懐かしさと残りもの
yonkichi, · カテゴリー: あれこれ風邪の為に寝ながら2.5インチの小さな液晶で映画を観ていた。
その中に私が好きな「幸せは黄色いハンカチ」が入っていた。何度観た事か。それでも間をあけて、繰り返し既にかるく二桁は観ている。
そんな中で、忘れていた情景が浮かびあがる。まずは冒頭の武田鉄也氏のファミリア。我が家にこのCMソングのソノシートがあったなあと思い出す。他に我が家には、カローラのものもあったと記憶しているが、既に全て処分してしまった。
次に私のそれこそ青春時代である、近海郵船のまりも。初めて私が北海道ツーリングをした時に乗った船そのものだ。これで武田鉄也氏もナンパ目的で北海道に渡ったという設定である。下船して、ベルトコンベアの橋が渡っている駐車場を走り抜けるファミリアの背景には、私の記憶にも深く刻まれた釧路西港の風景が流れていた。
釧路駅前のシーンや私は何十回も走ったR272のような風景の中、これまた当時のスポーツカー、セリカ1600GTを追い抜く所は、時代を感じさせる。
網走駅前で桃井かおりをナンパするシーンでは、今も変わらぬ駅舎が涙をそそる。オホーツク沿岸はどこでの撮影かよくわからないが、道東でのシーンはストーリーとロケーション両方を気にしながら観る。
阿寒の山並みは今と変わらず。しかし帯広駅前はまったく変わっていてわからなかった。狩勝峠は言葉だけで実際は特定できなかったが、空知を抜けて歌志内で銀座カンカン娘が歌われていた場所をよくみると、あの私の好きだった悲別ロマン座の前だった。元々映画館だったのだが、この時既に廃屋のような状態だった。私が最初にここを訪れたのは1985年。既に屋根には穴があき、なんとか中に入る事はできたのだが、瓦礫で足の踏み場がなかった。翌86年にあらためて訪れると、雪の重みのせいでまん中から屋根が落ちていたのだが、そのしばらく後に復旧されたようだった。妙に懐かしい。
夕張もよくよくみると、夕張駅前や負の遺産となったユーパロの湯手前の踏み切りはすぐに分かった。そこから先、あの賠償知恵子が黄色いハンカチを掲げて待っていた最後のクライマックスに使われた長屋は、今も保存されている。
夕張はこの映画もそうだし、炭鉱で栄えた歴史も、まさに高度成長期の日本を映す鏡だった。しかし愚かな役人が私利私欲で食いつぶし、今はかすかな残りだけでなく、残された人々が負を背負わされ、あまりにも哀れな現状になっている。
私は北海道の炭鉱町の雰囲気が好きだ。最近テレビの特集で、羽幌炭鉱や一番最後に閉山した北太平洋炭鉱などをみると、心が掴まれる思いがする。
後先考えずに、自分の人生の間の事だけを考え、まさに今の企業もそうだが、美味しい所を吸い取って豊かな老後を送る事ができる団塊世代の一部のいわゆる成功した人々がしてきた残りカスが、目の当たりにできるからだ。
私達の次の世代がどうなるのかわからない。私も今の自分の生活の事を中心に考えている。それは当然の事なのかもしれない。しかし今少しづつ、環境の事や次の世代に残せるものという事を言葉に出す人々も増えているのは、きっとそういう閑散とした跡地を目の当たりにした人なのではないだろうか。
映画がその時代を映してくれる事もあるという事を言っても、自分の事しか考えていない人々には、それからは何も伝わらないだろう。
写真はその映画の中に一瞬出ていた、歌志内にある「悲別ロマン座」。ドラマの中でのように、マが少し右に傾いでいる。1985年秋の写真。

5年程前に「教習所物語」ってあったけど、あれはその前年に免許を取った武田鉄矢の体験をそのまま映画にしたものだとか
だから、当時は免許を持ってない状況でロードムービーに主演してるんだから、すごいよねぇ>武田鉄矢
おっとさん
武田鉄矢って、当時から歳に見えるよね…(^_^;
免許の話は聞いていたけど、映画になったんだ。知らなかった…
改めてみると、本当に自分たちの姿をみているようですな。まあナンパ目的ではなかったけど、シーンの端々にちょっとゾクっとくるものを感じます。
私たちも歳くったねぇ…(^_^;