丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

親孝行は蛍とともに

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

私の父は1998年の夏に他界している。父の日というのが明日に控えているが、先日も墓参したので、特に何もする事もない。しかし由の父には何か送ろうと相談してみたが、あまりそういう行為に興味がない由は、実家に戻った時でいいんじゃないかと言う。実際既に気づいた時に遅く、神戸までプレゼントを送っている時間もなくなってしまっているので、毎年不義理な息子として申し訳なく思いつつ、今度帰省した時に何かまとめて親孝行できればと思ったりする。
私の父親が他界したあと、母親はどこかが悪いという理由をつけつつ(実際は異常ないのだが)、夜中に病院に呼ばれたり会社を休ませられ病院に付き合わされたりする事も少なくなかった。担当医が病院を変わったきっかけで、徒歩圏の病院から、バスを乗り継いで行く片道40分程度の病院に変わった事で、こちらとしては夜中に呼び出される距離が長くなるのだった。
私は小学生の頃から実家が自営業をしていた関係で、いわゆる鍵っ子だった。小学校の頃から毎週、東京医大に喘息の減感査治療の為に通っていたので、土曜は母親と病院に行くのは習慣になっていた。しかし土曜など家に帰っても誰もおらず、自分で台所に立つ事が増えていった。
子供の頃から母親のわがままにはふりまわされてきていた。友達を悪く言われる時が一番子供心にも辛く、気分で意見が変わる事には悩まされた。また私は教員にも恵まれず、小学校3年から6年、中学校3年間、高校3年間ともに、心底信じられる教員に当たる事はなかった。逆に5歳離れた兄は、まったく同じ学校に通っていたのだが、今でも慕われる先生が担任だったりと、その差は何なんだろうと自分の運命を呪った事もある。正直、私の小学校から高校までは、友人の存在がなければ崩れてしまっていたのかもしれない。
父親は母親よりもはるかに寛大で、そしておとなしい男だった。人がいいというか、自営業をしていても人を信用し騙される事も少なくなく、ただ時代がよかったおかげで、何とか潰れずにやってこれたんだろうと思っている。今父親のあと兄がその家業を継いでいるが、この不景気な時代、ギリギリの所でなんとかやっているようだ。自営業の良い面と辛い面を、私はみてきた事もあって、普通のサラリーマンを選んだと言える。
母親は何かというと体調が悪いといい、血圧が高いだの言うのだが、実際は生きていれば人は血圧は上下する訳で、その範囲を越えている訳ではない。一時的な血圧を、いい加減な血圧計でいい加減な測り方(心臓より下の位置で、手首ではかるタイプを使っていた)で物事を伝えるので、救急車の退院もたまったものではない。いつも病院に付くとおちつき、何も治療されないで帰ってくる事を年に10数回繰り返す。その度に食事をしている最中だろうが、寝ている最中だろうが呼ばれるという訳だ。
私自身も仕事や会社の環境の関係で、一時期ひどく鬱に近い症状となり、今でもその波は続いている。また群発性頭痛を持っていたり、体調が優れない日も少なくない。そんな中で母親から連絡がない事は、喜ばしい事だ。その為にも、年に何回かご機嫌を取りに顔を出さなければならない。今日もその日だった。
目白にある椿山荘という古いホテルがあり、そこに先日ランチを食べに行った。当然母親のおごりでだ。今日は、椿山荘が以前からやっている、夕食を食べ、敷地内で蛍を鑑賞するというイベントに行ってきた。当然、これも母親のおごりで。
記憶が定かではない昔に、椿山荘に行ったことがある。庭が広く、森のような場所だった事しか覚えてないが、蛍の話はどこからか聴いていたのか、知っていた。その蛍を「見ながら」食事ができるなら、その値段でも仕方ないのかなと思っていたら、バンコクの安ホテルの朝食のような、バイキング形式でホテルの上層の階で食事だけ食べ、食後に散歩がてら蛍のいる庭へどうぞ、という事らしい。それで8800円。正直近くで夕食を食べ、庭だけ散歩した方が数倍よい。
まあ母親がおごってくれるなら、そして話し相手になり、へそを曲げないように気配りする事が親孝行なので、文句ひとつ言わずに付き合っていた。何だかんだ行っても、母親の面倒はこれまで家族の誰よりもずっとみている訳で、親戚からもそういう息子に見られている。親子とはそういうものなのかと言う人もいるが、私にとってはよく理解できない。子供に何を期待するのか、子供というのは自分の人生にとってどういう位置にいるものなのか、私にはイマイチ納得がいかない。
結局、自分の親を見て子は育つ訳であって、その親が子供だけでなく家族とよい関係を作れなければ、子供も不幸な訳じゃないだろうか。こればかりは、人それぞれなのだろう。心の底から、家族というものはこういうものだというような家庭を、自分の親を見て作りたいと思った。皮肉なものだ。
また、自分が子供の頃からずっとアトピーや喘息を持っており病弱で、レントゲンは既に100回近く撮っているし、飲んでいる薬の量は相当なもので飲んでいない日の方が少ないということから、私の子供が健康である確率はどう考えても低い事も、私が自分の子供が欲しいとか思わない大きな理由の一つでもあったりする。
私は私の家族の為に守らなければならないものを守る為、力を注ぐ。それは由であり、くーである。今後自分の子供がこの中に加わる事は、今の所考えていない。その理由は、こういう事だったりする。そして自分の限りある人生に、悔いが残らないように自分が楽しみたい。
写真は今日のバイキングでも出た寿司なのだが、それとは比べものにならないレベルのおいしいお寿司。既に二桁を越える回数を通っている、網走の某寿司屋で食べられる、生たらばがに。これはウマイ。
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9 Responses to “親孝行は蛍とともに”

