丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

雷雨の先に秋の気配

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

朝が起きられない。目が醒めたら既に8時すぎ。昨晩は久しぶりにそれなりの雷雨だった。一晩中断続的に雨で、朝も雨が残ると聴いていたのだが、外は雨はあがっているようだった。雨だと雨の雰囲気の中で、布団の中でまどろむのが好きだ。足元にはくーもまだ夢の中。すっかり飼い主にライフサイクルが似てしまったようだ。
たまった洗濯もなんとか干せそうな雰囲気になっているので、まずは洗濯機を動かす。むぎ茶がわりに沸かしたプーアール茶を冷蔵庫にしまい、朝飯をと思ったがパンがきれていた。仕方がないので短パンを履いて、コンビニに向かう。まずめったにコンビニなんかいかないのだが、今日はちょっと外の様子もみてみたかったので出かけた。
外は結構過ごしやすく、湿度が高いがまあ普通に活動するだけでは汗も出でない位だった。空には灰色の雨雲が散りばめられているので、すっきり今日は晴れないだろうと思われた。まだ局地的な雷雨があるかもしれないと思う。
その後はアイスを食べながら映画をみたり、取り溜めたドラマを3話ほど立て続けにみたりと、何だか晴れていれば暑さにばて、涼しければだらだらとしてしまい、どっちにせよ変わらないのにふと気がついた。どちらがいいかというと、やはりばてていると体がだるくなるが、涼しいと気分的にも体調的にも余裕ができて嬉しい。
気がつくと夕方になっていた。さっさと散歩にいかないとと慌てて出かけようとするが、既に空はゴロゴロ言い出しており、これから夕立が来そうな雰囲気があった。その為、濡れてもよい格好で出かける。お金も硬貨だけを持ち、時計もいつものダイバー、デジカメも雨に濡れて大丈夫なものをもって出かける。
公園のいつもの場所に着く前に、盛大な雷が鳴り出した。木の真下にいかないよう、少し離れながら東屋のある広場に到着すると、既に数人の犬仲間の方がいた。いつものように遊ばせるのだが、犬達は結構盛大に雷が鳴っても平気にしているようだ。雨が降ってきたので、殆どの人が帰ってしまったが、我が家と数人はまだ東屋の下に残った。程なくしてバケツをひっくり返したような豪雨になってしまった。
雨に濡れると結構寒さを感じる。何だかすっかり濡れてしまうと気分がよい。足もとのサンダルがじゃりじゃりするが、クールマックスのTシャツはすぐに乾くし、短パンはまあ濡れても何とでもなるので、東屋から離れて写真を撮ったりしていた。しかし犬たちは雨だってどうでもよいらしく、特にくーはわざと水たまりの中を歩いたり、空から降ってくる雨に目をしかめながらも、嬉しそうに遊んでと飼い主を見上げる。君はいいけど、あとが大変なんだよと言っても何の事?という顔をしている。あとが大変だ…
雷の回数が減り、音も段々と遠ざかっていく。雨もそれに連れていかれるように、あっという間にやんでしまった。低い雨雲の向こうには、高い空と高い位置にある秋っぽい雲が顔を覗かせていた。
いつのまにか、秋がすぐそこまで来ているようだ。まだ川遊びにも行きたい。晴れて暑い日を探さなければ、水が冷たくて遊んでいられなくなる季節がもうすぐなのかもしれない。今更慌てて夏にくーとできなかった遊びを思い出してしまった。
北海道の旅が近づいているが、その前にできれば川にでも遊びに行きたい。しかし今はお盆休みの真っ最中。どこに行っても混む事を考えると、結局計画倒れになる予感がする…
写真は昨晩の落雷。左にちょこっと見えているのは、池袋のサンシャイン60ビルである。
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サウスヒルズからの贈り物

