丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

新天地へ渡る方舟

yonkichi, · カテゴリー:

日本は北海道、本州、四国、九州という4つのまあいわゆるちょっと大きな島と、沖縄や小笠原、五島や隠岐などの小さい島が集まっているのが日本だ。その中でちょっと変わった気候をもった、巨大な島、それが北海道だ。
当時都会育ちの私にとって、北海道はそれは遠く、広く、まったく想像がつかない場所だった。しかし、いろいろな雑誌や話を聞くうちに、行ってみたい場所として一番気になる所だった。それはやはり「日本離れした風景」というようなコピーから来るものだったのかもしれない。
日本らしさ、というのは何なんだろう。私はそれまでせいぜい関東近郊、母親の実家のある釜石周辺などに電車や車に乗せられて行った程度だった。まだまだ日本っていう所を殆ど知らない。いや、まったく知らないと言ってもいい。それこそ、どこだって自分にとって未知の世界だった。
実際には四国まで自走する旅が私のロングツーリングの最初経験となったのだが、同時に睡魔と2ストロークの微振動との戦いだった。目的地となる四国までは、ひたすら移動する。走り、ガスを入れ、走るの繰り返しだった。それが楽しいかと訊かれたら、私は正直嫌いではないのだが、好きでもなかった。それよりも、四国の海岸線や山の中を走り、セルフうどんやオデンを食べ、アイスクリンを舐めながら歩く旅が好きだった。
四国は美しい島だった。細くまがりくねった道、地図でみれば小さい島なのだが、ちょっと海から内陸に入れば、ものすごい深山幽谷の先に、それはそれは美しい川が美しい森の中を流れていた。こんな風景は私はみたことがなかった。そう、ワクワクした。旅する事がどれだけ自分にとって、魅力のある世界なのか、いかに自分がまだまだ無知な小さな人間なのかが痛いほど感じられた。
こんな世界を知らなかった事、昔自転車で秩父まで旅した時のように、辛いだけの思い出しかなかった時には感じられなかった。そして私は北海道に行く事を決心した。
北海道に行くには、自走が基本なのだろうが、どちらにせよ船で渡らなければならない。であれば、有明埠頭から出ているフェリーで行く事に興味を持っていた。そう、どこでもドアではないが、扉をあけた先に新天地が広がるように、長距離フェリーに乗っている間、とても長い時間をかけて目的地に着く事が、遠くに来たという気持ちを高めてくれる。それが船という海に浮かぶ乗り物に、自分の愛車と共に乗る訳だから、妙にワクワクするのだった。
自走で行くのであれば、四国までの往復の再来だ。やはり島国ニッポン、船に乗る事で日本を感じられるはずだ。それが30時間もかける事が、どれだけ遠くの新天地に届けてくれるのか、想像するだけで楽しいじゃないか。
私はそのノアの方舟とも言える、自分を新天地に届けてくれるフェリーが大好きだ。航路は減ってしまったが、今でもこの船に最初に乗った事が、私の運命だったんではないかと思っている。
その船は、近海郵船の「さろま」と「まりも」。私のフェイバリット。
20050511.jpg

親切との出会い

yonkichi, · カテゴリー:

