丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

レイン・ラン

yonkichi, · カテゴリー:

旅をしていると、雨の日も当然ある。
期間的に余裕があれば、移動を中止してテントの中で本を読んだり、音楽を聴いたり、ときにはフライシートを叩く雨音を聴きつつ、昼寝をしたりするのだが、どうしても移動しなければならない時は、撤収に時間をかけて、完全装備で走り出さねばならない。
ロングツーリングで雨に降られる事は少なくない。その中で、過酷な状況という例で言えば、台風の中オホーツクの海岸線を走ったり、室戸岬を超えたりした事もあった。しかし不思議とそういう時はそんなに憂鬱な気分ではないものだ。
これでもか、と雨が降る日に、移動を初めてしまえば、案外ヤケになっていつしか笑みが浮かんでいる事もある。大声で笑いながら、土砂降りの中を奇声をあげながら走ると、妙に気分もすっきりするものだ。
雨の四万十川の河原、口屋内でテントを張っていた時は、折り畳み傘を差して沈下橋を渡り、雑貨屋に意味もなく買い物に行ったりした。上富良野では朝からの雨で諦め、やはり傘を差して駅前の銭湯までいき昼間から風呂に入り、そのまま勢いで1駅、富良野まで電車に乗り食事をして帰ってきた。その地でぶらりと散歩をする時は、雨でも楽しめたりする。
一度走り出すと、休憩するのが億劫になる。お店になんか入ろうものなら、軒を探してレインウェアをはぎ取り、レイングラブを取るのだが、手がかじかみ髪はベッタリでとても屋内に入るには度胸がいる。完全装備とはいいつつ、完全に防水は現実にはできない。必ず隙間から、結露して内側から濡れてしまうものだから、湿り方はどうしようもない。
一昨年の夏、雨が降っていたが、幌加内のそばが食べたくて美瑛から朱鞠内に移動した。道の駅ほろかないに併設されていた温泉で2時間ほど時間をかけて体を温めた。またレインウェア着るのが嫌だったが、普通のお店に入るよりも格段にリラックスできた。
この写真は、天塩付近のぼろぼろのバス停。殆ど3時間走りっぱなしで冷えきった体をどこかで温めたかった。北海道を走った事がある人ならお分かりの通り、海岸線というのは北海道は率直に北国の厳しいイメージで、さびれた番屋や、防風の為の色が抜けきってすっかりモノクロになってしまった板が打ちつけてある壁のようなものが点在している中、民家が申し訳なさそうにポツポツと建っていたりする。その中にまさに風景に溶け込むように建っていたガラス窓さえついていないバス停で休憩を取った。
扉も窓も素通しのこのバス停で、ガソリンストーブに火をつけて手を温めた。雨が横殴りに吹き込んでくるが、少しづつ感覚が戻ってくる。
外には申し訳ないが中に入れられない、私の愛車、SRX-4が窓から見える。しみじみと相棒の写真を1枚、撮った。
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丘の表情

yonkichi, · カテゴリー:

1986年夏。この頃私は大学生活を送り、アルバイトとツーリングに明け暮れていた。そして高校時代から温めていた日本縦断に出る為に、着々と準備を進めていた。
夏休みをフルに使い、いやフルどころかオーバーしながらの約2カ月間、すっかり旅の中に身をまかせた。別に長い期間ではない。友人にはそれこそ4月から10月までずっと丘の上でテントを一度も張りなおさずにキャンプ生活をしていたり、それこそ渡りのように何年も旅を続ける知り合いも少なくはない。
こうしている今も、定職に就かず、あの頃みんなが持っていた旅人の精神を保ったまま、生活している友人もいる位だ。私はそれこそそれまでの人生で、同じ考えを持つ友人を持った事がなかった。上っ面だけではなく、そう、ポリシーとも言えるもの。その波長があう人々と大勢出会う事ができたのは、ロングツーリングに出たからだとも言える。
7月の下旬、前期試験が終わった翌日に有明埠頭にレザージャケットを荷物に積んだSRX-4と共に居た。丁度台風が来ていて、通常48時間で到着する予定だった那覇には、56時間を費やして夜に到着。いきなり銀マットを敷いてゴロ寝をした那覇新港。レザージャケットはこれから少しづつ北上し、9月に北海道を走る為のものだった。
正直、沖縄・九州・東北以外はあまりウェイトを置いていなかった。早く北海道に入りたい、早く丘に上がって、ほっとしたいと思っていたのかもしれない。でも途中、球磨川の支流で泳いだり、山口で味のある喫茶店で1日ゆっくりと過ごしたり、九頭竜湖の近くの清流の美しさと静けさに日が暮れるのも忘れて座り込んでしまったり、乳頭温泉郷のダートの奥の秘湯でランプ照らす露天風呂から天の川を見上げたり、いろいろな素晴らしい出来事や出会いがあったのも事実だ。
北海道へ向かう足を早めさせたのは、やはり私に何かを与えてくれる地なのだろう。全都道府県を走破する事で、その気持ちを確かめたかった。少なくとも日本をこの目で一通りみておきたかった。海外にいずれ行く時が来ても、日本を知らない日本人ではいたくなかった、と偉そうな事を当時言っていたが、本気でそう思っていた。
函館から北海道に入った後、それまでよりもゆっくりとしたペースで、時計まわりにゆっくりと道東に入った。中標津にはまだその当時、道々をよく知らず、国道沿い(今はバイパスが国道になり、町中を貫く道は道々になってしまっている)のコスモ石油の十字路を曲がり、町役場を抜け、中標津空港沿いから左手前方に開陽台をかすかにみながら向かう。
沖縄から走り続けてきた私にとって、目的地が近づく。空は去年と同様、どんよりとしていた。まだ晴れた開陽台を見た事がないが、高揚しつつ細い丘へ登る道を上がっていくと、そのままトイレ横の側道に乗り入れ、一気に丘の上まであがる。
丘の上はやはり霧に包まれていた。しっとりと芝を濡らし、霧が生き物のように流れる中、残念な気持ちでテントを早々に設営し、荷物を放り込み、まだ昼過ぎだというのに長旅の疲れも溜まっていたせいか、眠ってしまった。
しばらくして、テントを設営していた時に少し話をした旅人がテントを叩いて私を起こした。今自分がどこにいるのかがわからないまま、出てこいという言葉のままテントから外に出てみて唖然とした。
空は真っ赤に焼け、素晴らしい夕陽だった。雲が輝き、武佐岳が照らされ、オホーツクまや根釧原野まで視界がひろがり、見事なまでの夕陽だった。太陽が西別岳の向こうに消え、星空が少しづつと現れてくるドラマティックな景色を、ずっと立ち尽くして眺めていた。
あたりは真っ暗になり、漸く知り合った旅人たちとまともな会話を交わしはじめた。ランタンを灯し、電線ロールのテーブルでささやかな食事をしながら旅人同士のありきたりな会話を楽しんだ。この時間がやっぱり心地よい。この場所が私にとって何より大事なんじゃないかと思いはじめていた。
ふと空を見上げると、恐ろしいと思えるばかりの星空。雲ひとつない星空で生まれて初めて見たもの。それは地平線から地平線へ続く、天の川。プラネタリウムではない、まさに今この目でみている星空が教えてくれるものは、この満天に輝く星のひとつに私も居るという事だ。ランタンを思わず消した。
丘に吹く風は、霧を飛ばし、夕陽と星空を連れてきてくれたのだ。
翌朝、太陽が国後の端から登るとテントが蒸し風呂になる。フライシートをあけ、ピーク1に火を入れ、コーヒーを沸かす。湯気の先に、輝くオホーツクと国境が霞んでみえた。
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愛するコロラ

yonkichi, · カテゴリー:

ネパールネタをもうひとつ。
ネパール人はものを大事に使う。インド人もそうなのかもしれないが、私はインドには行ったことがないからわからない。
バイクで一番メジャーな車種は、インド製で、ヤマハと技術提携して作られたエスコット100。形もエンジンも私はRD90がベースではないかと思った。ただ、妙なのはエンジンガード。極端に張り出したステンレスパイプの大げさなものが取り付けられているケースがよく見受けられた。
また車は1970年代のトヨタが、30年近く経ったあとの1998年前後にもまだまだ現役だった。当然排ガス規制も入っていない、鉛の入ったガソリンで動くエンジンが搭載されているモデルだ。このエンジンが吐き出す黒煙やインド製や中国製のトラックなど、体に有害とされる排気ガスをまき散らしてカトマンドゥは世界有数の大気汚染が進んだ町とも言われてしまっている。反面、この古いカローラやスプリンターが現役で活躍しているのを見て、あらためて日本の工業製品の優秀さを感じてしまった。
ネパールではこれらの車にタクシーとかいう文字が書かれている訳ではない。車を持っていれば、いつでも気が向けばタクシードライバーになるものらしい。試しに車が走っていて手をあげれば、停まってくれるとの事だ。値段は当然、カトマンドゥ市内にその頃走り初めていたメータータクシーのような装置はなく、交渉次第だった。
現地では基本的には路線バスで動いていたのだが、さすがにポイントでタクシーを使った。移動中に周囲に何もない所でエンジンが停まり、ノープロブレムと言いつつボンネットを開けてしばらくしていたが、戻るなり、ガス欠だったという事を言うとおもむろに走り出した事もあった。どこからガソリンを調達したのか謎だ。
また、道ばたにドライブシャフトが折れて、車の下にぶらさがっていた車も、下に人がもぐるなりまた走り去っていったり、どんな故障が起こっても、修理工でもないのにその場で治してしまうのも別に普通の事のようだった。
中古、それもボロボロのカローラでも、彼らにとってそう簡単に手に入れる事はできない。即金で買ったというような人はまずみかけなかった。乗りながら、タクシーをしながらお金を支払い続けている、という人が殆どだった。世界でも最貧の国に属する彼らだが、笑顔と心からの親切はとてもそうは思えなかった。
あのそびえるヒマール、高低差が6000m以上ある山々が見下ろす町で、今もきっと毎日を幸せに暮らしているのだろうか。チベット仏教と神々しい山々が与えてくれる豊かさ、貧しさよりも心の豊かさが勝る人々の住む国へ、また行きたい。
彼らの「コロラ」という車の呼び方ひとつとっても、気持ちを和やかにさせてくれる。
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