  1. じん@山手線 より:

    よんきちの、母親に関する話を聞くとホントに私と似たパターンで
    毎度頷いてしまいます
    幸い私は、ここ数年ほどで母親との最悪の状態から脱しました
    私が脱したという事は、よんきちにもそういう時が来る可能性が充分ある
    で、実はその時が近づいているのではないかと私は感じています
    親子の事なんだから自分が親子関係について
    本当の意味を感じられなければ解決につながらない
    そのキーワードは子供
    よんきちは子供を持つ予定はないと書いてますが
    もう親バカぶりめちゃめちゃじゃないすか(笑)
    そこがヒントになるかな、と

  2. よんきち より:

    じんじんさん、おはよー。(^-^)
    RSSのエラーが治せなくて申し訳ありません。うーん同じリーダー入れてデバックしたんだけど今一翼分からない…各アーカイブなどをモジュール化すると見えてくるかなと思ってその調査をしたんですが、まだよく分かってない状況です。ご不便をおかけします。m(__)m
    オフクロの話、じんじんさんとは一度武蔵中原の池の前で少し話しましたねぇ。ちょっと今回はネタにしてしまいましたが、ちょっとした段差でけつまづいて転びそうになった母親をみて、ああ、確かにもう歳なんだなとは思いました。前よりは少しづつまるくなってきているので、じんじんさんの所みたいに、変化が出てくるのかもしれないとは思っています。
    親バカ…まあ人間ではなくて犬コロですが、かわいくて仕方ないすよ…今日も足もとで場所占領して、へそ天になって寝てました。(^_^;

  3. うりちゃん より:

    親ってさ~、わがままな方が後に残るのよね(^_^;自分の体験から言っても。
    うちは母親が平成元年に亡くなって、体の弱い父親が残ったんで、も~大変ですた(^_^;
    何が大変って、「依存」
    私ゃあなたの母親でも奥さんでもないから!って何回心の中で叫んだことか(笑)
    こんなこと書いたら親孝行ってスレタイに反しちゃうけど、その父が亡くなって、どんだけホッとしたか…。
    でもね、その間、意外なほど父からお世話になったし、こちらもやるだけのことはやってあげたという自負があるので、後悔はありません。
    正直なとこ、面倒見なきゃならない人がいなくなったので、これからは自分の人生を生きようって思ってます(笑)
    こっちに移住したのもその一環でつ。
    あのときわがままを聞いてやればよかったな、なんて後悔しないように、今のうち尽くしてあげてください。
    その分いいこともあるかもよ。
    あと、網走のお寿司屋さん。某じゃ分からん(T_T)
    私も行ってみたい!お願い、メールで教えて!m(_._)m

