丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

思いやりのある生活

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

カテゴリで愚痴というのが必要かもしれない。日々の生活の中で、愚痴というジャンルに含まれるものが、実際何も生まない非生産的なものに属するのはうすうす分かっている。しかし、呆れてとか、情けないと感じる事があまりに日常に多すぎるのも、悲しいかな事実なのだ。
帰りが辛かった。子供連れの多さだけでなく、妙にイラつくのが多い。都会にいるとこういう事が多く、人が多すぎるのもその理由のひとつかもしれないが、人に迷惑をかけて平気な顔をしているのがあまりにも多すぎる。気候も意識が朦朧とする位、湿度が高く、不快極まりない空気の中、それぞれがイライラ感をつのらせていたような感じだ。
たかがバスや電車に乗るのに順番争い。子供連れの親がバスの中で子供を走り回らせ、椅子を遊び道具にしている姿。バス停横で煙草を吸い、子供やおばあさんに煙をはきかけ、灰を指で飛ばす。当然ながら最後は吸殻は足元に捨てる。こういう姿ばかりみていると、本当に一度人類は滅亡した方がいいのかとすら思える。
結局の所、無神経なのが多すぎるんじゃないだろうか。ACのコマーシャルにもある通り、ジコチュウが増えている、というのはその通りだ。いつでも誰でもが、被害者になりうる状況は事実だ。本当に情けない。
夏休みで多くの観光客が汐留やお台場にやってきている。そんな所に事務所を構えている会社も問題だ。何ひとつメリットはない。全社員の交通費が余分にかかり、窓口のある銀行すらなく、人が生活する上で必要な施設が足らない事もしばしばだ。病院にしても、選ぶ余地はない。そういう理由からすれば、会社のせいと言ってもいい。
折角一番好きな金曜日の帰りに、もうヘトヘトになって帰ってきた。変なじいさんに絡まれるは、暑くて汗が目に入るわ、疲れた…
昔は今ほど疲労感も失望感もなかった。大抵は夏のロングツーリングでリフレッシュし、また次の旅までの1年の都会生活を頑張る事ができた。なかなかそのスパンが短くなり、夏だけでなく冬も旅するようになり、春、そして秋と、四六時中旅に出たくなる。そして今は旅に出ても帰る事を考えた時点で、既に憂鬱な気分が戻ってくる。リフレッシュなんかどこに行ってしまったのかわからない。
少しでもその間をもたせる為に、夏の旅はいつも8月後半。同僚の殆どが今もお盆の時期に集中して休むのだが、そのあとにゆっくりと休ませて貰う。反面、7月末から8月頭にかけて休むのも以前あったが、これも早く休みが終わり、秋までが長く辛い。まあ堂々巡りの葛藤との戦いが、毎年行われるようなものだ。
この週末から、友人が旅に出る。どうやら、今年の旅はいつもと違うらしい。これまでなんだかんだ行って往復の船を私と一緒に取り、北海道を旅してきた彼は、今年はこれまでにない旅になる事だろう。よい旅を、そして思い出に残るよい時間を過ごしてきて欲しい。
本格的な夏休みシーズンに入る。ただ旅の恥はかきすてではなく、あくまで自分が楽しむ為に、廻りに迷惑をかけていいなんて思わないでほしい。人間なんだから、モノを考えられる生き物なのだから、できる限り廻りに迷惑をかけずに、自分達が楽しんでほしい。いつからそんな基本的な事を後回しにするようになってしまったのかわからないが、そうする事で、誰もが楽しい時間を過ごす事ができるのだから。
そしてもしも廻りに迷惑をかけてしまったら、素直に謝る事。これがまたできない。そういうオトナが多くなっているが、単純な事だ。それを見た子供や若者はどう思うだろうか。悪循環の根底に、今の時代オトナと呼ばれる人々の言動にかかっている。
まあそんな簡単にはいかないだろうが、気持ち的にはお願いだから…という気持ちである。頼むから、自分たちの事は自分で始末して欲しい。旅やキャンプの基本でもまさに同じであり、それができる事で初めて、自分の時間を楽しむ権利を得られるのだから。大人数で混雑していても、それぞれがちゃんとできれば、別に不快になる事はないのだから。
写真は通勤に使っているバス。キョロちゃん号はおいといて、今日は携帯のバス運行情報システムが障害だったらしく、10分以上遅れているのすらわからず、これもマイナス要素になってしまった。
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6 Responses to “思いやりのある生活”

