丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

伝え聴くよりも経験する事

yonkichi, · カテゴリー:

八重山の西にある台湾。あの蒸し暑い気候の中に、異文化が凝縮されている。とはいえ、無視できない日本統治の歴史がある事から、今でも年配の方は日本語が達者だ。日本は昔、他国に数えきれない程の非人道行為を行ってきた歴史があるのは、実際に経験した訳ではないが耳や目にする事で知っている。知っているといってもそれは全てを知っている訳がなく、戦後に生まれた誰もが、事実ではなく語り聴いた話で学んでいる。
台湾にも先住民がおり、今でも山間部に生活をしている。その土地に色々な事が起こったのだが、日本の統治はその後の大陸からの移民との争いの方が大きな波紋を呼んだせいか、比較的日本人に対しては友好的な方が多いような気がする。実際に出会った台湾の人は、数名だが皆親切であり、にこやかな笑顔を向けてくれた。私たちが単なる観光の日本人という事を知っての上でだ。
ただ最近は中国や韓国などの隣国との諍いを多く耳にする。私たちも戦前行われてきた教育や政治は知らない。今の隣国の同世代の人だってそうだろう。事実を自分の目で見て聴いた訳ではない。それを表現する形にする事によって、事実が変わってしまう。実際、日常で何かをしたとしても、結果論であって、その過程は黙殺されていく。今の結果のみで判断される評価制度と一緒だ。
今私が信じるものは、実際に自分で会って、目で見て、感じたものが第一だ。日本一周するきっかけもそうだ。日本を実際に自分の目で見て、体で感じた事がない状況で、写真や地理の授業でどこの町の何の生産量がいくらで、特産物が何かという事を知っていても何もならない。今の事実を自分で判断する事が大事だと思ったからこそ、旅に出た。
中国も韓国も、そして台湾も私は大好きだ。異文化がそこにあり、これまで常識だったものが非常識である事も当然あるわけで、それを否定する事は人間として愚かな行為だ。それらを自分なりに受け止め許諾し、そして自分の形で交流する事が、全ての最初の一歩なのではないだろうか。
台湾は多くの事を学ばせてくれた。日本統治時代の建造物や、今の日本と変わらない文化や風習などは、正直異国経験が少ない者にとって、とっつき易く、それでいて奥深い。決して簡単なんていう事はないが、日本とはまったく違う歴史を積み重ねてきた国は、驚きと感心と学ぶものが盛りだくさんであり、これが旅の醍醐味だともいえる。
台湾では食事が全て美味しい。苦手なものは少なく、そして日本にはない南国の豊富なフルーツが手軽な値段で食べたり飲んだりする事ができて、幸せな気分にもなれる。そして、もうひとつ、インパクトを感じるものがあるのだ。
それは温泉。温泉天国と言ってもいい。代表的なのは、日本でも秋田の玉川温泉にしかなく、世界でも数える程しかない北投石の発する天然ラジウム放射線で湯治客があとをたたない特殊な温泉が、台北から電車で日帰りできる距離にある。まさにその北投石という石の名の通り、新北投温泉にある純日本式の外湯、「瀧乃湯」や、明治末期から昭和初期の建物である宿泊施設、「星乃湯」がある。
新北投にはその天然ラジウム放射線が豊富な強酸性硫鉱泉の青湯と、弱酸性単純泉の白湯があり、前者が瀧乃湯、後者が星乃湯というのが日本人観光客にはメジャーな入浴コースだろう。私たちは両方の湯に入れるあまり綺麗ではないホテルに1泊した。
瀧乃湯のその存在感は強烈で、水着着用が多い台湾の温泉の中で、ここは日本人のように素っ裸で入る風呂だ。タイムスリップしたようなその雰囲気は、台湾の文化としてこれからも存続して欲しい。そう、決してここ日本ではない。台湾なのだから。
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森に停車したままの列車

yonkichi, · カテゴリー:

富良野・美瑛はあいかわらず人気がある。なぜか昔から道東ばかりに惹かれて、富良野で数日を過ごしたのは、せいぜい上富良野の日の出キャンプ場位だった。他には布部駅に数回、STB(ステーションビバーク)をした位だ。なぜかあまり富良野には縁がない。
とはいえ、最初に訪れた時は「北の国から」の五郎さんの家にも行ったし、富良野レストハウスや唯我独尊で食事もした。ただ最近できたこの手の施設には行ったことがないが…。
友人が美瑛の宿がお気に入りで、今日もまさに今、泊まっているはずだ。私もそれがきっかけで、3度泊まった事があるのだが、難しい所で、私にとってはちょっと路線の違う宿だったようだ。でも悪い宿ではない。逆にこのあたりは特にロケーションは美しく、季節を問わず旅行者が訪れる場所としては、なかなか自分の過ごしやすいように過ごせる宿はないのかもしれない。となるとやっぱり宿ではなく、キャンプになってしまうのかもしれない。
釧路航路が無くなってから、小樽か苫小牧を使わざるを得ない訳で、となると美瑛の宿を旅の終わりの方にもってくる事は悪くない。ある夏、美瑛の宿をゆっくりとチェックアウトし、望岳台で小休止し、吹上温泉の熱い湯に朝っぱらから入り、凌雲閣を経由して富良野を抜け、新空知橋を越え、芦別川方面に逸れるように向かう。山間部の交通量の少ない道を、よいテンポで走り、R452に出て左折。人造湖の桂沢湖を抜け、夕張川と平行に走りながらもうひとつの湖、シューパロ湖が見えてくる。
適度なワインディングと、流せる道は私の好みだ。国道を走るよりもはるかに楽しく、また北海道の森の深さを感じながらアクセルを開けるのは幸せを感じる。250ccの簡単な構造のオフロードバイクは、常にスロットルをフルオープンさせる楽しさもある。軽やかな歯切れのよいシングルのエキゾーストノートと、フルパッキングでリアヘビーなオフ車だが、早い切り返しをしながら、コーナーを立ち上がっていく。私の好きな道だ。
1時間ほど走り続けたあと、そろそろ夕張の町に入ろうとした手前で、右手に何だか強烈な存在感のある物体を視界の端に確認した。思わず降るブレーキでリアがホッピングし、ロック。ブラックマークを残しながら少し行き過ぎて停車した。
Uターンし、そのナニモノかを確認しようと、バイクを停めた。吹上の湯から殆どノンストップで走り続けてきた体に、鳥肌が立つ程の存在感をにじませながら、それはあった。
三菱大夕張鉄道保存会が保存活動をしている、大夕張鉄道の車両が、ホームに横付けされて停まっているのだ。この車両が、昔この夕張という炭鉱町の繁栄とその時代を駆け抜けたそのものだ。当時は石炭や木材を輸送するだけでなく、豪雪の中、石炭ストーブ列車として、地域住民の足としても役立ってきた車両なのだ。
以前夕張の話題何度か書いたが、私は炭鉱に北海道のほんのちょっと前の北海道を肌で感じ、厳しい環境に切り開いてきた人々の生活の跡が、妙に北海道をしみじみと感じられるので惹かれている。それは悲別こと上砂川であり、釧路の太平洋炭鉱も同じだ。何故だかゾクゾクする程、北海道を感じるのだ。
この電車はまさに北海道の産業遺産なのだが、もっと大きな意味で保存していかねばならない。夕張だけでなく、北海道は少しづつ産業構造が変わって行っているのだが、内地にはない日本の中でも特徴的な環境である北海道ならではの歴史もしっかり認識し、大切に語り継いだり、引き継いだりしていかなければならない。開発や快適に変えていく事だけがよい事ではない。もし、後戻りできない歴史があったとしても、それは宿命であり、しっかりと認めていかねばならないのだろう。
この列車の前で、1時間以上も飽きずに眺めていた。その後、ユーパロの湯で風呂に入り、夕張という地の事を自分なりに考えたりした。帰ってきてから、この三菱大夕張鉄道保存会のウェブサイトがあるのに気がついたのだが、偶然でもここを通り掛かってよかったと思った。
今も漆黒の夜の中に、漆黒の車体を溶け込ませながら、きっとホームに停車したままなんだろう。
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道東の常宿

yonkichi, · カテゴリー:

基本的にはキャンプというスタイルでの北海道をツーリングする私だが、何だかんだ行って宿にも結構な頻度で宿泊している。その理由は天候が悪い時や、短期の旅の時は、設営撤去の時間や、3~4日程度の旅に重い荷物をもって行きたくないから、というキャンパーと胸を張って言えないようなものだ。
だが、基本的に格好やメンツを気にせず、楽しく旅がしたいというのが大きな理由だ。その時の気分で、その日の寝場所を決めればよい。またそれは寝るだけではなく、その時の気持ちでリラックスできる環境を選ぶという事だ。
テントを張る場所として、圧倒的に比較にならない程張っている場所は、やはり開陽台だ。そして、宿という形で一番世話になっているのが、弟子屈は札友内の「鱒や」。憧れである、>リンダル・シーダー・ホームズの建物が、これも夢のようなロケーションであり、釧路川の側にひっそりと建っている。これ以上にない程素晴らしい建物であり、そこで過ごす時間というのは、一常連客として言うのは失礼だが、いつでも泊まれる別荘のような場所だ。
宿主さんとはもう10年以上の付き合いになる。最初に泊まる事になったきっかけは、シェフから誘われた為だった。94年の秋、開陽台ハイジーの家の閉店後、宿に停まろうとしているとシェフが自分が泊まっている宿をと、紹介してくれた。
北海道の宿といえばユースホステルという時代だった私が旅していた時代、ユースは色々な意味でルールが多く、ユースを開きたくても条件が伴わず、認可されなかった宿が多くあった。今ではユースはそれぞれの特色を出し、基本的にアルコール禁止で食事も質素で食器の片づけもする、という事も少なくなった。その流れの中には、きっと「とほ宿」と言われる宿泊施設が増え、旅行者のニーズにあわせて低価格で、ただ泊まるだけでなく付加価値を期待する旅人が増えた事もあるのだろう。鱒やもそのとほ宿のひとつに分類される。
とほ宿の殆どは、元旅人が経営している。日本中を旅し、北海道に移住して宿をはじめた人々だ。だからこそ、個性的な宿が多く、スタイルこそ男女別相部屋なのだが、今では個室も調整可能だし、食事や風呂などに魅力を持つものもあって、ただ宿泊するだけではなく、連泊する事でその宿での時間を楽しむ旅人も少なくない。
鱒やはその中でも少々異質だ。オトナの宿と言うのだろうか。食事も例えばジンギスカンや寿司が食べ放題とかいうようなお金のない若者をターゲットにしている特色ではなく、素朴だが地の素材を生かし、量も充分な季節感のある丁寧なメニューだったり、まずそう簡単には泊まれない、リンダルの建物だったり、目の前に流れる釧路川を眺める事のできる、特色のあるリビングだったりと、私からすればここでしか味わえないリラックス感を目的に、季節を問わず訪れるようになった。値段も他の宿からすれば、少々お高いのだが、私からすれば納得できる範囲なのだ。
鱒やの近くには、由や友人が多くベースにしていた和琴民営キャンプ場がある。また私がベースにしていた開陽台からみても、1時間程度の距離だ。最初、シェフに誘われなければ、弟子屈に宿を取ろうなんて考えもしなかった。しかし今で宿として利用しているのは、上に述べたような快適な時間を味あわせてくれるからである。
宿主さんは釣りが好きで、釣り客へのフォローと、夏や年末年始、流氷の時期に現れる旅人を相手に、その才能を発揮して満足感を与えてくれている。驚く程若い頃に色々な経験もされてきていて、話を聴くだけでも面白い。それがリピーターを生み、質のよい客を呼び込むよい循環になっているかもしれない。
昨年は台風通過を、鱒やに3連泊してやり過ごした。友人の和琴で行われた結婚式の当日の夜も、激しい嵐で鱒やに世話になった。春の山菜の時期は今日泊まっている彼と共に、タラの芽やコゴミやウドを沢山取って、天ぷらを食べた。
今その宿に、私の親しい友人が彼女をリアシートに載せ、初めての北海道ツーリングで宿泊している。先程電話があり、彼女は新しい出来事に刺激を受け、またいきなり初対面の私を電話に出され、異様に緊張しているようだった。きっと、二人は明日は中標津の某丘方面か、釧路・根室方面へ日帰りだろう。まだ付き合って間もない二人は、遠慮がちにそしてお互いを気遣う中で、あの場所が持つ独特のロケーションが手助けし、よい思い出になるに違いない。
その思い出の中に、泊まった宿が大きく記憶に残る。あの宿でのあの時間をまた味わいたくて、また旅に出る事になるだろう。私達と同じように。
今年はくー連れなので泊まれないが、挨拶には顔を出そうと思っている。
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