丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

ささやかな日常

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

住宅地、という所に引越しをして、いろいろこれまで知らなかった空間を散歩で歩き回るようになった。
都会生まれの都会育ちな私。小さい頃はラブホテル街や歌舞伎町のビルが周辺で、自宅周辺には平屋は殆どなかった。全てがオフィスであり、商店ばかりという環境だった。
なので戸建てが並んでいる住宅地が唯一あった所は、今は外国人街になっていたりする。また小学校や中学校があったあたりは、区立や国営の共同住宅があり、一部は今高齢者しか住んでいない限界集落と呼ばれている所もあった。
都心な故、マンションが殆どである。確かに便利である。どこにいくにも電車は四方に走っているし、バスも同じ。そして徒歩20分以内なら鉄道の駅だけでも20駅ぐらいあるのではないだろうか。それほど便利な所に住んでいた私が、今は最寄り駅は2km以上先の住宅地に住んでいる。
だからといって、全然悪いわけではない。逆にこれまでが異常だった。自分が自分の実家の場所を人に話す時は、「いやあ、とても人の住む所ではないですよ」と必ず言ったし、少なくとも3代以上続いた私は江戸っ子ではあるが、近所に同じぐらい長く住んでいる知り合いはいなかった。全てどこからか都会に移住してきた東京以外の人ばかりなのだ。
まったく東京モンは、とか、都会の人間は冷たい、とか言われるたびに、本当にそれは東京生まれの東京育ちの人間なのかと問いたかった。よそ者だから冷たいんじゃないか、と言ってやった。よそ者だからこそ、地元への愛着も薄い。あまりに荒廃した自分のふるさとを子供の頃からみてきて、悲しかった。ゴミを投げ捨てられ、奇声をあげて酔っぱらいは歩きまわり、店はころころ変わって臭いゴミをルール無視で捨てる。人が集まるから、そこから生まれる金を目当てに集まってきた連中ばかりしか廻りに住んでいないのだから当然だ。
私の心のふるさとは何度も何度もその地に立った北海道だったが、今の住まいの環境は嫌いではない。夜街灯がとても少なく暗かったり、ちょっと離れると大規模なファミレスやパチンコ屋などがあるのは好きではないが、我が家の近くは静かだし、土を感じられるのはとてもいい。
どうせあと30~50年もすれば、私はこの世からいなくなる。今を大事にふるさとを感じながら生きたいと思う。
写真は住宅街で由とくーといっしょに散歩している時のシーン。ささやかだが、ちょっと嬉しい我が家の日常である。
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