丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

貧乏キャンパー食

yonkichi, · カテゴリー: 食べ物

ちょっと重い話を続けたので、下らない話を。
若い頃、丘の滞在日数が長くなると、東武で安いものを買い込む事が多くなる。私も別に誰に聞くまでもなく、1986年から東武を愛用していた。その後、休業日に仕方なくA-COOPやヨーカドーを使ったが、9割は東武に向かい、何不自由なく買い出しをして丘に戻る、という事を繰り返していた。まあ途中お世話になっているバイクショップに寄ったり、風呂に寄ったり、るっくやタケウチカナモノなどに寄ったりするのだが、まあ東武は一番立ち寄る回数が多かった、中標津市内の施設じゃないかと思う。
ダイエー系なので、毎月1日は一の市が催され、100円均一のコーナーで必ず数品買い物をしたりする。その中で生ものを数日買い置きできない開陽台では、インスタントやレトルト食品を数点必ず買い込む、というパターンになってしまう。その時に妙に手が出るのは、安売りのホンコンやきそばとダブルラーメンだった。
マルタイの棒ラーメンなども安くなった時に買ったが、ウマイ訳ではなくて、とにかく腹をふくらませればよいというものだったと言っていい。朝っぱらから、インスタントラーメンも食べたが、やはりパンとコーヒーというのが朝のメニュー。お昼はハイジかラーメン、夜は米を炊いたりスパゲティを茹でたり、といった所だろうか。まあたいした食生活ではなかった。反面、シェフフクちゃんが居る時は、ご相伴をあずかる日も少なくなかった。明らかに和琴より土地柄もあって、食生活の水準は低かっただろう。
たまに痛んだ果物とかが半分で100円とかで出たり、賞味期限が近いデザートなどがちょっと贅沢だったが、何せお金をかけなかった。たまにお店で食べるものはちょっと豪華であったりするのだが、それも会社員になる前は貧乏だった。ハイジーでもライ亭しか食えなかった頃もあったが、ライ亭すら高級だったかもしれない。
貧乏な北海道の旅人は、きっとこれを食べた事があるだろう。それが、東京ではめったにみかけない、S&Bのホンコンやきそば。懐かしい思い出のメニューだ。
その愛着のある東武が、バイパスの方に移るらしい。中標津も随分変わっていくが、旧国道沿いへの愛着の方が、個人的には強い。
20050418.jpg

麺類

yonkichi, · カテゴリー: 食べ物

今日は某ベンダー主催の研修。サーバOSのセキュア設計という内容の座学だったが、少しいつもよりゆっくり家を出た。研修では職場の同僚が偶然申し込みをしていたので、一緒に受けていた。彼は私よりもこの分野ではスキルが高い。私も少しはがんばらないと…
オフィス街は真新しいスーツで胸に名札をつけ、いたる所にグループをつくってたばこをふかしている入社したての新人のような若者が目についた。どこを歩いても煙く、喘息持ちの私にとってはたまらない。
外だからといって、喫煙場所を設けているビルも、健康増進法なんか考えていないのだろう。ビル風が吹くあたりで、出入り口の左右に吸殻入れを置けばまんべんなく出入りする人に副流煙が襲いかかる事を考えていない。当然灰は吸殻ではなく地面にパラパラと舞うどころか、風に巻かれて通行人にかかる事になる。
オフィスビルの地下でお昼を食べたが、時間も時間だった事で異様な混み方だった。普段は420円の仕出し弁当なのだが、ランチの女王というドラマのように、ランチを楽しみにしている女性はいたとしても、もっとおいしくもっとリラックスして食べられる場所の方が、少々味が落ちたとしても私は選ぶかもしれない。今日はオムライスとスパゲティのセットだったが、一人であれば丼ものやコンビニでおにぎりなどを買って、さっさと食べて終わりにするだろう。
まだ明るい時間に研修は終了したので、実家まで歩いて行った。今日検査入院から退院してくる母親の様子を一応見に行く為だ。検査結果は大きな問題はなく、とりあえず安心という所だが、もう老人の域に入っている事から、何かと気苦労が耐えない。しかし自宅にはおらず、上のフロアに居る本家の方に顔を出すとやはり話し込んでいた。
まだカテーテルの跡が痛々しく、血圧も安定していないようなので、さっさと寝るように促し、少し身の回りを整理してやって帰路につく。途中、このあたりではナンバーワンと思える麺通団で天ぷらと持ち帰りうどんを買い、コージツにまたちょっと顔を出して雑談をし、アルタ裏を抜け桂花ラーメンでおみやげラーメンを買い、バスで帰る。
来週の月曜、生協の宅配が来るまで、お米を切らしてしまっているので、いろいろ買い込んだのだ。さすがに毎日麺というのも少々飽きるが、麺類は好きだ。ラーメン、うどん、そば、素麺、なんでも。まあ何とかなるだろう。
実家のあたりはいつのまにかラーメン屋がどんどんできて、今ではテレビに出るようなラーメン屋も数店。いつも行列ができている。その中に讃岐うどん屋ができたのだが、ここが関西人御用達の本格的な讃岐うどん。我が家の近くにも、チェーン店のはなまるうどんや、こがね製麺所というのもでき、それでも十分だと思っていたのだが、ここのうどんの美味しさにはちょっと差をあけられたという感じがする。四国を旅した時のセルフうどんが思い出されて、こういう店が近くにできてとても嬉しい。
めん類といえば、昨年の夏漸く北海道は夕張のラーメン屋、のんきやに行けた。おばあちゃんも健在で、少々衛生面には問題はあるが、このラーメンは食べておくべきだと思って少々寄り道をして寄ったのだ。
夕張は言わずとしれた炭鉱の町。至る所に炭鉱の面影が残り、メロン映画祭など町おこしも活発だが、その昔の反映は跡形もない。私は北海道を旅するようになって、炭鉱の町で感じる北海道が、雄大だとか気持ちのよさとかいうものとは別の、本当の北海道の厳しい時代を感じる事ができて好きなのだ。初めて知ったのは、上砂川を訪れた時。私はそういう場面に出会うと、総毛立つという表現がぴったりくるように、鳥肌がたち身震いする。炭鉱の町や廃村をみると、怖さではなく重さを感じるのだ。
そんな中で時間がとまったような店。それがのんきやだ。このおばあちゃんが歴史そのものだ。それがどうも、今はこの店舗がなくなり、おばあちゃんもいない、という話を聴いてしまった。まだ自分の目で確かめていないが、とうとうくる時が来てしまったのかもしれないと少々動揺している。
扉のない出入り口から先に、夕張のモノクロームな風景が目に飛び込んできたあの夏の日の夕暮れ時、あのラーメンの味が思い出される。
20050406.jpg