  4. おっと より:

    生きてるから言えるってのも在ると思う。
    死んじゃうと、言いたい事があっても言えないからねぇ
     死んで欲しい相手と言うのなら、仕方ないけど(^^;
    両親には恵まれた方なのかな?>うち
     まぁ、介護していると、外に出れないって言うのもあるけどねぇ(^^;
     旅って言う物が縁遠い物になってきています(ToT)

  5. よんきち より:

    暗い?話にコメントをありがとうございます。別にそんなに落ち込んではいませんので、ご安心ください。ただたまに、私の憂鬱度を上げる引き金になっているのは確かなんですが…(^_^;
    うりちゃん
    親子関係って、結構苦労している人が多いんだなぁって思ったりします。親の心、子知らずっていうけど、逆も充分あります。ましてや町中にはどうみても困った親っていうのが目立つし、そういう人に限って全てを他人のせいにするようなタイプが多いような気がします。親がしっかりしないで、子は何をみて育つんだ?って感じ。
    私は親父がバイク乗りだった事や、マイペースでめったに怒らないタイプだったので、元気に手術室に入っていったのが最後、二度と帰らなかったという事実は今思い出しても辛い出来事でした。明らかに医療事故なのに、もうその時は訴えるどころではありませんでした。
    母親はいつもそうでしたがこの日からは激しく「世界で一番不幸なのは私」モードに入り、親を失った子をも蔑む言葉を発し、たまったものではありませんでした。それからもう8年、そろそろ落ち着いては来ています。
    介護というモードに入ったら、もっと大変ですよね。いくら愛情があっても、やっぱり辛さはついてまわります。状況は違っても、皆さん誰かが親なんだから、同じ苦労はするという事ですよね。
    うりちゃんもいろいろ乗り越えて来たんですね。自分の人生は、やっぱり自分が造り上げていくもので、それは何よりも優先されるべき事でいいと思います。ただ、当然しなければならない事はしてこないとならないのでしょうけど…
    網走の店はメールしますた。店の名前すら伏せてますからねー。(^_^;
    おっとさん
    おっとさんはお店の跡を継いで、そしてお父さんと一緒にいてあげなければならないのは、大変だと思います。でも由もそうですが、いつまでも尊敬できて、大事にされ、そして大事にしたいと思えるご両親に恵まれている事は、とても幸せな事です。私はおっとさんや由が羨ましい。
    まあ言うほど自分の母親をどうの、という訳ではないんですよ。親父にはもっと親孝行してやればよかったなとは今でも思っています。母親の言動をみて、子供は育っている訳ですから、自分がそうならないようにするまでです。そして墓を守るとかよりも、今生きている時間を大事に、そして少しでも幸せに生きたい。笑っていたいと思うだけです。

  6. うりちゃん より:

    うううううっ、メールくれたんでつね?(^_^;
    やはしアレがそうだったんでつね?(^.^川
    すみません、ウイルス&迷惑メールが夕方から立て続けに入ったので、一緒に削除しちゃいますた(T_T)
    ごーめんなさ~い!
    虫のいいお願いですが、もう一回送ってもらえませんか?
    お願いしまつm(_._)m
    私の場合、苦労なんてものでもないですからね(笑)
    むしろ内情を知らない親父の友達には親父の方が苦労したと思われてるんぢゃないでせうか(爆)
    突然の死ってたまらないですよね。ましてやそれが「事故」と言う名の「殺人行為」であればなおさら。
    私の友人もお父様の医療事故死に関して弁護士を立てて争っているけど、うやむやのまま終わりそうだと話していました。
    亡くなった人が一番安心して喜ぶこと、先輩から教えてもらいました。
    それは、残った家族が幸せになることなんだって。
    お父さんが好きだったなら、よんきちさんがう~んと幸せにならないとお父さんは安心できないんですねぇ(^ ^)v
    だから、よんきちさん由さん+くーちゃん、一家で幸せになってくださいね。

