丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

大晦日は家族と共に

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

朝寝坊の大晦日。家族揃って近所の公園に散歩へ。寒さ対策をして行くと、着膨れしてしまう。
神社にもまだ人が殆どいない。きっとあと10数時間もすれば、大勢の参拝客で賑わう事だろう。私たちが今の地に住んで、もう8年以上になるのだが、同じ区内で生まれ育った私は、学生時代ずっと中学の友達の家が経営する小料理屋で一晩中飲み明かした。今では殆ど酒を飲まない私でさえ、朝まで飲み続けたこともできた時代だった。
結婚してからすっかり年末年始は家や旅行先で家族と過ごすようになった。ネパールはポカラや北京、沖縄、北海道などで過ごす年末年始というのは、ちょっとした雰囲気で私は好きだった。逆に休暇を終え、羽田や成田に戻ってくると、その寒さや翌日からの仕事に震えるのが、パターンだった。
くーが生まれた2002年12月14日、そして我が家にやってくる事が決まったその一週間後から、我が家ははじめての犬を迎えるにあたっての準備にてんてこ舞いだった。フローリングにマットを敷いたり、サークルを100円ショップのネットを買いあさってジョイントで組み、クレートを買い、居場所を作ったりしていた。くーがやってくるのは2003年2月なので、その正月には激寒の北京で2度目の正月休みを送った。当分、海外に出られないかもしれない、と予想しての事だった。冬の北京は水餃子の味、なんて思いながら、氷点下10度近い町を歩いた。
写真は厳寒の天壇。氷の世界。


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それからというものの、家族で自宅で迎える年末年始というパターンになり、久しぶりに対して面白くもないテレビをつけながら、年越しうどんを食べて過ごしている。
今年も夕食は由の作ったうどんだった。私は散歩を終えてから住所録のデータベースを更新して、宛て名印刷ですっかり疲れてしまった。こんな雰囲気で2005年は暮れて行った。そして、ぎりぎり日付が変わる30分前に、本局の窓口の職員に、99枚の年賀状を出す事ができた。
今年はくーの骨折後の療養で8月くらいまで。8月後半から9月にかけては念願の家族での北海道の旅、10月からはディスク三昧という感じで、後半は精力的に遊んできたが、私の本業の方は相変わらず精神的にも低迷したまま。来年はどうなるのだかちょっと心配だが、あまりそれにふりまわされず、1度しかない人生なのだから、楽しく過ごせるような事を優先的に暮らしていきたいと思う。
今年、お世話になった人たちに感謝すると共に、私たちの人生、くーの犬生が楽しくなる出会いに感謝し、今年の締めくくりとしたい。
このブログも今年2月からはじめて、ズレはあるが毎日駄文をUPし続けているのだが、ここに訪れて読んでくださっている皆にも感謝したい。
ありがとうございました。そして、来年もよろしくお願いします。
写真は、夏の釧路川源流。家族でカヌーで下る事ができた。

