丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

桜咲く

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

桜は日本人には特別な花だろう。花見というのもこの桜が咲く時期にあわせ、年度の始まりの時期という事もあるのか、多くの人々が桜の木の下に集まり、花を見上げながら語らい、酒を飲み、楽しい時間を凄す。これだけを見れば素晴らしい文化ではないだろうか。
日本人はその歴史の中には恐ろしい考えや文化を持っているのが当然という時代があった。しかし今は平和といってもおかしくない。争いの耐えなかった昔から、季節感のある国土から、花や紅葉、雪などの季節を感じながら楽しむという素晴らしい時間を知っている民族だ。
ただそのような文化の代表とも言える桜が咲く時期は、毎年の事だが、咲き始めてこれからという時に、雨や突風で花があっという間に落ちてしまう。今年はどうなのだろうか。
桜並木と呼ばれる桜を集中的に植えている場所が、日本各地にある。その桜並木の下、桜のトンネルを花びら舞い降りる中を歩くと、どんなに気持ちが落ち込んでいても、それ以上悪化する事はない。そういう花でもある。
そんな事を感じながらも、花見という事は殆どしない。いや、花見というか、日中花を眺めながら散歩したりする事はするのだが、花見=桜を見ながら酒を飲み大声で騒ぎ唄う、という単なる宴会の事を指すような感がある事から、分けたいという事なのだ。
ひなびた山村、清流流れる谷間の斜面に咲くピンク色の桜を眺めながら、林道脇にバイクを停め、コーヒーを沸かし飲みながら眺める、というのが私にとっての花見と言える。ほんの10~20年前は、よくそういう事をしていたと思う。パーコレーターのコーヒーにこだわって、豆はお気に入りのマンデリン。ピーク1を持っていく事もあったが、ガスでも充分小さいバッグをリアシートにくくりつけて、関東近郊の林道を走った。
独り占めできるその風景は、春を充分に感じさせてくれた。
最近ドタバタ忙しいのだが、できれば平日に車を出し、由とくーと奥多摩や秩父、奥秩父の山の中に行き、ゆっくりとした時間を過ごしたいものだ。
写真は近所の公園で。この桜も今は8分咲き位になっている。先週末はまだ3分咲き位だったのに、あっという間だ。
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季節の変わり目の想う

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

すっかりバイクネタがなくなってしまった。私の愛車は今どうなっているのかすら分からない。ただ近いうちにロッキーのタイヤを夏タイヤに交換しに行くので、少しみる事ができるだろう。
明日から数日、東京は天気が崩れるらしい。朝のバス停までの間に咲いている立派な桜は7分咲だった。冷たい雨で花びらが落ちなければよいのだかと思ったりする。既に国会周辺の桜は、はらはらと花びらをアスファルトに散らせていた。週末には定期通院やしつけ教室などもあるのだが、ちょっとは花を楽しむ事ができるだろうか。
季節の変わり目にはやる事が沢山ある。少しづつ暖かくなってきているのがよくわかるのだが、花粉症ではなくても鼻がむず痒くなったり、アレルギー反応が出やすくなる。先週あたりからは結構発作が突然おきるので、しずかに過ごしていたのだが、あまり効果はない。昨日久しぶりに由とくーと家族全員で散歩に行ったのだが、くーのバテ方が早くなったのはすぐに感じられた。そう、くーは暑さに滅法弱いのだ。
ディスク大会も真夏を除いてスケジュールがあるようだが、結構キツくなるのが容易に想像できる。最悪たった1分の競技でも、途中で休んでしまう可能性だってある。場合によっては私と由の二人のどちらかだけがエントリーするなども考えなければならない。折角遠くまで車で行くのだから、できれば二人で参加したいのだが、様子を見ながらになるだろう。
新しいメガネも作りたい。夏タイヤが組まれているホイールに交換した上で新しいタイヤに交換したい。ロッキーの溜まった傷も治したい。洗車もしてやりたい。バイクのメンテナンスをしてやりたい。などなど。他にもしなければならない事が沢山あるのだが、殆ど先週末は手つかずだった。
移り変わる季節を感じる時、前の季節でやり残した事がいつも気になる。また来シーズンとなると1年後になる訳で、なぜか新しい季節への期待と同時に感じてしまうのだ。
まあでも色々と制約もある訳で、その中で何とか課題をこなして行かなければと思う3月最後の週始めだったりする。
写真は不憫な思いをさせている私の愛車とお気に入りのストレート。毎年この道は何だかんだ言って走っているのだが、バイクではここ2年程走っていない。
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世界各地の今昔物語

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

カシュガルやトルファンといった、中国西域のシルクロードの今の風景をテレビで見た。そこにはまるで、昔から殆どかわらない商人や農民たちの生活が映っていた。
まったく変わらない、という事はないと思う。旧市街は1000年も前に作られたまま大きく姿を変えていないと言われるのだが、実際は多少なりと違ってきているはずだ。トタンやプラスチックなどが張られている部分もある。そして何より人間が着ている服や、持っている文化的なものは形を大きく変えているだろう。
ただ実際は大きく変わっていないはずだ。貧しい子供達が働く姿なども映っていたが、彼らは貧しくて当然の世界で生きている。貧富の差が激しい中国のような国では、貧しいと言われる人々は、今でも現実に貧しい。極端に豊かな層が存在するのも、特色だろう。鄧小平が掲げた豊かになれる者から豊かになれという言葉通り、大都市に住む人々はあきらかに経済水準が変わってきている。
ただ雲南省などを旅すると、観光客を目当てにした商売は増えているのだろうが、少数民族の人たちは中国がどうのという事はどうでもよいのではないかと思う。実際に西双版納周辺では、ミャンマーやタイとの国境を自由に行き来できる少数民族は存在している。チベットや西域に暮らす人々だって同じだろう。宗教的な違いこそあれ、彼らの生活は昔から大きく変わっている訳ではない。
当然なのだが中国は共産国家だ。毛沢東時代の文革ではその事実が明らかにしきれない程の事が行われてきた事だろう。私自身が読んだり聞いたりした事が事実かどうかさえ証明できるものではないと思っている。とにかく色々な厳しい時代を越え、それこそ4000年以上もこの大陸で繰り広げられてきた歴史は、やはり壮大だ。
私たちが今生きている時代は、その長い歴史からは一瞬にすぎないだろう。たかだか30年や40年の中で、急激に変わるものもあれば、殆どかわらないものもある。ただ言える事は、そんな一瞬と言える中においても、自分の目で見て、実際に経験してから話をしたいと思うのだ。
旅をする理由はそこにある。そしてそこには出会いがある。久しぶりに自分が今いる場所から遠く離れた今の映像を見た時、ふつふつと旅に出たい気持ちが沸いてきた。
あの角を曲がった所に居たガキはどうしているだろうか。あの看板ひとつさえない麺屋は今日も賑わっているのだろうか。あのカツ丼の味は変わってないだろうか。あの安ゲストハウスのオーナーは今日もサボって昼寝しているのだろうか。などを考えてしまう。
写真は北京の胡同(フートン)。路地が奥深くまで繋がる旧市街とその先に望む新興住宅地。北京はオリンピック開催の為、この歴史と伝統の残る胡同を撤去しようとしている。香港の九龍城もそのようにして消えていった。
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