と知り合い、多くの事を学んだりする事に魅力を感じないようだ。私たちからすればとても残念な事だが、それは大きなお世話なのかもしれない。
これまで、いろいろな所で私はあの場所を知らない人や、あの場所にテントを張らず、昼間に一瞬立ち寄っただけの旅人たちに言ってきた事がある。それは強制でも何でもない。私自身も全都道府県を旅したが、それで全てを知ったとは言えない事はよく分かっている。だからこそ、伝えたい。
あの丘にテントを張って、夕陽、星空、朝日が見れるまで何度か通って欲しい。それが1度訪れただけで出会えたならラッキーかもしれないが、実はそれはアンラッキーなのだという事。霧に包まれ、真夏でも寒くてたまらないあの丘の姿も、その中で多くの旅人と出会い、語る事が、開陽台なのだという事。
私はなぜか、もう人生の半分以上の年月を、この丘のある人生として過ごしている。私の基盤がそこにあるといっても過言ではない。単なる北海道の東の丘が、なんでそこまでという事もあるのだが、私にとって、そういうものなのは事実だ。
今月末、昨年はあがれなかった丘にあがる。今度は新しい家族を連れてになる事で、楽しみな反面、天気もそれなりに恵まれてほしいと願う。
今この時間、きっと丘の上では色々なドラマが展開されている事だろう。あのシンとした空気の夜、今日は霧に包まれぼんやりした肌寒い空間で、会話は絶え間なく続く。そう、まるで夢の中のように…