  7. よんきち より:

    うりちゃん、どもです。(^-^)
    ウィルス多いですからね…まあウィルスが来るという事は、自分のアドレスをPC内に持っている人が感染している訳で、殆どが自分の知り合いが原因だったりするんですが…スパムはhotmailならまず無作為に来ますけど…(^_^;。という事で再送済でございます。m(__)m
    父親の一件も、父親には申し訳ないですが、泣き寝入りしました。でも今もその病院を私は信用していません。まあ私が6歳から通っている所もこの前、問題起こしてますし。病院に行かないで済むなら行きたくないと常々思っています。
    そうですよね。私も先祖代々の墓を守る事よりも大事な事は、幸せになる事や、故人を忘れない事だと思っています。形だけ墓参しても仕方ないし、現代のように墓ひとつ保持するのが難しい時代、私は少なくともその地に迷惑にならない程度に散骨して頂きたいと思っています。地球だって、いつか滅びる訳ですから。
    私は自分が幸せと感じていなくても、私の家族を幸せにするのは責任があります。また親しい友人にはみんな幸せになってほしいと願っています。簡単に「幸せ」なんて言えるものでもないですが、純粋にそう思っていたりします。難しいのは判っていますが…

  8. より:

    先祖の墓も、親の墓もないワシも散骨希望だな。死んでからも地球の一部を占有したいとは思わないしね。
    できたら生物の栄養にでもなればいいとも思うのだが、自分の死体をその辺に転がしておくのも迷惑だろうから、焼いてそこらへ撒いてくれれば充分だ。
    モンゴルを旅したとき、山あいのなだらかな緑の丘で風葬の現場を見た。石が丸く並べられていて、その中心に平たい岩があり、人骨が横たわっていた。人家などどこにもない、モンゴリアンブルーの空の下の、白皙の雲がやけに近く見える広漠で静謐な大地の中である。
    それを見たとき、なんの恐れもなく、嫌悪もなく、ただ清浄な気持ちで、「あぁ…いいなぁ、ぼくもいつかこんな所で宇宙(そら)を見上げながらゆっくりと大地に還ってゆきたい」と想った。
    そんな思い通りにかっこよくいかないだろうし、死にそうになったらジタバタするのだろうが、そんなふうに考えている。

  9. よんきち より:

    せんせいおひさ
    散骨で最近ちと問題も起こっているみたいです。北海道のどこかだったか、テレビでやってました。私有地内に自由に散骨できる霊園を個人経営しているらしいんだけど、近所の人ともめて自治体が独自に規制かけたりしているようです。
    海への散骨自体も現実には結構されているようですが、狭い日本、開陽台に散骨してくれといっても、された跡も気味悪くて迷惑ですよね。ただ、墓なんかいらない、散骨してくれという人はどんどん増えているようです。新規募集の墓地も何だか集合住宅みたいですごいもんね。結局の所ビジネスなんだろうなと思うと、墓への疑問が生まれます。
    そうそう、チベットやモンゴルは今もまだわずかに鳥葬が残っているようですよね。チベット仏教などは輪廻の中の前世と今という考えがとても慈悲深いのに、肉体は石の台の上で切り刻まれ、潰され、鳥たちに召されるという残酷とも思える方法を取る訳で、そういう宗教も含めて自分に照らし合わせると、どうすることが自分にとっていいのか、色々と気がつく事があるようです。
    少なくとも自分が死んだ跡に誰かに慈悲を求めようなんていう考えは、あまりないですね。とはいえ直接関わった人は別で、若くして友人を失ったりしたら、忘れる事はできません。形で示そうとは思いませんが、交差した人生という部分は自分の中では大切なものですから。

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