丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

冷たい雨

yonkichi, · カテゴリー:

今日も冷たい雨が振ったりやんだり。朝6時すぎに家を出ると、何とか傘をささなくても歩ける程度の小雨が降っていた。長年使っているモンベルの折り畳み傘をバッグに入れ、バス停に早足で向かう。水溜まりをタクシーが遠慮なくはねて行く中、バスを待つのはあまり気分のよいものではない。
毎日、行きはバスを2本乗り継ぎいだあと、電車に乗り、職場へ向かう。帰りはバス1本分を少し早足で時間をかけて歩くようにしている。あまり効果はないかもしれないが、ささやかな運動のつもりだ。電車だけで通勤する場合は、バスを使う以上に歩かなければならないだけでなく、とにかく日本有数の乗車率を誇る電車でもある事から、とにかくストレスがかかる。それならば、少しばかり時間がかかったとしても、バスを使う事でちょっとした旅気分を味わいながら、本を読んだりパソコンを打ったりしながら過ごす事ができる。
雨の日は窓が結露して、なかなか外をみる事ができない。手のひらで少しばかり結露面をぬぐい、その間から雨に煙る町や、行き交う車をぼーっとしながら眺めているのも嫌いじゃない。何を考えている訳でもなく、ぼんやりと目線を雨の町に向けているだけだ。
雨の中、バイクや車で旅をしていると、休憩をとらない訳にはいかない。といっても休憩が多い訳ではなく、逆に休憩する回数は極端に減ってしまう。人間の生理現象で、トイレや食事などで仕方なく休憩を取る時は、結構さあて停まるぞ、とか、さあて走るぞと気合をいれなければならなくなる。
そんな時に写真を1枚、とっておくと後でその時ぼんやりと休憩していた時間を少しだけ思い出す事ができる。時にはレインウェアを着脱する事であったり、我慢していたトイレだったり、手がかじかんで動かなくなっている手で、濡れないようにカメラを取り出し、結露しないように気を配りながらシャッターを押す。コンパクトカメラだと、ピントが雨だれのついた窓にあってしまい、撮影した意味がなくなってしまう事もよくある。マニュアルフォーカスのあるカメラがやっぱりいい。
暖かくというか暑くなったあと、また冷たい雨にずっと降られていたような感じがする。日中はオフィスの中にいるが、ちょっと銀行に行こうと思い外に出ようとロビーまで降りると、激しく横殴りの雨が降っていた。海にかこまれている場所なだけに、風が強く雨が降ると傘が役に立たなくなってしまう事が多い。
海沿いは風が強い。高知の中村から室戸岬までや、日本海の親不知周辺、増毛から留萌、羽幌あたりまでのオロロンライン、稚内から網走までのオホーツクラインなどが、経験上強い印象として残っている。冷たい雨の中、結露したバスの窓を見つめていると、旅先での雨の情景を思い出すのは、一種の現実逃避か、はたまたデジャヴか…
写真はわかる人にはわかる、宗谷岬駐車場脇のみやげ物屋の中から。雨に濡れる我が愛車が凍えている。オーバークール気味な夏だった。
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道は繋がっている

yonkichi, · カテゴリー:

道というものは、必ずどこかにつながっている。そう、自分の家の前の道でさえ、海に遮られる事はあっても、フェリーの航路でつながっている。自らタイヤというゴムの固まりが転がりだせば、一筆書きよろしくアスファルトやコンクリート、砂利や土というように路面状況は変わろうと、必ず地球上の殆どの場所へつながっている事になる。
自分の足でも、それは同じ。地球上のどこだって、航路さえつながればどの大陸でも行ける。飛行機という空の航路でさえ、つながる事になる。不思議なもので、それが自転車やバイクという乗り物と出会う事で、突然自分の前に扉が開かれて誘われるが如く、どこまでも行ってみたくなるものだ。
旅をするようになって、どこに行きたいという事でもなく、とにかく走りまわる事に魅力を感じるようになった。ブラインドコーナーの先にある風景は、どこも違うものだった。港町でも、それは同じようでいてどの海の表情も違っていた。出会う人も当然ながら、一期一会であり、その場所にしかいない人との出会いだった。
週末やちょっとしたまとまった休みになると、泊まりがけで旅に出た。関東近郊から、初めてのロングツーリングだった四国へ。四国への旅は、神戸までの距離が辛く、そして新鮮だった。睡魔との戦いと、慣れない前傾姿勢による体のきしみや、微振動から来る手の震えなど、辛い事ばかりだったが、これほど遠くまで旅に出た事はなかった事や、六甲の夕陽や瀬戸内の夕暮れと朝もや、黒潮寄せる海の美しさ、食べ物の美味しさなど、素直にこれまで見たことのない日本がそこにあった。
しかし自分がどこを目指しているのか、どこに行きたいのかよく分かっていなかった。その場所がおぼろげに見えてきたのが1985年。
最初は網走の農場に住み込みで働いた時に、その場所に訪れた。それはあきれる程まっすぐな道と、変わらない風景の道東。この場所はバイク乗りとして知っていたが、本当は初めてはバイクで来たかったという気持ちの方が強く、何故か意識がこの場所に訪れる事を拒否をしているような感じだった。この時、車の免許も仮免許で、仕事のあい間に農場の人が少し観光をさせてやろうという配慮からの訪問だった。天気は霧。何も見えなかった。
その夏の終わり、本当はバイク仲間と来る予定だったが、都合により私一人だけの旅になってしまう。私は半分意地になってソロで初めての北海道を走る決心をし、有明埠頭までの道を走った。すると、苫小牧行きの船は昨晩出航してしまい、今晩は出ないという。私の行くべき道はここで終わっていたのか、思ったが、窓口の人は釧路行きが出るという事を教えてくれた。
元々時計まわりで北海道を一周しようと思っていた予定を、私が走るべき道は反時計まわりで行けと言ってくれたようだった。それから始まる私と近海郵船というパラダイスへ続く海路との長い付き合いが、この日から始まったという訳だ。私はさろまという船に乗り、夜半に東京湾につながる海上の道を船と共に走り始めた。
釧路西港からは、地図もよく見ないまま、釧路市内を迷いながら走り、R44に出る。そしてR272を走り、2度目の開陽台へ。やはり霧に迎えられたが、霧が風に吹かれた時、一瞬だったがこれでもかと広がる根釧原野をみる事ができた。この時、この場所に来る事は私にとって重要な意味を持つなんて思ってもみなかった。
丘を降り、そこにつながる道はとても有名な道だった。多くの人が写真を撮り、その場所に来た事を楽しんでいた。道の勾配がとても美しく、天へと続くように見えるまっすぐな道。なぜか、まわりには誰もいなかった。ここまで、自分のバイクで走って来た。それは自分の家から、この道も繋がっている、という事だ。
道というものは、途切れているものではない。必ず行き止まりでも、ループ橋でも、どちらかは繋がっている。そこの上を走る旅人は、当然ながら必ず出会うものなのだ。
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暑いと思い出す島

