丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

もう今シーズンは終了か

yonkichi, · カテゴリー:

3月中にあと1回、スノーシューをしにお山に行くつもりだった。今年は雪も多く、寒い冬だったはずなのだが、急激に春がやってきたという感じだ。それもそうだろう、もう3月も終わりに近づいているのだから。
先日の道東の旅でも、屈斜路湖畔の森をスノーシューで歩くと、表層が溶けて再度凍ったという感じに、乗っかるとバリンと割れて深く足が埋もれてしまった。こうなるとなかなかスノーシューでも歩くのが辛い。
そんな雪質なのに、くーは思いっきり走り回っていた。たまにバリンと表面の薄い氷が割れて雪の中に埋もれるのだが、わしわしと走り回る。あまり足によくないので長時間はさせないようにと思いつつも、結局最後まで走り回っていた。本当に雪が好きなようだ。
歩きにくい雪だったせいか、夜には相当疲れたようで、くーにしてはおとなしい夜になった。前日は5人川のように布団を並べて寝ている所を、次々と巡回し、顔をべろべろと舐めてはそれぞれの布団の脇にコテンと転がって寝る。しばらくして暑くなると、となりの布団に移り、また同じようにコテン。そんな感じで移動し続けていた。
朝、由の妹さんの掛け布団の上に、まんまるにまるまって寝ているくーを見つけた。どうも結局そこが一番落ち着いて眠れたらしい。しかし、スノーシューの日の夜はその動きは1/10位で静かに寝てくれた。人間と違って素足の犬。色々なものが落ちている中を走りまわる訳だから、怪我をする事だってある。おまけに雪で感覚が鈍くなっているのだから、そのリスクは高まる。
でもあれだけ嬉しそうに雪の中を走り回るくーは、飼い主としても見ていて嬉しくなる。その翌日、夜のうちに降った雪が思いの外多く、川湯の中心地にある足湯横の森では、パウダースノーを雪煙をあげてディスクに興じるくーがいた。しばらく雪とはおさらばになるが、また来シーズン、今度は2月あたりに北海道に連れていって、流氷を見せてやるかと思う飼い主であった。
スタッドレスから夏タイヤに履き替えるのは、来週末あたりになるだろうか。その後、ヒビ割れたタイヤを交換しにいかねばならない。また出費がかさむ。
写真はまさに雪煙の中のくーのキャッチ。道東のパウダースノーは軽い。
20060322.jpg

出雲がなくなる日

yonkichi, · カテゴリー:

長い間、若者の旅人をはじめ、多くの旅人を運んできたJRの寝台特急、出雲が今日で廃止になるそうだ。私は鉄ではないので正直な所詳しい話はわからないのだが、出雲は聴いたことがある。
鉄道は開発の象徴だ。鉄のレールが敷かれる事で、多大な経済効果を生み、人々の生活も大きく変わってきた。日本においても南北に長く、海に囲まれた土地を、端から端まで鉄道は通された。そしてそのレールの上を、色々な車両が走り、その車両は速度や乗り心地を改善しながら、輸送力をあげ移動時間といわれるひとつの空間をどんどんと狭めてきた。
その中で、寝台という電車は、遠くに行く時に、生き物が本来必要とする睡眠する時間をうまく利用し、移動させてくれるという特殊な乗り物ではないかと思える。まあフェリーなど速度が早くない乗り物には、寝ながら移動していくという意味では同じ方向性を感じるのだが、寝台というのは何故だかとても不思議な空間というのを感じる。
私が初めて乗った寝台は、上野から札幌までの寝台列車だった。仙台や盛岡など、真っ暗で誰でもいないホームを車窓から眺めていて、あまり眠れなかった。そして詳しくは憶えていないのだが、気がつくと青函トンネルも潜っており、倶知安のあたりで今自分がどこにいるのかを考えていた。北海道の地形も殆どわからず、札幌で乗り換え、また留辺蘂でスイッチバックし、網走駅に降り立った。長い旅だった。そして帰りも同じルートを辿った。
寝台というのは、私にとってはこの時のイメージが大きい。ずっとあの独特のリズムで線路を走る振動と音がしている中で、ペラペラの布団で寝る事は、まさにこれから網走まで行くという旅のイメージにぴったりだった。
出雲は山陰と東京を結ぶメジャーな寝台特急なのだが、最近では相当に利用者が減っていたそうだ。だからこそ廃止になるのだろうが、昔は列車の中は人であふれかえっていた時もあったはずだ。タイやインド、中国などの長距離電車をみると、少しその頃の日本の中の電車という画期的な乗り物の姿を想像できるような気がする。
私がずっとみたかったもので、山田洋次の「家族」という映画がある。先日とうとうDVDが出たので買ってしまったのだが、これは今はもうない中標津駅や上武佐駅、そして開陽台が映っている。内容はいわゆるロードムービーで、九州から北海道に移住する家族の旅を追ったものだ。私が生まれた頃、瀬戸内は黒煙が吹き上がる工業地帯だったり、大阪万博があり、ふとみせる大阪駅には今もそのおもかげがあったりするのが妙に嬉しかったりした。
この時代は電車は多くの期待と不安を持つ人々を載せていたはずだ。今は義務的に、そして車内ではひたすら睡眠を取るだけの移動手段になってしまっている。もっと電車には、気持ちを駆り立てる空気を持っていたと思う。そんな昔から変わらない空気を持つ出雲は、姿を消す事になった。
鉄でなくても、旅を感じさせてくれるものが消えるのは悲しい。速度だけでなく、スピリットを運ぶ乗り物は、これからの若者に必要なもののひとつなのではないかと思った。
写真はブルトレの写真が手元にないので…釧網本線のとある駅のホームから。
20060317.jpg