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

すっかり夏休みシーズンの汐留からお台場は、早朝から既に親子が順番を取る為か、戦いが始まっているようだ。ゆりかもめも、普段と違う人種が乗ってきており、帰りも興奮醒めやらぬお子さまのお祭騒ぎが、毎日繰りかえされている。狭い車内に座るわ動きまわるわ、たまったものではない。おかげで通勤が余計に辛いものになっている。
ただ今日は比較的涼しく、湿度は高かったがまだ何とかマシだった。天気は不安定で、昼間には時折雨が降っていた。ここ最近、お昼前から天候が不安定になり、雷雨情報がにぎやかになっている。局所的に短時間で大量の雨が降り、当然それをさばく下水設備はどこにもない訳で、冠水したり通行止めになったりしているニュースもよく耳にする。テレビなどでも、しょっちゅうニュース速報で大雨洪水警報が流されている。
そんな色々な要因から、夏の盛りなんだなあとあらためて思わされる。友人が一人、また一人と夏休みを取り、旅に出た話を聴いているせいもあるだろう。毎年こんなものなのかと思ってしまう。
会社帰りに親父の墓参りをした。中野のお寺なのだが、今日は命日なのだ。もう7年にもなるのだと思いながら、軽く墓石を洗った。これまでも毎年していた訳ではないのだが、いずれは私は東京を離れる事になるだろうと思っている。そうしたら墓参りなんかきっとそうそうできない。近くにあるうちといいつつ、それでもなかなか強制的に何かなければ寺に行く事もあまりない。まあ、人間はいずれこの世からいなくなる訳で、それから先どうなるのか誰にもわからない。魂の輪廻のようなものがあっても不思議じゃないと思うが、確証がある訳でもない。
だからこそ、今みたいに会社に通う時間が人生の殆どのような毎日を何とかしたい。仕事をする為に生まれてきている訳ではないし、仕事以外にやりたい事が沢山ある訳で、あとに何か残るのかと思うと、途方もなく憂鬱になる。困った性分だ。
3日間、道東に仕事で渡っていたじんじんさんが、疲れている中、お土産をもってきてくれた。新しくなった東武の袋に、熟れたメロンとバタ成など、色々もってきてくれた、飛行機で、しかも仕事なのに、申し訳ない。明日からはまたおでかけ。彼も私以上に色々葛藤を抱えている訳で、なぜか私たちの世代は、今の社会にどうしても納得しがたい環境に追いやられているようだ。
くーはそんな人間の愚かな悩みはまったく感知せず。大理石の上ですやすやと眠っている。舌が口からちょろっと見えていて、しまい忘れているようだ。彼女は毎日の食事と、散歩、そしてフリスビーやアジリティをする事だけに幸せを感じている、とてもナチュラルな精神構造をしている。それが時にとても羨ましくなる。
人間の子供もそうだが、そういう時代はひとときだけで、あとは回りの人間関係の中や、親の姿やしつけなどの温度差で人格が形成されてしまう。そういう意味では、犬はおいしい所、純粋に楽しい事だけをする為だけに、全力で生きている生き物だ。それだけに、人として色々自分を見つめる機会にもなり、彼女の幸せな表情を見るだけで癒され、いつも寄り添ってくれる。
昔は犬を飼うなんて思ってもいなかったが、今ではすっかり彼女のいない日々は考えられないような気分になっている。親バカな飼い主は、また雑誌やコンテストに写真を沢山投稿する日々なのであった。
明日、じんじんさんから貰ったメロンの皮近くの部分をやるからな。
写真はじんじんさんありがとうの品々。しかしサウスヒルズは言い過ぎだろう?
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誕生日その2

