初めてのレプリカ(3台目)
yonkichi, · カテゴリー: バイクどうやら今晩から、都心も雪模様となるらしい。
あいかわらず変な咳が出たり、たまに熱っぽくなる体調を騙し騙し、週末までもたせているという感じである。
今季は雪とあまり縁がない。というのも、スキーも北海道旅行もトレッキングも計画が軒並み犬の怪我でキャンセルされてしまっているからである。本当なら道東か信州、もしくは那須周辺の雪原へ遊びにでかけていたはずなのだが…どうもツイていない。
という訳で、引き続きバイクの話。
我が3台目の愛車は、これまでのオフロード(トレール)バイクから一転して、獰猛なエンジンフィールの250cc、2ストロークレーサーレプリカである。
特にスピードに何かを求めるような走りをするタイプではないが、突然この時のハイパフォーマンスバイクに乗る事で、ライディングスタイルを見直したいと思い、これまでとはまったく違う種類のスズキRG250ガンマ2型を手に入れた。
一世風靡したRZは、友人を失うという衝撃の出来事も生み、そのレーサーレプリカの恐ろしさと背中あわせの存在だった。そんな中、ガンマ1型は高校の友人が発売と同時に手にいれ、興味本位で乗せて貰ったのだが、いきなり立ちゴケしそうになるブレーキタッチとピックアップで、懲りてしまった。やはり同時期にGPz400がデビューし、そのスタイルに惚れ込んでしまったが、車検付のバイクなんか維持できる経済状態ではなかった。
ガンマが2型となり、それまでのデザインより好感が持て、ブレーキタッチも大幅に改善。また何より気に入らなかったエキゾーストノートが低音が含まれる好ましいものに変わり、ハーベーカラーではなくあえてスズキワークスのカラーを選んだ。
色々な理由や経緯があったのだが、そのパワーの出方やフロント16インチの独特の乗り方に難儀しつつ、乗る喜びを感じるようになってきた1カ月目のある日、私はとんでもない大事故を起こしてしまった。実家にアルバイトに行く為、早朝埼玉へガンマを走らしている最中、横に接近してきた大型トラックが、幌の左右に垂らしている平ゴムのベルトが、私の運転しているガンマのハンドルエンドに絡まり、加速中だった私は一種にしてバイク前方5~10mに飛ばされた。ヘルメットをアスファルトが削り、肩から叩きつけられた。しかしその瞬間の多くは覚えていない。
気がついた時は、2車線の道路のまん中で、立ち上がろうとしていた。白いワンボックスが目の前に停まっており、運転手が顔を出し、大丈夫か、と声をかけた。私はすみませんと何故かあやまりつつ、道路のまん中に横たわるガンマを引きずるように、路肩に引っ張って行った。しばらくすると、停まっていた車は走り去り、道路には通常の車の流れが戻っていた。それを眺めるように、路肩に腰をおろし、サイドスタンドをかけたガンマの横に何が起きたのか一生懸命思い出そうとしている自分が居た。原因となったトラックは消えていた。
肩が痛い。ヘルメットも傷がついてしまった。肘と膝を擦りむいているが、骨は折れていないようだ。ああ、やってしまった、いくら修理にかかるのだろう、と悔やむ事が次々と浮かんでくる。
ふと、フロントタイヤの下にオイル溜まりができているのに気がついた。よくみると、アルミ製のフォークのボトムケースがバックリ割れ、中のスプリングが見えている。フロントフォーク2本とも、右側に湾曲し、それに沿ってダブルディスクも平行に曲がっていた。どうやら、このフロントタイヤの上を、トラックのダブルタイヤが乗り上げていったようだ。
途端に体が震えた。死んでいたかもしれない。本当に恐怖だった。非力なバイク乗りを痛切に感じた。
落ち着いてからトラックをよび、その足でバイク屋にドック入りした。しばらく乗るのが怖くて仕方がなかったが、私は乗り続ける道を選んだ。その時の気持ちの変わり方は、簡単には説明はできないが…
修理は1カ月近くかかり、もう1台買える位の値段をかけて復活。その後、このガンマで北海道へ初ツーリングを行ったり、峠を走る楽しさを覚えていく。
思いの外、ロングツーリングでも扱いやすかったのだが、写真のまだ未舗装のサロベツロードは、フロントが小径&ワイドタイヤなガンマは非常に乗り辛く、汗だくだった事を思い出す。利尻富士が美しい。
おーーよんきちさんもレーサーレプリカに乗っていた時期があったんですね。噂には聞いていましたが。未舗装のサロベツロードというのが時代を感じます。
コメントありがとうございます。
このバイクでは本当に命の危険を何度も味わいました。トラックに牽かれたり、左折巻き込みにあったり…未熟でした。でも、結構この2型ガンマは楽しかったです。
こんなバイクに乗っていても、ジーンズにボマージャケットという出で立ちや、クシタニのツーリングジャケットとかで、レーサーっぽい乗り方はしていませんでした。
気合を入れて、6000rpmからのパワーバンドに突っ込み、直後バックミラーが真っ白にさせて町中をカリカリ走っていたこともありましたが、私にはもったいないエンジンでした。北海道を走った時も、モチュールのエンジンオイルを4L積んで走っていたので、テントは積まず、シュラフだけでした。
この時1985年、サロベツのダートだけでなく、各地で未舗装路が多かった思い出があります。中標津空港も、まだ管制塔しかなく、空港と言えるレベルではなかったですね。
かっちゃんの実家周辺では、上砂川が妙に気になってウロウロしました。まだ閉山してませんでしたよね。