丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

予約アタック

yonkichi, · カテゴリー:

時期的に今は夏休みというものの準備で、皆苦労している頃だろう。私も毎年、フェリーの予約にあの手この手を使って確保に勤しんでいる頃だ。とはいえ、昔ほど夏の北海道航路の予約が困難という状況ではない。80年代後半から90年代初頭にかけては、夏のフェリー予約バトルに、仕事そっちの気で集中していた。
最も乗船した航路は、近海郵船の有明-釧路航路だ。既にRORO船になってしまって、貨物しか乗る事はできないが、かるく20回以上乗船している。当然お盆の時期や、夏休みに入ってすぐの7月後半から8月の頭にかけては相当気合を入れないと確保できない。これまで、確保できなかった事はないが、それこそ釧路に電話をかけたり、当時御成門にあった近海郵船の事務所が当時の勤務先と近かった事もあり、朝から並んだりした。
次に乗船回数の多いルートは新潟-小樽航路。関越から北陸道を乗り継いで新潟まで走り、高速道路通行料金とガソリン代を加えても、大洗-苫小牧航路よりも安かった上に、小樽に朝4時すぎに接岸する為、朝から走れば最北端や羅臼までも到着できた事がその乗船理由だ。余談だが、どのフェリーよりも新日本海フェリーが食堂の価格とクオリティが高く、海上価格としても許せるものだった。
年間を通してサラリーマンが1週間前後の休暇を取り、旅に出られるのは、夏のこの時期と、春のゴールデンウィーク、年末年始という3大期間がある。その中でも夏は会社の休みの範囲によるのだが、比較的自由度がある。7月後半や8月のお盆の時期をのぞけば、それなりに確保がし易い。
毎年なんとかのひとつ憶えのように、1985年からずっと(厳密に言えば2002年の夏は体調を崩して北海道ツーリングをキャンセルしてしまった。その年は春に飛行機とレンタカーで山菜取りに訪れているので、訪れるには訪れているのだが…)夏は北海道を旅していた。しかし今年はバイクではなく車で、くーを連れ、一家で北海道をまわろうと計画したのだった。
毎年由が中国大陸へ自転車ツーリングにでかけているのだが、今年はちょっとした理由で不参加である。その事もあり、念願だったくーを北海道に連れて行こうかと画策したのだ。飛行機はJASを好んで使っていたのだが、残念ながら元国営企業のJALにM&Aされてしまった。最近整備上の問題が多く、ひっかかっているのだが、合併してしまった関係でJALのマイレージが45000マイル程溜まっている事と、その期限から、今回はバースディ特割をうまく使って、北海道への計画を進めていた。
私は7月、由は8月が誕生日な事もあり、海外に片方がでかけたりしている事から、バースディ特割を使うのは初めてだ。旅の知り合いのをのっく氏に予約の実情を聴き、日曜の朝と今朝、自宅と会社から予約作戦を実行した。時間が来る直前に急ぎの仕事が入ったりしたが、5分前には万全の体制で準備し、時報前よりアタック開始。
結果的に、8/27(土)IN、9/3(土)OUTで予約は無事確保できた。羽田の安いパーキングを探し、それも確保。あとは部分的に冬に訪れる際の調査を兼ねて宿を数泊入れる予定だ。道東であれば、知人の家を渡り歩く事が可能だが、やはり犬を連れていくとなると、1~2軒が限界だ。今回は犬連れの数日をかけた移動しながらの初めての旅という事で、調査を兼ねている。
レンタカーの予約、キャンプを予定しているので、荷物の厳選など、これからの2か月で詰めていこう。
今年はこれまでにない夏の旅になるだろう。天気がよければ、丘の上でテントを張りたいと思っている。
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若者よ旅に出よ

yonkichi, · カテゴリー:

自分が何様だか分かっていないかもしれない。でも、何様でも何でも、私は素直に自分の人生を振り返ってみてそう思う。自分のブログだから、自分が思うように書く訳で、いわゆる独り言の域を越えないという事を承知の上で思う。
若者よ、旅に出よ。そして自分の目で多くのものを見て、多くのものを感じ、多くの失敗をせよ。その中から自分という姿が見えてくる。自分信じられる友人が現れ、素のままの自分を見てくれる機会が生まれるだろう。
ひとまわり、というと10歳違う世代の事だろうか。ふたまわりだと20年。長いようでいて短い微妙な時間だ。しかし10年もあれば、ひとつの目的を達成するには長い位だ。
今日、職場におよそふたまわり年齢が違う新人がやってきた。私が今の会社に入った頃、まだ3つか4つ。こうしてみるととんでもなく自分が年寄りに見える。まあ女性の新人なのだから、根本的に比較する事がおかしいのかもしれないが、私の職場には男ではなく、女性が来ただけの話だ。
そして今の職場に唯一、現役のバイク乗りがいる。それほど親しくはないが、まあいわゆるひとまわり以上世代が離れている訳なのだが、最近その位年齢が離れているバイク乗りと接触する事が減ってしまった。ちょっと前までは、ゆーじが私よりも一回り位の差の、旅人だった。彼らのように、しっかりしたヘルメットとブーツとグラブを身につけ、バイクに乗る時は気を引き締めて乗り、旅に出ようと思う若者は、極端に減ってしまったように思える。
どんな青春、どんな人生を過ごそうと勝手なのだが、私は勿体ないと思う。若い頃は何もしなくてもそれなりに歳を取っていく。大人なんて、とか、子供扱いしやがって、とか、何も面白くない、面白い事がないかという事が口癖のようになっているのが多いのではないだろうか。
人間性によって随分差は出てしまうのかもしれないが、若い世代でも何かに没頭し、掘り下げていこうと努力するものもいない訳ではないが、一人で何かをしようというよりは、集団で同じような事をする事が楽しいのか、なかなか飛び出ようとしない子が増えているように思う。
それはそれで世の中をうまく乗り切る為には必要な時もあるだろう。ただ振り返ってみるといい。3年前、5年前、そして10年前から何が変わったか。何をしてきたのか。何も残っていない人生は、限りある一生をそのまま惰性のまま過ごす事は自分の責任だし、誰もとがめない。知らぬうちにどんどん時が過ぎ、歳を取っていくだけだ。
旅というひとつの目指すものを私は見つけた。それは初めて三輪車に乗れた日の事、自転車を手に入れた日の事、そしてバイクという不便で危険で不安定な乗り物の存在を知ったときに、自分の知らない世界や自分とは違う世界に生きている人々と出会う事ができ、その中から自分と本当に相性があう友人と出会えていった事。決められた学校生活や会社員生活では、世界は目視できる範囲での出会いや出来事しかないものだ。その範囲をいともあっさりと無限にひろげてくれたのは、旅だった。
私を旅へ導いてくれた先達の話は、魅力あふれるものだった。自分がみたこともない、想像もつかない経験や出来事。何よりそれは冗談でも何でもなく、ノンフィクションの重みと、その先にあるシナリオのない期待と不安のいりまじった現実が、ワクワクさせてくれたのだ。
ちょっとハイエンドなパソコン1台、プラズマテレビ1台買うお金で、無限の可能性をくれる乗り物が手に入る。それをマフラーをスーパートラップにし、耳をむき出しにし顎ひもすら閉めず、歩道だろうが赤信号だろうが走り回り、右折レーンからいきなり左折しようが、まるで自転車に乗る小学生低学年のような走り方しかできないお子さまは、廻りに迷惑がかかろうと、無関係な人を危険に巻き込もうと知ったこっちゃない。酔っ払いが自爆事故で勝手に死のうが構わないが、無関係で何も悪い事をしていない老人や女性、子供の人生にとばっちりを与える事の怒りを憶える。
結局の所、どの世界にしても人間性が基本だ。バイクの世界でも車の世界でも、ネットの世界でも同じ。あまりに廻りに気配りができない人間が増えすぎている。それは、この世界には色々な自然があり、色々な人が生きている事と体面する事がなく、テレビの中やゲームの中のように、自分の世界が狭くその中で全てを考えるようになってしまうからなのではないかと常々感じる。
若者よ、旅に出よ。ポンコツでもいい、壊れて壊れて仕方なくてもよい。バイクに乗って、雨に降られ風邪をひけ。誰もいない山の中で転んで途方に暮れろ。そして一期一会の出会いと、まず旅にでなければ交差する事のなかった人生の壮大な偶然を感謝し、見識をひろげ、自分の生きる証と対面する事だ。
この夏ちょっとした数日の休みを取って、北に向かうとよい。そこで自分が探していたものを探す同じ志を持つ者と出会えるだろう。必ず一人で旅立つがよい。複数ではだめだ。そして、自分の垣根を取り払い、人がその日に生きる為にする事だけをし、自分がその時にしたい事をすればよい。
私は今でも、もっともっと旅に出ていればよかったと思う。そしてきっとこれはいくら旅しても、同じように思う限りない欲望だろう。それほど、旅は奥深く、飽きる事はない。
騙されたと思って、バイクに数日の着替えと寝袋を詰め込んで、宿を事前に決めずに走り出す事だ。ただ、ひとつだけ忠告する事がある。どんな場面に出会っても、人のせいにしたり、運命だとも思わず、自分の力で解決せよ。バイクで旅をするという事は、そういう事なのだ。きっと実りある夢のような数日間になるだろう。
旅はいいものだ。この道の先には、自分だけのストーリーが待っている。その時に経験したストーリーは、語る側も聴く側も、得るものが大きいものだ。その話を聴く時を、私は待っている。
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日本最南端のユーフルヤー

yonkichi, · カテゴリー:

私のとなりの後輩が、明日から3泊4日で慶良間にカヤックに乗りに行くらしい。梅雨時に度胸がるというか、運良く天気に恵まれればよいねと送り出した。
慶良間といえば、ダイビングのメッカ。本島経由ではこの慶良間が一番ダイバーが目指すのではと言う程、メジャーなエリアではないかと思う。ただ、私はいったことはない。
本島周辺をベースに、離島まで足を伸ばす事はないのだが、映画の影響で粟国島はちょっと行ってみたかった。私はカナズチなので、ダイビングをしようとは思わない。せいぜい海岸でぼーっと海を見つめたり、リーフの落ち込みまで潮が引いた時に歩いて行く位だ。それはそれで美しい海を感じられて楽しい。
一番最初に本島を訪れた時は、日本縦断のスタート直後だった。とりあえず一周という事で、時計まわりで走ったのだが、辺戸岬手前でガス欠寸前になり、戻って商店の倉庫にひっそりとある手回しのガソリン給油機から入れて貰った。そして東海岸のあまりの何もなさに嬉しくなり、名護までをゆっくり楽しんだ。
その17年後、あらためてこの時の思い出をもって東海岸を走ったのだが、殆ど変っているように見えず、西海岸のようにどんどんリゾートホテルが建つ沖縄よりも、それらしくて妙に嬉しくなってしまった。
また今日は沖縄戦から60年の、慰霊の日でもある。沖縄は日本の中でも唯一激しい地上戦が行われた地であり、悲劇の土地だ。この美しい島で、何が起こったかを学べば学ぶ程、間違った歴史を繰り返してはならないという気持ちになる。60年という月日は跡形もなくその惨状を自然が覆い隠そうとしているが、人の心を覆い隠しはしない。
南への旅としては、沖縄本島を飛び越えて、宮古群島も越え、八重山諸島へ向かう事が多い。日本で有人の領土という事では、石垣島を中心とする最西端の与那国島、最南端の波照間島が有名なのだが、私はもうひとつ、日本最南端のユーフルヤー、銭湯に興味を抱いていた。
八重山は戦前、特に西表では大規模な炭鉱が存在し、北海道の炭鉱なみに多くの人が住み、夜中でもガス灯が灯る程賑わっていたと聞く。多くの炭鉱夫は犯罪人や半ば騙されてやってきた者が働いていたようだが、今も浦内川の上流に、宇多良という地があるが、このジャングルの中に炭鉱の跡があり、湯船のあとがまだ残っている。
八重山の民宿に泊まると風呂ではなくシャワーの所も多い。隆起珊瑚でできた島などでは真水が少ないせいもあるのだろう。竹富島では石垣から水をひいているらしい。風呂はきわめて貴重な施設なのだ。その中で、銭湯がつい4~5年前まで残っていた。
石垣島の新川のはずれにある、濱の湯がそれだった。多い時で石垣市を中心に12軒もあったユーフルヤーはどこも混んでいたそうだ。このユーフルヤーは東京と少しスタイルが違っていて、番台が外にある事や、入る時に頭を洗うかををきかれ、洗うと応えると桶が手渡される事、脱衣所と洗い場や湯船がある所の境がない事などに特徴があった。濱の湯は1959年に八重山電力会社が創立後、廃湯を利用して営業を行っていたようだ。96年、98年と利用したのだが、99年に訪れた時には残念ながら閉店してしまっていた。どうも話を聞くと、98年の私が訪れたあとに、ボイラーの故障から閉めてしまったらしい。非常に残念だ。
旅人も利用した貴重な銭湯。お湯を週に数回しか換えないとも聞く。本当の事か分からないが、確かにお湯は黒く、綺麗には見えない。沸かし方に理由があるのかもしれないが、とのかく湯に漬かれるのは米原に幕営していると嬉しいもので、わざわざ於茂登トンネルを抜け、町までバイクを飛ばす事も苦にならなかった。
ひとつひとつ、歴史のあるものが消えてしまうのは寂しい事だ。でもそれらは私の旅の軌跡の中に生きている。
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