異国でのカツ丼

yonkichi, · カテゴリー: 食べ物

海外に行くと、よく日本の味が懐かしくなる、という事を聞く。
私も事実そんなに長期間、バックパッカーをした事はない。せいぜい2週間強といった所だ。そういう時はできるだけ現地の食事を食べるが、日本料理よりもワールドワイドでほっとできる味は、実は中華料理だったりする。そう、日本料理はたらめな味付けであったりする可能性も少なくないのだが、中華はどの国で食べても大抵中華なのだ。偉大なり中華料理。
私はカツ丼が好きだ。日本の味と言える醤油、味醂、砂糖、そしてお酒といった主要調味料を使う、俗に言う玉子とじカツ丼と、カツライスをそのまま丼飯に持ったソースカツ丼とどちらかといえば、前者がやはりベースだ。
カツは自分で揚げていると結構疲れる。料理は嫌いじゃないが、片づけるのが時間かかる料理はあまり好きではない。元々キャンパー料理である。洗い物を最低限で、盛りつけなんかどうでもいいという意味では、丼料理に相通じるものがあるのかもしれない。
さて、ヨーロッパは4カ国(トランジットを入れれば6カ国)、アジアは4カ国をバックパックに荷物を入れて旅をした事があるのだが、その中で日本食の思い出をひとつ。いろいろあるのだか、とりあえず今回は中国南部の雲南省であった話。
雲南省の昆明には、実はJAS(現JAL)が関空(関西国際空港)から直行便が飛んでいる。ネパールのカトマンドゥにも、RA(ロイヤルネパールエアライン)の直行便が飛んでいるが、少しでも安い航路という事で、UA(ユナイテッド)とTG(タイ国際航空)をバンコク経由で乗り継いで行ったが、雲南へは日系航空会社で安心の航路となった。
昆明をベースに、是非いきたかった麗江と大理をゆっくりと楽しんだのだが、バックパッカーズパラダイスと呼ばれる大理には太白楼というカツ丼が素晴らしく旨い店があるという話を聴いてから、是非行ってみたかった。定期購読している旅行人という冊子の読者の間でも大理のカツ丼の話は有名なのだ。
この話を知ったのは、以前地平線会議という団体で、ボランティアで本を作るのに協力したり、若い冒険家の裏方でPCのサポートやウェブサイトの作成・運営をやっていた頃。アドベンチャーサイクリストの安東浩正さんと知り合った。というか、代表の江本さんに紹介され、挨拶しただけなのだが。その前から、安東さんの素晴らしい冒険の本、チベットの白き道を読んでいて、この太白楼のカツ丼の話が出ていたのだった。
実際に麗江から大理に移動し、町に入ると、暗いイメージだった。バックパッカーの姿も少ない。しかし、この大理滞在中に私は太白楼とチベタン・カフェで念願のカツ丼を食べたが、味付けや米の炊き方などに差はあれど、あっぱれなカツ丼だった。こんな所でこのような味に出会えた事は、少々感動ものだった。
大理はその名の通り、大理石の採掘で有名だ。13世紀まで大理王国の都だった大理古城や風光明媚なジ海、歴史的な建築物である三塔寺など歴史もある町だが、何より雲南ならではの少数民族が純粋な漢民族と違った伝統や文化を持って生活している。ペー族のテリトリーになるここ大理は、日本語が使えるネットカフェもある、バックパッカーの集まる町でもある。
しかし私は帰国前日になって酷い風邪をひき、逃げるように帰国した。帰国したあと、会社に復帰できず、続けてまた1週間、休んでしまったというオチがある。
これが憧れの太白楼カツ丼。是非、ご賞味あれ。
20050330.jpg