旅先で人の親切にあう事は、とても嬉しい事だ。親切にもいろいろな種類があるのかもしれないが、それが困っている時に差し出された手であれば、尚更深く心にしみるものだ。町中を歩いていて、親切にあう事もごく稀にあるが、旅の中の出会いだと特にそれが感じられる。
初めての北海道ツーリングの時、もともと2人で行く予定だったのが、相棒は都合で行けなくなり、私が一人で北海道に向かった事は以前書いたと思う。そのツーリングでは、不安だらけのソロ・ロング・ツーリングだった。天気もあまりよくなく、テントは持たずにシュラフだけだった事から、宿になるような無人駅や安い宿を夕暮れになると探していた。またキャンプ場でもバンガローがあればそこでもよかった。
布部駅でSTB(ステーションビバーク)後、えりも方面に向かって走っていた。日高のあたりでバンガローのあるキャンプ場を探そうと思っていたが、いかんせん地図もいい加減なものだった事から、情報がなかった。ケンタッキーファームという所が、以前テレビかなんかでみかけていたので向かうが、あまりに高くて撤退。適当な寝床がみつからないまま、浦河という町までやってきた。
浦河ですっかり陽が暮れてしまい、駅前まで行ってビジネスホテルを旅行案内所で紹介してもらおうと思ったが、そんな施設もなかった。途方に暮れて港の方まで行って、軒下で寝ようかと思っていると、目の前を白バイがバイクを停めるように、おかもちを着けたカブが前に割り込んできて左手を斜め下に向けてとまった。私も何だかわからないうちに停車し、シールドをあけると、そのカブの人が降りてこちらにやってきた。
見た目はどうみてもそば屋の配達の人だ。結構年配のオジサンだった。
「オマエ、何をやってるんだ?」
私はこう答えた。
「いえ、泊まる所を探しているんです」
しばらく私のフルフェイスのヘルメットで見えにくい顔を覗き込んでいたが、こう言い放った。
「ついてこい」
カブに跨がり結構な勢いで走り出した。私はあわててシールドを降ろし、浦河の裏道を走り出した。
しばらく細かく曲がりながら走っていると、とある建物の前に停まった。私もその後ろに邪魔にならないように停め、イグニッションを切った。すると、そのオジサンはさっさと建物の中に入っていってしまった。
私はどうしていいのかわからず、とりあえずヘルメットを脱ぎ、握力がなくなりつつある手にへばりついたグラブを時間をかけて取った。すっかり真っ暗で、さてどうしたものかと不安は消えず、まずはその建物を覗き込んだ。その中は4人も座れば一杯のこあがりと、カウンター席だけの中華料理屋だった。いつのまにか、さっきのオジサンはカウンターの中に立ち、2~3人座っているお客に何か話しかけている。
ぼーっと突っ立っていると、いきなり「こっちに座れ」とぶっきらぼうに言われた。仕方なく周りに普通のお客さんがいない席を選んで座ると、目の前に山盛りの餃子が置かれた。「腹へったろう。食え。」と言われ、妙な雰囲気だが私はとても空腹だったこともあり、焼きたての餃子をむさぼり食べた。
料理を作りながら、少しづつ話をしてきた。どこから来た、とか、何日目だ、とかいう話だ。餃子をたいらげると、今度は野菜炒めのようなものが出てきた。山盛りのご飯と共に、これもすぐに平らげてしまった。この頃には泊まる場所の不安もあったが、まあ港の方で野宿でもしようとある程度覚悟がついていた。それよりも今、暖かくておいしい食事にありついている事が嬉しかった。
食べ終わってしばらくすると、他のお客さんもいなくなり、そのおじさんが横に椅子に座った。そして、この時は想像もしていなかった言葉をもらった。
「今晩泊まる所がねえなら、ここに泊まれ。こあがりで寝ればいい。」
本当に信じられない言葉で、これほど嬉しい出来事はなかったと思えるほど、感動してしまった。旅先でこのような親切に出会った事はなかった。私は一旦は覚悟していた見知らぬ土地での野宿から解放された事で、安堵感からよほどほっとした顔をしたのだろう。そのオジサンがビールを出してきて、こあがりに呼ばれた。
そのオジサンは蒲田さんと言い、店の片隅に地元の新聞の切り抜きが張られていた。どうやら、旅で困っている若者を一宿一飯の恩義を与えてやっている人で、何度か取り上げられていたらしい。でもこうも言っていた。
「誰でも泊める訳じゃねえ。オマエは面白そうな奴だったからな」
そんな会話もしていないのだが、雰囲気やその言葉使いがそうだったらしい。その後、どんな旅人が来たかとか、どういう旅をしてきたかとか、自分の将来の事、浦河という町の話などを遅くまでひたすら話をし、その後こあがりで自分のシュラフを出して疲れと満腹感と酔いで深い眠りについてしまった。
明け方に目がさめると、蒲田さんは既に厨房で仕込みをしていた。そして朝からだが、ラーメンを出してくれた。
「俺のラーメンはうまいぞ。札幌とかじゃ、みんな化学調味料だ。ウチはそんなもん一切使わない。全て自家製だ。食ってみろ。」
その塩ラーメンは本当においしかった。言っては悪いが、こんな人が立ち寄りもしない町の中に目立たないようにある中華料理屋だが、本当に今まで食べたラーメンのどれよりも、深い味がした。
感謝しきれないほど感謝を表せるだけ表し、私はこの店を去った。その翌年、日本縦断の旅の中、北海道に入ってまず目指した場所は、この中華料理屋だった。1年ぶりの再会を、蒲田さんはとても喜んでくれた。そして、うまいラーメンを食べて、色々な話をしたあと、また旅を続けた。
蒲田さんはその後、ラーメン屋を閉め、ガイドをされていたようだった。毎年の年賀状で連絡だけはしていたが、いつの年かぱったり来なくなってしまった。その後、怖くて浦河を通る事ができていない。
あのラーメンの味、初めての北海道、それもソロツーリングで出会った素晴らしい出会い。これもソロだったからこそ出会えたのだと思っている。いつかまた立ち寄って、蒲田さんを探そうと思っているが、いつのまにか短い旅のスケジュールで調整がつかず、おざなりになってしまっている自分が少々情けない。しかし蒲田さんならきっと、元気に何かに打ち込まれているのだろうと信じている。
写真は1987年、3年連続3度目に立ち寄ったその中華料理屋。
20050508.jpg

