丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

北海道を旅する事その4

yonkichi, · カテゴリー:

思い出話ばかりになってしまうが、これまではこの季節はどんな事があっても、頭の中にはフェリーの予約やら道東までのルートを思い浮かべたりするような時間があった。昨年だって、くーと一緒にレンタカーで巡るにしても、おおよそのルーティングが頭にあって、その中で計画を煮詰める事が、楽しかった。
北海道には絵になる道がある。地平線まで続く真っ直ぐな道、見渡す限り原生林の中をゆるやかなカーブを描きながら敷かれた国道、海岸線の砂浜から熊笹の草原が広がる中を通るダート、果てしない森の中を縦横にはしる林道。どれもこれも、内地とはスケールの違うというのだろうか。それこそ2stのオフロードバイクであれば、ガソリンが足らなくなるようなロングルートがいくらでもあった。
あった、と書いているのは、北海道でさえ、ロングダートがどんどん姿を消しているのも現実だからだ。いつのまには綺麗に舗装されてしまった林道、それまでは辿り着くのだけでも大変だった湿原や沼、湖などへのアプローチの道が広げられ、最終地点には広く森が伐採された車の駐車スペースができていたりする。秘境といえるような場所が、私が訪れはじめた1985年頃にはまだまだ沢山あったが、今ではそれこそ道がなく、歩いてでしか行けないような場所しか残っていない。
町の風景にしても同じ事が言えた。言い方は悪いが、北の寂しさを建物や街角で表しているようなちょっとモノクロームな町並みを、荷物満載のバイクで通り掛かるだけで、妙に旅している気分になれた。商店はめったに開いておらず、たまに真新しいカラフルなコンビニがあったり、ホクレンの黄色い看板オホーツクや日本海など、冬はとてつもなく厳しい自然にさらされる海岸線には、建物の前に多く暴風の為の木製の壁があり、それは風雪に耐えてきたのをその色で表していた。それだけでいかに北海道が厳しい場所なのかが判るのだった。
あと私は前にも書いたかもしれないが、炭鉱の町が好きだ。隆盛を究めた時代はもうはるか前。しかし確かに当時は多くの人がその町で生活していたのだ。それが今では過疎といってもいい程縮んでしまった。その姿は、まさに北の厳しい時代の片鱗をみせてくれる。
八重山でも同様に多くの悲惨な歴史の片鱗をみることができる。西表炭鉱の跡はジャングルに飲まれ、人工的な建造物は自然に飲み込まれている。内離島にある炭鉱跡も、実際に足を踏み入れてはいないが壮絶な歴史の上に今の姿をさらしている。人間はいつでも残酷な生き物なのだろう。
それらを忘れていいものだろうか。日本人として、日本を知らなさすぎる自分を、私は高校時代に感じていた。自分の目で見て、自分の足で歩きたい。そのためにも、日本を一周したいと思った。
その中で北海道や沖縄は、目に見える過酷な歴史の上に今の姿をみせてくれる。廃線になった線路の上に立つと、自分が何者であって、そこで何があったのかを考える事で、僅かかもしれないが日本人としてのアイデンティティが見えた気がした。
写真は礼文島の行き止まり、かの有名なユースホステル、桃岩荘を望む高台より。美しい浜と海と、そして旅人の濁りない心がここにはあった。
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北海道を旅する事その3

yonkichi, · カテゴリー:

運命とは結局、結果的にそうなってしまった状態から判る事なのではないかと思う。私は北海道という場所に旅という手段で出会い、そして惹かれ、何度も何度も旅をした。そんな中で、つまらなかった旅は一度もなかった。
それは走行距離でもないし、滞在日数でもない。天気には少なからず左右されるが、それにしてもその状況に応じた楽しみ方というのが必ずある訳で、期待しなくても晴天が続く場合もあれば、予想通りずっと雨に見舞われた年もあった。
数年前までは何度、北海道を旅したか数えていたのだが、段々とその記憶は曖昧になっている。ざっとみて回数では30回はくだらないとみている。その中には2泊3日の旅もあれば、1カ月以上という旅もあった。しかしそれはどれも同じように、北海道の旅としてよい思い出になっている。
まさか晴れれば暑くて逃げ場がなく、夏の多くが霧や小雨で視界が塞がれ、風が吹けばタープなんか張る事ができないだけでなく、チャチなテントだとあっという間に壊れてしまうような過酷な場所に通う事になると思わなかった。しかし私の中では日本中どこを探しても、その丘以上に何度も訪れたいと思う場所はないようだ。米原や小梨平、廻り目平なんかも微妙に魅力があるのだが、圧倒的に私にとってはひとつしかないようだ。
その程近く、湖のほとりのサイトも、昔ほど魅力を感じなくなってしまった。風景は変わらないのが救いだろうか。もっと時間が経てば、また違うのかもしれないが、不思議とその湖のほとりのサイトは、気のいい旅人が居たからこそ、素晴らしい日々があったのではないかと思うのだ。
過酷な丘の上では、一人だって張りたいと思う。まあ知り合いが居ても楽しいのだが、場所柄なのか、個人行動が多く、協調性はあまりない旅人が集まっていたのも、そのロケーションからなのだと思ったりする。
風にはためくフライシートの音を聞きながら、朝昼晩どの時間帯でもその場所に居るという喜びを感じられるのは、今のところ、その丘だけなのだ。
そろそろシーズンまっただ中。私もちょっとウズウズするのだが、旅人たちはまたあの場所で、自分たちだけの誰にも邪魔されない時間を楽しむ事ができるだろう。いつか、あの場所がまた大きく変わったとしても、きっと私たちはあの場所を忘れる事は絶対にない。
日が暮れかけた頃、少々アクセルを空け気味に道を登ってくると、うっすらと空が溶け込んでくるような色の中に、階段がまっすぐ上まで伸びている高台の駐車場に着く。減速しつつ、トイレ横のシケインを抜け、草むらが左右から張り出してくるダートを一気に登ると、そこはいつだってワクワクさせてくれるパラダイスなのだ。
写真はサロマ湖付近では何度か利用した、キムネアップキャンプ場の朝。何もなくて、広い事から、一度はボーイスカウトのような団体が居て大騒ぎしていたにも関わらず、静かな夜を過ごす事ができた。
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北海道を旅する事その2

