丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

電話が普通だった頃

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

私が生まれた頃から、電話はあった。我が家にも言わずとしれた黒電話があり、その電話番号は今でも実家は変わっていない。
当時から電話はあまり使われていなかった。電子メールというインフラが存在というか、考えてもみない時代。たった40年ほど前の話なのに、今は電話と並んで連絡方法という情報インフラでは、郵政メール(いわゆる郵便)を超えそうな勢いがある。
年賀状という国民行事も、日本だけではないのだろうが、特に日本はそれだけで郵便屋が1年運営できる程の量だっただろうが、今では相当減っているようだ。それは当然だろう。但し、年賀状は年賀状としてのひとつの文化でありコミュニケーション手段でもある為、存在を否定する訳ではない。事実この正月も100枚は出している。ピークでは由とあわせて300枚以上やりとりした事があったのだから、それから随分減らしたものだ。
年賀状は頂いた方には返す、という作法もあり、結局減らそうと思っていても減らない。少なくとも三が日を終え、すぐに顔をあわせる職場の人には一切出していないし、中学・高校の友人たちにも今は出していない。別に疎遠になるとか、面倒とかいう事ではなくて、結局郵便屋へ納める税金みたいなものに一度感じてしまうと、それだけで行為自体が下らなくなってしまう。
結婚した奴は結婚しました写真、子供が生まれた家は子供の写真、犬を飼い始めた家は犬の写真など、結局1年毎の挨拶レターになってしまう訳で、それなら電子メールの方がいくらでも勝る機能はある。
手紙が電子メール化すると同時に、電話も半分は電子メール化したとも思える。結局相手の都合を一切考えずに一方的にかけられる電話が、いかにうっとうしいか、電車やバスに乗っていようが、会議中だろうが、トイレの中だろうが、おかまいなしにかかってくる電話という情報交換手段は、正直私にとっては受ける側の都合で受けられる電子メールにその席を空けてもよいと思えるのだった。
ただ、電話をかけなければならないシュチュエイションもある。例えば、メールを使った事がないとか、面倒臭いと感じる人にとってや、緊急で連絡しなければならない時などは電話がよい。
要は全てではなく、TPOで相手や発信元がどちらもストレスなく情報のやりとりをできる方法を、その時々で選べばよいのではないか。
ただ、私の実家からかかってくる電話や、セールスの電話は一切受けたくないのだが…
写真は築地市場にあった公衆電話コーナー。といっても並べているだけ。並び方や置かれているテーブルに何故かアジアを感じる。
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