ハイジーの家WebSite

yonkichi, · カテゴリー:

ようやく作っていたサイトをオープンした。旧サイトからはリダイレクトの仕組みで新URLに飛ぶようにしたり、旧掲示板に書き込みができないよう、perlのプログラムをいじくったりしているうちに、お昼になってしまった。まあ訂正やら不具合やらが出てくると思うので、今日はこの関係のフォローかなと思っていたが、実際はまだ少しかかりそうといった所だ。
昨晩、かあさんの自宅がインターネットに繋がらなくなって確認ができないという携帯メールが届いた。どうやら地場のISPが、市外局番の桁数変更により、5/1よりアクセスポイントの電話番号が変わる事から、これをきっかけに接続ができなくなってしまったようだ。同時にユーザIDやらパスワードやらがわからなくなってしまったとかで、問い合わせ先情報などを伝えて、そのまままだ連絡はない。こういう時、近くにいればちょっと設定しに行ってあげられるのだが、なかなかそうはいかない。
中標津在住のともさんに、公開前のサイトを簡単にチェックして頂き、とりあえず今日オープンおよび旧サイトからの引っ越し設定を行ったので、これではれて一区切り、といった所だろうか。既に修正が必要な部分がちょこちょこ出ているので、これについては申し訳ないが気長に対応していければと思う。
そのサイトは、こちら。丁度、今週末は母の日だし、かあさんには20周年と一緒にプレゼントという事でご笑納頂けるだろうか。
開陽台ハイジーの家 -Official Website-
開陽台ハイジーの家は先日4/29に今シーズンオープンを迎えた。10月末まで約半年、女性だけのスタッフで店を切り盛りする。昨年は丘にあがる事ができなかったが、今シーズンはなんとか行きたいと思っている。今年は由とくーを連れて、丘で幕営できればいいなと思っている。
丘の物語を、自分のウェブサイトのコンテンツとして、作品化したいという事は、実は昔から思っていた。当然その中には、ハイジーの家が出てきて、かあさんも出てくる。基本的にノンフィクションで、そして少しだけストーリーに色をつけて、なんて思っていたりする。私にとって、自分のツーリングライフを語る上で、どれも重要な要素を持っているのは確かなようだ。
写真は、駐車場脇のハイジーの家。ベランダから丘をおりる私に、かあさんが手を振ってくれているシーン。また丘に戻ってくる日まで…
20050504.jpg