丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

異国でのくつろげる時間

yonkichi, · カテゴリー:

ポカラの話が出たので、もう1つ。
ネパールでは今、ギャネンドラ国王を中心にした国政に問題があるようで、混沌としている。私が訪れた時は平和そのものだった。しかし、現国王がクーデターを起こし、新国王となってから、ネパール人の友人もあまりいい事を言わない。
私たちはネパールはポカラで、一人のネパール人と出会った。日本語が堪能で、とにかく親切。まあネパール人は殆どが親切だというのが実感なのだが、それまでタイでぼったくられたり、ガイドに載っていた手とまったく同じ詐欺をかけられそうになったり、相当警戒心が強くなっていた。
しかし、思い起こしてみれば、トリブヴァン空港から外にでると、いきなり大勢のネパール人に囲まれて身動きが取れなくなった。当然荷物をガードし、ノーといいつつ、国内便(この時、ポカラに飛行機で移動しようとした)のターミナルに向かおうとするが、「タクシー」「ホテル」という単語の中に「いいホテルあるよ」「安いタクシーあるよ」などの日本語も聞こえた。その時、1人のしつこい若者にザックをもっていかれたのであわてて私はずっと確保していたのだが、本当に単に国内便ターミナルまで無料で荷物をもってくれただけだった。
殆ど人の家の裏庭のようなポカラ空港のターミナルのゲートを抜けると、5人のネパール人が客引きに来た。もともと事前に調べていて、ダムサイドに歩いて向かったのだが、「遠い」「タクシー乗れ」などの客引きから、ホテルの部屋の写真をアルバムに入れて見せるものや、身分証明書のようなものを見せるものなど、多種多様だった。その中で1人、ちょっと離れた所でずっとついてきて、静かな日本語でポツポツと話かけてくるものがいた。
それがゴビンダさんだった。あとから知ったのだが、ゴビンダという名前はとても多く、日本でいう佐藤なみのようなメジャーネームだったようだ。しかし彼と私たちはこれがきっかけで友人になった。
彼は2度のポカラ滞在の間、親身になって世話をしてくれた。とはいえずっとべったりしていた訳ではなく、ポイントでとても頼りになり、またお金も余分に取る事はなかった。彼と出会えた事で、ポカラ滞在は数倍楽しいものになったのは確かである。
翌年の2度目のポカラでは何も連絡しないで、同じ名前のだがまったく別人のゴビンダくんという若い客引きに紹介してもらったレイクサイドのホテルに泊まったのだが、友人の方のゴビンダさんの事を話すと、翌日にはその話が伝わったらしく、本人がホテルに訪れてくれた。再会を私たちは喜んだが、彼は幸せそうな笑顔で日本人の女性と結婚をする事を嬉しそうに話してくれた。
ポカラでの滞在はとてもヒマラヤの麓の異国という感じではなく、もうすっかり懐かしい場所というような印象に変わっていった。おまけに日本で知り合った友人と翌日、中華料理屋で再会し、サランコットで新年を迎えようという計画があった事もあり、すっかり気分的にも落ち着きはらった休日を風光明媚なこの地で過ごした。
ある日の朝食。ペワ湖を臨むすっかりリゾートな雰囲気のテーブル。ここでもジャーマンベーカリーのシナモンロールがあって美味しく頂いた。好物のひとつなのだ。
旅に出たい。あの見上げると輝かんばかりの氷河が空に浮かぶ、ヒマラヤの麓に。
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お寺巡り

yonkichi, · カテゴリー:

今まさに友人がバンコクにいる。
とはいえ、古い開陽台の旅仲間が、もう長い事バンコク市内に住んでいるのもいるのだが、その友人は旅人としてこの3連休+αで旅をしている。彼は毎回旅先から手紙や電話、そしてお土産を届けてくれる。ありがたい事だ。
チャオプラヤー川の上、船からワット・アルンを撮影した映像が、リアルタイムで携帯に届いた。今は3Gの携帯ならこのような事も可能だ。携帯電話おそるべし。そういえば、中国は蘭州やモンゴルから国際電話がかかってきた時も、携帯電話の着信表示は「表示不可能」だった。
バンコクはトランジットでの1泊も加えると、6回程行っている事になるが、大抵日本は寒い時期なのであの蒸し暑さでぐったりしてしまう。安い飛行機だと大抵夜に到着するのだが、真冬の装備で向かうと湿度たっぷりで30度以上の気温が迎えてくれる。日が登ればさもありなん、といった所だ。
でもアジアに旅すると、遺跡やお寺をみてまわる事が楽しいのも確かだ。タイではまだバンコク近郊しかいったことがないが、中国でも台湾でもネパールでも、お寺は文化や宗教を感じるにはとてもよい場所だ。
ある年の日本でいう年末年始にネパールに行った。丁度ポカラで遅い朝御飯をダムサイドのジャーマンベーカリーで食べている時、バイクのパレードが目の前を通っていった。きいてみるとグルン族のお祭りがあるらしい。暇にまかせて場所をきき、ふらふらと町はずれまで行ってみると、その殆ど暴走族のようなバイクの集団がとあるお寺の前で停まっていた。どうやらそのお寺が会場らしい。
周囲を見回しても外国人は私たちだけしかいない。200~300人位が集まっているのだろうか、とにかく広いグラウンドのような所に大勢が思い思いの場所で食べたり歌ったり踊ったりしていた。傍らにあるお寺に入り、みようみまねでマニ車をまわしたり、カタを買って捧げたりして外に出ると、演奏をしながら踊っている集団があった。
そのリズムとメロディがとても心地よく、近くでぼーっとみていると、おばちゃんが駆け寄ってきて私たちの手を取り、壇上にあげられてしまった。そして、手拍子とサーランギが演奏する音楽で踊らされた。
いつまでも終わらない音楽だったが、とにかく私たちも現地の人も笑っていた。拍手をされて踊りが終わった時、なまりがあってよくわからないが、英語でお寺の修繕の為の寄付をと言われたので、幾ばくかのお金を渡すと、また踊りが始まった。何だか寄付の為なのかどうなのかわからないが、でも皆すごく無邪気な笑顔だった。
マイクで名前を聴かれた時に、どこから来たのかと言われ、日本と答えると、「オー、ブッディスト」と大声で言われ、また拍手がおこった。そうなのだ、真面目に接しているわけではないが、日本人は仏教徒として、彼らにとっても親しみ深い人種でもあるのだ。この時の事を今でも少し考える。チベットやネパールなどの人に同じ仏教徒と言われても、申し訳ない位に無知であるのは自分でよくわかっている。
その後、とりまとめをしているような身なりのいいグルカ帽をかぶったおじさんが、ダルバートをおごってくれた。もっと食え、と、どんどんよそわれた。座る場所も探してくれたり、大歓迎されてしまった。たいした寄付金も出してないが、私たちは楽しいひとときを過ごした。
写真はネパールで有名なカトマンドゥのモンキー・テンプル、スワナンブヤート。ここは強烈な階段の先にある。
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雨と雪の境目

yonkichi, · カテゴリー:

今日は朝早く起きてウェブの仕事をしようかと思っていたのだが、昨日からの頭痛がまだすっきりしないのと、妙に眠くて起きられなかった。
平日毎朝、5:40に目ざましをセットしているのだが、今日は当然停めていた。が休みでもこの時間になると一度目を覚ましてしまうのは、習慣というものなのだろうか。とはいえ結局2度寝して、くーに踏まれて眼が覚めると10時近かった。外は晴れているようだ。
遅い朝飯を食べて、洗濯をすると、空は一転雲に覆われてしまった。遠くには太陽があたっている建物もあり、こういう晴れの中に分厚い雲が移動する天気は、冬の北海道でよくあったように思う。そして、そんな天気の時は大抵雪が舞ってくる。
お昼すぎにやはり雪が降ってきた。あわてて干していた布団や洗濯物を入れようとすると、あれよという間に横殴りの雪が洗濯物に付着する。今年は雪原に行けないが、都心で雪をみる機会が妙に多いようだ。北東方面から大粒の雪が、多数部屋に飛び込んできた。
秋の北海道。某道東の丘にある喫茶店が、冬は閉店する為、閉店の宴が11月の頭にある。お店は4月のGW前まで展望台の施設も含めて閉鎖される。以前は展望台の外にそのお店はあったが、やはり同じ時期はお休になった。このお店とは、1986年にできてから、長い付き合いになっている。
その閉店の宴に出る為に、何度か北の大地を訪れた。道東はその頃、晴れる確率が非常に高い。案外梅雨がないと言われる北海道は、夏の期間雨が多く、また道東は霧も多く、冷え込む。霧の道東は風物でもあるのだが、やはりしっとりとまんべんなく濡れる霧は、バイク乗りにとって厳しいものだ。
晩秋というか、初冬と言える閉店の時期に、雪に降られた事は何度もある。しかし雨や霧になると体にしみじみと寒さが入り込んでくる。バイクで帯広経由で中標津に向かった時、昆布刈石のダートを走り、霧雨にやられた。気温は雪になるギリギリの2度。写真を撮ろうにも、視界も悪いし、何より停まってカメラを出す行為がまどろっこしい。ダートなんか入らず、R44をそのまま走ればよかった。いや、R272で丘に直行すればもっとよかったんじゃないか、と後悔しながら走った。
今日あたりの気候は、その頃の道東と酷似しているかもしれない。雪がそれをふと思い出させてくれた。
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