丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

からまわり

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

今日はちょっとしたイベントで15時には会社は終わり。昨日の月曜から会社はドタバタしているのだが、いそいそと私は撤退。先々週から顔を出せとうるさい母親のいる実家へ向おうと思ったのだが、電話をすると、今日は通院の日で検査結果を聞きに行くとの事。結局、中止した。
丁度今体調が悪い時期なようで、先日も夜中にわざわざ靴下と湯飲みと薬を病院までもってこいと言ってきかず、こちらがどんなに体調が悪かろうと、遠くにいようと、来ないとキレる。
人の状況を一切聞く耳を持たない状態になり、疲れている体で車を走らせる為、危険を感じる事も多々ある。そんな事情は一切聞く耳がない。あげくに後々まで行かないとある事ない事他人に言われる為、本当に滅入る。どれだけ苦労して相手をしていても、感謝の気持ちすらない。
これまでは100%、具合が悪くなっても、病院に到着すれば落ち着くという、いわゆる充分健康な体なのに、どこかが悪いと思い込んで、検査を繰り返す、いわゆる老人性の鬱な症状なのだが、最近はちょっとましだっただけに、またもや始まったかと頭を抱えてしまった。今回も結局検査だけで、どこも異常はなく、病院のよいお得意さんな母なのだった。
私の兄である長男は何をしているかというと、実家の近くに配達の為にきているにも関わらず、行けないとそれ以上何も言わない。長男の母親に対する認識は相変わらず薄く、これまで結局全て世話をしてきた私に、またお鉢がまわってくる。
私はそれでも見捨てる事はできず、たまには顔を出すようにしている。顔を出した翌週に、最近顔を出さないとか訳のわからない事を平気で看護師や親戚に言われる立場としては、一切顔を出す事を拒否したい所なのだが、それでも実の親だから仕方がないという気分になる。ぼけている訳ではない、そういう性格なのだ。昔から。
私は最終的には長男である兄に最後は面倒をみさせるように主張している。これまでわがまま放題の兄と、それを許してきた親。兄は親孝行を今しなくては一生しない事になるからだ。家業を継いだ時点で、私は一切がっさいを自分一人でやっていこうと思ったのであり、実際独り暮らしをはじめる時に少しだけ援助はして貰ったのはあるが…小学生の頃から、自分のこづかいはバイトしていたのは私だけだ。
それに、健康で風邪ひとつひかない兄よりも、私のように体調をよく崩す人間にわざわざ世話をさせる事は絶対に矛盾がある。自分自身が倒れれば由やくーに苦労をかけるわけで、それは私は自覚している。だからこそ、私が母親に対してはしっかり接しないとならないと思っている。
行かなくて済んだのは不幸中の幸い。新橋で伸びた髪をカットし、17時頃には帰りついた。
くーと少し遊んでやってから、今日は私が料理をする事と決めていたので、仕込みをする。先日御殿場に持っていった鳥大根の材料の残り、骨つき鳥肉をスパイス漬けしておいたものと、じゃがいもと人参をロッジの8インチのサービングポットで焼き、これまた農家の方に頂いた白菜でサラダと、とろみをつけた中華スープを作った。ダッチオーブンで料理したあとは、片づけも私である…
夜は副業の仕上げに関して、安比のペンションと電話打ち合わせ。今日は早めに寝たい。
写真は母親の郷里、釜石の橋上市場。私と由で親孝行の為に同行した5年前の秋のもの。兄は当然同行する気もない。
20061128.jpg

嬬恋の熱い一日

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

先週、久しぶりにゆっくり寝て、朝食を取っていると、拓郎がテレビに出ていた。
夏に行われた嬬恋の特番だった。31年前、つま恋で行われたライブをもう1度というスケールの大きいイベントだ。
正直な所、実際に行きたかった。しかし結局それは叶わず、テレビでその模様を見る事になったのだが、充分にその熱い1日を感じる事ができた。
何度も何度も観客をカメラが映す。その映された人々は、殆どがおじさんとおばさんだった。彼らのどの位が、31年前にこの会場に集まったのかはわからないが、世代は見事のいわゆる「団塊の世代」だった。
31年前、私は小学生だったのだが、生憎父親も母親もフォークには興味がなかったようだ。その頃から自営業をしていたので、そうそう聞きに行けなかったという事情もあるだろうが、少なくとも当時は兄の部屋から聞こえてくるビートルズ位なもので、私はあまり音楽には興味がなかった。
バイクに乗り、一人で日本各地を旅するようになってしばらくした頃、開陽台にほど近い和琴に集う旅人が、年に数回、内地で集まって焚き火を囲み、酒を酌み交わすという事をやっていたのだが、それに誘われていた。
しばらく用事やら私自身が同じ晩秋の連休の日程で、廻り目平でキャンプをするイベントを主催していた関係で、2年ほど遅くはなってしまったが、参加するようになった。そこで、焚き火のまわりで歌われていた曲の半分近くは、拓郎だった。
31年の時を経て、彼らはこう大合唱した。
「私は今日まで生きてみました
 明日からもこうして生きていくだろうと」
私たちは、今もこの歌を歌い続けている。
写真は歌と焚き火のアナクロな世界。和琴ミーティングの時間より。
20061127.jpg

勤労感謝の日は勤労で

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

飛び石連休初日。実は私は副業の方を集中してやる為、今日・明日はしっかり仕事なのだ。
本業以外でこれまでちょこちょこ副業をして収入を得てきた。しかしやはりなかなか普段は没頭できない。今回は私にとってもちょっと複雑な事をするので、一人で悩む時間が必要になる。
先日私は本業の方でカンヅメ研修を受けてきた。その中で、同じグループになった3人とカウンセラーの人と、夜にゆっくり話す時間があったのだが、それぞれ皆同じ仕事の悩みや会社に対するもどかしい気持ちを持っているのが判った。
私は、カウンセラーという仕事は心理学のエキスパートでなければできないものだと思っていた。しかし、現実は資格制度がある事から、資格を取ればその仕事ができる事になり、当然ながら人によってそのカウンセリングスキルに差が出てくる。担当の方は、どれが本業なのかわからないが、製造業とこのカウンセラーと、他にも細かい仕事をやっているという事だった。子供は5人という大所帯の主であり、子供たちは殆どが登校拒否の生活をしていたという。
苦労はされているようだが、それが実際人の人生のカウンセリングでどの程度能力を発揮できるのかというと、私には半信半疑だった。しかし結果的には、それなりにカウンセラーとして、しっかりと特徴を掴んだコメントとか、意見をされていた。
正直私自身、カウンセラー的な仕事はそんなに不得意ではないと思うのだが、ただそれを仕事にしようとは思わない。人には向き不向きとあわせて、やりたい事とやりたくない事に別れる訳で、私はそんなにその仕事に魅力を感じないだけなのだろう。
本業は、今の仕事でそれなりの目標をたてて、資格を取ったりスキルを向上させたりする方向で間違いはない。副業ではさてどうなのだろうか。
とりあえず何か見えてくるまでは、今私がやっている副業についても、色々経験を積むべく取り組んでみたいと思う。それがいつか、由とくーと今以上一緒にいられる時間を得られる事になるなら、それにこした事はない。
写真は私の仕事中、足元でお尻のあたりをくっつけて寝ているくー。
20061123.jpg