yonkichi, · カテゴリー:

北海道を最初に自分のバイクで走った1985年。まだ多くの国道や道々に未舗装路があった時代。未舗装路が好きな私のクセに、何を血迷ったかSUZUKI RG250ガンマ2型で初めての北海道だった。
オイルを2L、リアの振り分けバックに入れ、自炊用具といえば固形燃料とメタクッカーに、アルマイトの小さいコッフェルだけ。あとはシュラフと薄い銀マットをリアバックに入れて走った。16インチのフロントタイヤに、舗装前の深砂利ではハンドルを取られふらつきながら走った。しかし、そこに広がる風景は全てが新鮮で、広大で、味わった事がない気持ちだった。
もともとツーリングでもある程度はルートを考えて走る性格の私だったのだが、この時ほど行き当たりばったりはなかったと思う。前知識なしで、往路のフェリーの中で耳にした話と、ツーリングマップル1冊だけ。今でこそ情報が溢れて何の心配もない宿情報は圧倒的に情報量が少なく、それでも私は霧にむせぶ釧路西港を出て、青看板だけでR44に入り、開陽台へ向かったのだった。
雨の中ひたすら指先の寒さに耐えながら浜頓別で雨があがるまで北上し続けたオホーツク沿岸、これでもかと続くサロベツのダート、眠さと戦いつつ走った音威子府から比布までの間、陽が暮れてもなおその日休む場所が見つからない寂しさなど、とにかく初めての北海道であまりに多くの事を一気に学んだ。
そして多くは辛い思い出だったにもかかわらず、私はその旅の帰路の間に、来年はどう走るかを頭に思い描いていた。そして本格的に日本一周への計画を指導させ、最後にこの大地に戻ってくる事を決めていた。
都会生まれで都会育ちの私が、この北海道という土地に惹きつけられた力は相当なものだった。それからというものの、2001年までの毎夏は必ず丘に上がった。そしてそれ以降は夏に上がれなくても、春や冬に訪れ、年に1度以上、多くて4度道東を訪れる程見事に私が目指す場所として定着したのだった。
そして2002年の夏、初めて体調不良が原因で、夏の予定を全てキャンセルした時、これまでの自分と決別すべく、自分自身のポリシーとして生活に組み込んでいた北海道ツーリングを、あえて少しづつ外していった。そうでなければ、自分が自分なりに楽しめなくなってしまうという事が段々と判ってきたからだ。
もっと気楽に旅をするべきだ。北海道以外だって、いくら日本一周をしたからといっても、行ってない所はある。そういう所や、また違う旅のスタイルもあってしかるべきだと悟ったといってもいい。大げさだが、自分の中で貫いていたものを、自分から少しづつ崩していく事で、自分を見つめなおす事ができたのだと思っている。
近海郵船や有明発北海道行きのフェリーがなくなり、航路もどんどん縮小されていったのもそのきっかけかもしれないが、それでも小樽からだって苫小牧からだって、私が目指したのは道東の丘だった。
そこで毎年みかけた顔も少しづついなくなり、滞在日数もどんどん減っていった。反面、道東に根を張ったり、家族や子供ができても、手段はバイクではないにしろ丘にあがるようになった友人も増えていった。皆、昔とは違う。そうして丘に戻ってくる事ができるだけでも、恵まれているのだから。
北海道は、今でも走ると初めて訪れた時の匂いがする。風景もどんどん変わってしまってはいるが、それでも昔の面影は充分にさがせば転がっている。あの森の中を貫く綺麗な舗装路の高速コーナー、道のまん中に草が繁っているダート、太陽に照らされ眩しいばかりの光と影の森。いつだって北海道は待っていてくれる。
大した事じゃない。ただバイクで北海道を巡るだけの事だ。でも、実際に自分で走ってみると、それは判るはず。今年走らなくても、来年がある。そういう気になれた、21年目。
写真は夕暮れの霧多岬バンガロー。1987年の秋、しいたけ兄と一緒に1棟を借りた。バンガローの前にはしいたけ兄のGB400TTと私のSRX4YSP。他に誰もバンガローにもテントも人がいない、貸し切りの初秋。
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