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

2005年8月9日。既に人類が滅びると言われていた日も越え、随分と時は経ってしまった。21世紀と言われる年代になり、多くは20世紀の時代からこの世で生活している人だ。宇宙の輪廻からすれば、それこそ一瞬の時間かもしれないが、それなりに毎日を暮らしていると、「もう」とか「やっと」というような表現がされる程、人それぞれに色々な歴史を過ごしてきた事だろう。
私もこの世に生まれてから2/5世紀ほど過ごしてきた。嬉しい事や悲しい事、これでもかという程うちひしがれた事もあったが、何とかこうして自分の好きな旅やモノと出会って、暮らしてこれた。今ではすっかり自分一人の力で生活し、やりくりしながら毎日食事も取って、欲しいものも選びつつ買う事もできている。
それが自分の仕事の対価として納得のできる給料かと言われれば、それなりに間違ってはいない分を手にしていると思う。しかし冷静にまわりをみてみれば、もっともっと厳しい経済状況の人もいれば、もっともっと裕福な人もいる訳であって、あくまでも中流階級という視点からという事にしておきたい。
縁あって、私は由と今暮らしている訳だが、人間はそれまでまったく別の人生だった男と女がある時一緒に暮らし始める。いわゆる伴侶と言われているのだが、その伴侶と出会うタイミングは人それぞれだ。1回では出会えないかもしれないし、一生出会えない人だって居る訳であって、私はまあ標準的なタイミングで伴侶といわれる人と出会った。
年齢差も同じ歳もあれば、大きく離れている事もある。それはどうだってよくて、赤の他人が家族になるという事は、重要な事だ。それまでとは違った新しい人生が始まると言ってもいい。人が男と女に別れて生まれてくる摂理は、それこそ謎で一杯だ。
色々な出会いがある。幼なじみ、同級生、先輩や後輩、職場の同僚、見合い、紹介などが主に多い関係ではないだろうか。30歳を越えた頃、私にはいつになったらそういう相手が現れるのだろうかと真剣に悩む日々もあった。今思うと懐かしい話なのだが、実際には悩んで悩んで、先の見えない自分の人生に何を糧にしていけばいいか途方にくれた事もあった。
私や由は、20歳位から同じように旅に没頭し、予定をたてないその日暮しの生活を、日本の片隅でそれこそ両手で抱えられる程の家財道具だけをもって、質素な生活を楽しんでいた。私よりもひと回りかふた回り昔では、ヒッピーとかカニ族とか言われていたいわゆるネジ者だ。バイクに乗る事で暴走族と言われる人種と同類にみられるが、基本的につるむ事なく、バイクでひたすら走る事に何かを求めていたカミナリ族達の世代は、私の親父の時代かもしれない。
由は神戸に生まれて神戸に育った生粋の関西人だ。私は新宿生まれの新宿育ちで、家は3代以上続く江戸ッ子だ。そのようにまったく別な場所で、まったく別な文化圏で生まれ育った人間が、北海道の道東のエリアで何度かの夏を過ごし、その人間関係から辿られ、日本のまん中に流れる天竜川の河口で出会ったのだから、縁というのは面白いものだ。まあ単なる旅人の友人たちとの出会いや再会も、同じように面白いものなのだが。
既にこの夏で結婚8年目。由は今日、またひとつ歳を取ったのだが、その8年という年月はなかなか感じない。今年は毎年行っている中国大陸へのサイクリングは休止。ちょっとした理由があるようだが、もう相当な回数中国には渡っている。チベットから始まり、昨年の内蒙古自治区まで、何だかんだいいつつよく自転車をこいでいる。
くーが来て、これまでと違った過ごし方が始まったのだが、また一緒にバックパックを背負う旅もしたいし、お互いバイクでツーリングなんていうのもいつだってできる。そう、いくらでもその気になればできるのだろう。
誕生日というイベントは段々と薄らいでくるようなものなのだが、まあこの世に生を受けた記念日である。素直に運命に感謝しよう。
こうして、今年も二人とも歳をひとつ重ねた。
写真は昨年の内蒙古で。由の愛車、ピンクのロードスポーツ。これで初めての北海道も走ったのだが、今はリムやディレーラなど全てリニューアルしてある。フレームには長年の旅でついた傷がそのまま残っている。
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