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やっとこさ年賀状を

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

朝から首を寝違えたのか、首が回らない。まあ借金(ローン)もあるので、首が回らないというのはあたっているのだが、痛いのは痛い。段々と夕方になるにつれて酷くなってしまった。
結構私はこういう事が多い。単に体が弱いだけなのかもしれないが、頸椎捻挫(いわゆるムチウチ)に何度もなっているのが原因じゃないかと思っている。整形の先生は、首の骨のカーブが一定ではないので、一部に力がかかりやすいそうで。
バイクで自爆事故(いわゆる一人ゴケ)は数えきれない程したのだが、その時は首を痛めた事はなかった。しかし由のいわゆる嫁入り道具を、その一つであるロッキーに積載し、東京にやってくる日、運悪く由が運転している時に、八尾の長原インターで渋滞があり、その最後尾についてしばらくしたあと、後ろからタイヤのスキール音がして激突されてしまった時は、見事に頸椎捻挫になってしまった。
その時の事は忌まわしくて思い出すのも腹がたつが、相手は事故の常習で、違反をもみ消そうと必死で警察には言わないでくれと言う始末だった。アホかと思うが、事故現場ではその相手のボンゴ・フレンディはエンジン部分が大破し潰れ、ラジエターが盛大に水蒸気を吹き出して自走ができない。それも高速道路上でだ。由は相当感情的になっていた。ロッキーのリアがひしゃげてしまっていたし、荷物は運転席に飛び出してきていた。
こいつが全○済の保険に入っていたのだが、この会社も酷かった。私の方の保険代理店の人に仲介を頼んで、少し話が進んだが、払う気がないようで、当然当事者も謝罪の一言すらない。そんな時、バイクの友人、といっても私よりはるかに年上で、社会的な地位がしっかりした知り合いが、その全○済に勤める知人がいると言うので、ちょっと相談して頂いた。
驚く事に途端に態度が豹変。翌日には保険金の支払いの手続きが始まった。何だかどうしようもない世界だなと感じさせられる。最近も保険業界が難癖つけて保険金の支払いをしないという事が取り沙汰されているが、いつ自分にふりかかってくるかわからないものだ。その友人にはとても感謝した。その人がいなければ、泥沼化していたか、こちらが諦めるまで少しでも払わない話が続けられたかどちらかだろう。
ロッキーはものすごく頑丈に作られているらしく、これだけぶつけられているにもかかわらず、そのまま自走して東京まで残りの400kmを走り切った。修理時もフレームへのゆがみは出ていないとの事。リアに着いているスペアタイヤがクッションの役割になったのもあったのだろう。相手のボンネットにはタイヤの形が見事にわかる程だった。
その後は整形に何カ月も通う事になってしまった。それから特に、たまにグキっとやってしまう。
今日はそんな首の中、漸く年賀状の作成を行った。由は元々美術屋なので、私よりもこだわりがある。また私は赤緑色弱なので、色に弱い。基本的に由にデザインをさせるのだが、いつも通り決まらない。腸炎の事もあったりして、どんどん押してしまい、こんな日になってしまった。困ったものだ。
明日は住所録のデータベースを更新して、宛て名印刷に入る。なんとか大晦日投函となるか?
とうとう今年は旅というかバイクの写真はゼロになってしまった。これまで意地でも1枚は使っていたのだが…まあいいか。こんな写真が年賀状に復活する年は来るのだろうか…
写真は夕陽の時間、美瑛の丘で。
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待ちに待った日

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

2005年の仕事納めの日。午前中は通常通り業務を行い、午後からは大掃除、15時からは打ち上げというのがパターンなのだが、ここ最近は私はさっさと掃除が終わったら帰ってしまう。会社ではとても付き合いの悪い奴なのである。
今年ディスク競技に出始めて、とはいっても競技に出始めたのは10月22日からなので、正確には2か月ちょっとなのだが、その間、昼練というのをしていた。毎日ではなかったが、多い日で平日全日、少ない日でも週3日は昼食を終えて35分から40分、ひたすらディスクを投げていた。
昨日はちょっと肩が痛んでいたので練習をやめておいたが、今日は仕事納めでもあるので、投げてきた。
今日は風が強く、なかなか練習日和だったのだが、やっぱり納得の行くスローが10投中1投位。これでは練習にならない。いや、練習になっているのだろうが、終わらせるタイミングがみつからない。実際は仕事が始まる13時5分前にはオフィスに戻らなければならないので、そんな事を行っている場合ではないのだが、今日は困ってしまった。
荒川のディスクが5枚はおいといて、公式ディスク2枚だけを最後に何度か投げる。しかしフォームが自分でもおかしいと判る位、何だかうまく投げられなかった。ちょと数日投げなかっただけで…と練習はまめにしなければならないという事を、改めて思い知らされたのであった。
15時まで仕事をしながら身の回りの片づけを少ししていると、暇な連中が沢山やってきて、予定より早くに打ち上げが始まってしまった。私はいそいそと会社をあとにした。
今日は先日ちょっとした事で壊してしまったデジカメを修理に出す為、新宿に立ち寄る。ペンタックスとミノルタの修理窓口に出し、他に寄り道もしないで帰宅。さて、これで本当に冬休みに入った訳になる。
仕事の話はあえてしたくないが、今年は内容が薄かったような気がする。来年は少し元に戻さなければならない。とはいってもなかなかモチベーションが戻るには、環境が大きく影響しているので、自分だけの努力だけでは難しい。何だか不毛な世の中になったものだと嘆いてみる。
旅やバイクや犬や競技。この中から、私を少しでもモチベーションを戻して貰えるようなきっかけが生まれてくるのだろうか。来年はそれに期待したい。いや、自分でも努力は当然するのだが、努力をしてもそれを無駄にされる事があまりにも多すぎるのは、現実なのだが…
休みに入るが、定期的にリモートでネットワークに繋いで業務はしなければならないだろう。明日から長期の休みが始まる、という夜が一番私にとっては嬉しい。
写真は先週土曜に手にする事ができた、入賞者に与えられるブラックディスク。これがこんなに早く手にれきるとは思っていなかった。
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