  1. うりちゃん より:

    思いやりってさ、ゆとりがないと持てないものじゃないだろうか。
    キチキチのパッツパツで生きていると、どうしても他人を思いやることができづらくなる。
    自分のことしか考えない人が増えたってのは、そのまま人間的幅のない人が増えたってこと…。
    人口密度の高いところで生活していると、どうしても許容範囲は狭くなるよね。
    高密度で育てたラットが共食いをするのと同じ。
    企業の拠点をあちこちにばら撒いて、人を分散させればいいのにね(^-^)

  2. よんきち より:

    うりちゃん
    愚痴に書きにくいコメント、ありがとうございます…(^_^;
    自分自身、ここで朝晩通勤していると、嫌な人間になっているのがよく分かります。イライラする事が多すぎて、それもひとつの原因なんでしょうけど、自分にも余裕がないんでしょうね。
    昔は夏のツーリング終わると、自分がすごく柔らかくなっているのがわかる程でした。しかし、最近はそのスパンがどんどん短くなっていき、今では週末の土日だけじゃまったく足らず、土日あわせて1週間かけた旅でもまったく足らなくなってきています。
    しおどきっていうのがあるのかもしれないけど…
    今日も喘息くんがやってきて、私を「やる気なし0円」状態にしています。あーもったいない…(T-T)
    今日鱒やに泊まっている私の友人が、明日にでも網走の寿司屋をリサーチしてきてくれると思います。彼も一緒によく行っていました。少なくとも昨年9月頭には、私もその友人もあそこで食べているんですよね…健在でいてほしいです。

  3. うりちゃん より:

    よんきちさんは偉いと思うよ。
    だって実際その街で生きてるんだもん。
    私にゃ無理だなぅ。
    ちょっとズルすること、ズルしても後ろめたく思わないことも覚えた方が身のためみたいだけど(^◇^)v
    そうそう、こっちで新しくお友達になった方に今日、
    「関東から来て三ヶ月くらいすると、大抵の人はホームシックになったりするんだけど、あなたは大丈夫? 寂しくないの?」
    って聞かれた(笑)
    ああ、そういえば、ホームシックなんて言葉があったんだなあ~、なる人いるんだ~、へぇ~、って思った私って一体…(爆)

  4. よんきち より:

    うりちゃん
    そんな事ないですよ…思い切ってという所でいつも足がすくんでしまっています。それはよく自分で分かっているつもりです。楽とか安全とかをまだ、選んでいるのは確かです。単なる惰性です…
    でもいつか絶対に北海道か信州か、広い土地に無駄の多い家を建てるんだもん。(^_^;
    その為にも、自分で生活できるように何とか地盤の目処をたてないと…
    ホームシックって、人によりますよね。ホームがどこかによるし。私のホームは心の中では開陽台です。スラム化した実家のある新宿ではありません。

  5. じんじんさん より:

    たまに「グチは絶対言わない」っていう人がいるけど
    カッコイイと思う反面、危険だとも思います。
    グチは確かに、言うことが生産的で無いから、言う事自体がネガティブととられがちだけど
    実は言う事で「ダメじゃん」ていう物に対する思いを維持出来ているのだと思ってます。
    というのは、グチに相当する部分を言わない、というのはガマンするわけで、ガマンを続けるために
    カラダはだんだん「マヒ」という方向に行ってしまう。
    つまり「ダメじゃん」という物を見ても「ダメ」と感じなくなるということではないか
    ということです。
    このマヒ、は意識でどうにか出来るものではなくてカラダが本能的に反応してしまうから防ぎようが無い。
    じゃダメなものに対してガマンせずにグチも言わずに済ませるにはどうするか。
    それはアキラメ、なんだよね。
    その対象が言っても、明らかにムダ、というアキラメがあればグチは出にくい。
    要するに、グチを言わない、というのは、どっちにしろ良くないんではないかと思うわけです。
    グチりながらも、やることはキッチリやる
    という路線が良いかと。

  6. よんきち より:

    反省しきり…
    愚痴も何でも、言い過ぎはよくないですよね。言わないのもダメだというのは、やっぱりガス抜きというか、表現の一つと見なした解釈というか、感情を持つ人間が必要とされるものなのかもしれないですね。
    グチりながらもキッチリ…はい、胸にグッサリ刺さります…(>_<)

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