yonkichi, · カテゴリー:

暑い…今はまだ4月のはずじゃないのか?という言葉を口に出してしまう程の暑さ。東京は24度もあったらしい。本当におかしい天気だ。季節というものがどんどん境のズレをひろげ、いつしか生き物への影響が大きくなり、人類滅亡となる日も近くないのか…そういえば、開陽台の一番古い友人、S兄の子供の頃の夢は世界征服だったな。と意味もなく思い出してみる。
昨日は何だか相当気分がダウンしていて、愚痴っぽい日記になってしまった。今日は少し回復し、この気候もあって例年この時期に夢みる八重山の事を思い出した。今月末から一般サラリーマンにとって大きな連続休暇、ゴールデンウィークだ。八重山など飛行機でいかねばならない場所に安くそして確実に行く為に、発売日の朝から八重洲のANAやJALに並んだ事もあった。そして、しっかりと島を楽しんできたものだ。
八重山の旅の4度のうち、3度は出発した日の午後には、日本最南端の碑の前に立っていた。大抵初日に波照間に入り、2~3日ゆっくりして、一旦石垣に戻り他の島に同じような日数をかけて滞在し、後半は米原キャンプ場にテントを張り、バイクでうろうろするというのが定番だった。与那国は当時まだ飛んでいたYS-11で往復したが、他の西表や波照間、竹富などは全て高速艇だった。それもなぜかあんえい丸の航路があれば必ずあんえい丸に乗った。ファンキーな乗り心地を選ぶのは、友人の話があったからこそ。実際他の船会社のどこよりも、船長が海人っぽいから好きだ。
沖縄と八重山は私の中ではまったく違う。完全に言い分けている。八重山はそう、パラダイスのひとつだ。沖縄は沖縄であり、パラダイスとは違う。北のパラダイスは和琴という意見が私のまわりには多いが、不便極まりなく自然環境の厳しい我が開陽台こそ、パラダイスだとは思っている。要は私のお気に入りの地の事をそう呼んでいるとも言える。
北海道も八重山も、深い苦しみを持った歴史をもっている。一応、いろいろ歴史本や関連の話をみたり聴いたりした上で、八重山には向かう事にした。その中で、椎名誠監督のうみ・そら・さんごのいいつたえは石垣は白保に行ってみたいと思わせるには十分だった。
原付バイクで白保に行き、近くの雑貨屋でオリオンビールを買い、1日中海をみていた。たまに地元のオジーが小さいサバニを出して漁にでかけて行ったり、戻ってきたりしている位で、人も少なかった。リーフに砕ける白波が、はるか向こうで音をたてていた。そして、たまに空の上を石垣空港に着陸する飛行機が通過していく。いくらビールを飲んでも酔った気がしない。
大浜にある1771年にあった大津波で地上に残った津波石がある、という話を聴いて、見に行った。とてもそれが海底から陸に打ち上げられた石とは思えない大きさだった。そしてその岩を拝む、オバーの姿も見た。海と共に暮らす八重山の人々と、その歴史中で培われた信仰心というものに、感動すらおぼえた。島に引き込まれるきっかけになった最初の八重山の旅の出来事だった。
ゴールデンウィークとはいえ、日差しは強烈だ。噂には聴いていたが、バイクを走らせていると涼しい為、腕を出して日焼けしていても、暑いというより心地よかった。それがあとで大変な事になろうとは思ってもいなかった。八重山に入ってから毎日太陽にあたっていた事もあるが、バイクで石垣島一周や与那国島一周をしていた関係で、ハンドルに手をおいた形で、太陽があたる部分だけが酷い日焼けをしてしまう。皮がむけたあとにまた日焼けをし、完全に火傷状態になり、シャツすら着るのが厳しい状態になってしまった。
写真の白保でのまる1日海を見ていた時に、とどめを差してしまったようだ。帰ってから両腕の火傷で大変な事になり、引き続き会社を通院の為に休んでしまう。地元の人はまっ昼間に決して半袖を着たり不用意に肌を露出しない。まったく情けない状況になってしまった…
そろそろ八重山への旅の季節。でも今年もゴールデンウィークは旅に出たとしても近場になりそうだ。また是非、八重山を旅したい。
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