冬の北海道の観光地

yonkichi, · カテゴリー:

週末の北海道の話を少し続けよう。
冬の道東に、由のお母さん、叔母さん、妹さんを連れてきたのには、ちょっとした親孝行と、くーを流氷に載せて写真を撮りたい、という目論見があった。しかし、ご存じの通り今年は2月に開氷宣言され、とっくに流氷はアリューシャン列島の方向に流れていってしまった。
少しばかりの流氷の塊を期待したのだが、見事に何もない。浜小清水の海岸にも、氷がまったくなかった。少しは打ち上げられた流氷が残っているかと期待したのだが…11日は大雨が降り、12日は+4度まで気温があがったりしたせいだろうか。一番の目的だった流氷観光はできなかった。
一応おーろら号のターミナルに行ったのだが、単なる海上クルーズになるという話らしい。何でも3000円の料金も2100円位にディスカウントされるそうだ。しかし駐車場は決まったコースを予定通りに巡る、ツアーバスであふれ返っていた。ご苦労な事だ。まあ流氷がなくてもクルーズは悪いものではないだろうが…
夏の北海道、そう、私の結婚式の時にこの道東に訪れた由のお母さんと妹さんは、夏の道東しか知らない。叔母さんは旅好きで色々な所を巡っているのだが、この時期は初めてとの事。お約束なのだが、美幌峠、和琴半島、硫黄山、摩周湖、くりーむ童話、開陽台、養老牛湯屋だいいち、屈斜路湖畔でスノーシュー、鶴見台、MOO、六花亭喫茶室、なごやか亭、細岡展望台、やまね工房、浜小清水前浜キャンプ場、そして月を巡った。中でも美幌峠、摩周湖は突風で体感温度は-10度近くなったり、濃霧の鶴見台でうすぼんやりとしか丹頂鶴を見る事ができなかったりしたが、冬の北海道を堪能してくれたと思う。
短い旅だったが、くーも春の歩きにくい雪の中を必死で駆けめぐり、相当に疲れたようだった。ディスクもあまりできなかったり、写真もあまり多く撮れなかったが、何よりゲストが満足してくれたという事でそれが一番の嬉しい事だ。
ただ、非常に悔しく、また自己嫌悪にさいなまれている1件の大きなミスが、悔やまれる…全て私のミスなのだが、1つ忘れ物をしたお蔭で、大きな代償となってしまったのが、今でも腹立たしい。
写真は濃霧の細岡展望台からのぞむ釧路湿原。くーも鼻が冷たいらしく、ぺろり。
20060314.jpg