丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

我が家の被害状況

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

我が家に帰りついた時、くーをクレートに入れたまま、まずは飼い主が家の中の状況を確認した。そう、棚に置いていたコールマンのランタンが落下しホヤが割れたり、バウンドしてガラスが割れてしまっているのではないかという不安があったからだ。それが心配で一刻も早く帰りたかったというのもある。
案の定、階段にはガラスの破片が飛び散っていた。あと色々なものが粉々になっていたり、落ちていた。
ガラスはくーの写真を飾っていた額が落下し、額のガラスが割れたようだった。まずは掃除機で吸い取ってもらう。
私も家のまわりを確認。エコキュートや室外機、擁壁などは大丈夫そうに見える。荷物を土間まで運び、車を車庫に入れたあと、くーはクレートのまま家の中に運んだ。この間、由に被害対応をしてもらっていた。
リビングではBOSEのスピーカーが落下し、ローボードが凹んでいた。棚に並べていた本や雑誌の多くが落下しており、特にロフトの所が酷かった。
ただしそれ以外の大きな被害はなく、ただ棚に置いてあるだけだったまるい壁かけ時計も落下しておらず、不幸中の幸いだった。
一番の被害はそのガラスの破損と、由の大事なウズベキスタンの素焼きの人形が落下し粉々になってしまった事、ローボードが凹んでしまった事だった。とはいえ、この程度で済んで本当によかった。
阪神淡路大震災を経験した由。あのあと、地震には相当敏感になってしまったが、10年以上も東京での生活で地震に対する免疫もできてしまった。しかし今回の地震では私の方がショックが大きく、由はもっと酷い地震を経験している事もあり、私よりも冷静に対処できていた。
大きな余震が続き、地震には慣れていた私もさすがにこれはまいった。おまけに風邪が悪化し寝込んでしまい、しばらくは身動きが取れない状況となってしまった。
病床で有感地震に怯えながら、ひたすら風邪の気分を耐えていた。
写真は粉々になってしまった由の大事なウズベキスタンの人形。残念ながらもう元には戻らない。
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大震災発生

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

1泊2日の旅の帰り道、その揺れは起こった。
渋川伊香保ICに向って、県道を走っている最中、あと5kmでICというあたりでその異様な光景に遭遇した。
前の車は横っとびするように跳ね、私たちの乗っている車もまるでかき回されるような回転を感じつつ、その強烈な揺れの中に居た。
走っていた車は全てその場で停まり、すぐ横の電信柱は左右に大きくゆらぎ、電線は跳ねていた。真横の民家のブロック壁がきしみ、煙があがっていた。由が崩れたと言い、車を守る為にじわりじわりと車をセンターライン寄りに動かした。目の前のブロック壁が崩れていた。
すぐにワンセグをつけるがチューニングが追いつかない。そのままとにかく高速方面に向うが、電光掲示板には通行止の文字が今まさに点いた所で、ETC料金所にNEXCOの職員が走っていく。ETCゲートのアプローチに入ってしまっているので、ゲートの所に居る職員にどうすればいいかを聴くと、とりあえず戻る事はできないのでそのまま入ってくれという。
そのまま車を本線に乗り入れると、走行車線には普段通り車が走っていた。とりあえず双葉SAまで行くが、多くの車が停まっており、道路案内の所には人がたかっていた。
このまま待機するか、それとも本線を走り去る車を眺めては、このまま行ける所まで行くかを相当に悩んだ。そして強制的に下ろされるまでは慎重に走ってみようかという気持ちで、本線に戻った。
本線を走る時は相当に気をつけた。橋も多く、それこそ阪神大震災の時のように、車が落ちた橋から落下するような事も思い浮かんだ。最も左の車線を多くの車が流れていたので、車間を取って私たちも走った。
結果的に川越ICで道路閉鎖となり、全車が下ろされ、合流した下道ではパニック状態に陥っていた。裏道を走りつなぎ、途中でガソリンを入れてなんとか家に辿りついた。
帰ってテレビをつけると、その大変な状況に目を覆わんばかりのショックを受けた。なんという事が起こってしまったのか…
写真は渋川市内の県道の状況。こういう状況がいたる所に起こっていた。
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KDDI工事

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

まわる家に引っ越すにあたり、NTTのフレッツからauひかりに切り換えた。
どうしても固定電話の権利に対する一方的な評価額の引き下げや、コールセンターの対応が横柄な部分、やたらとマイラインだか何だかのセールスの多さやしつこさなど、腹が立っていたので縁を切りたかったというのがある。
しかしauひかりにしても実はトラブル続きであった。最初引き込み時は工事業者が家の前を汚し、引越して早々に近所に迷惑をかけてしまい、朝からデッキブラシで道を洗ったり、何度も業者に清掃させたりもした。
そして今度は雪の翌日、回線不通。電話も今回光電話に換えたのでまったくインフラ難民となってしまい、コールセンターも対応はいいが9時5時でお役所なみの対応。結局会社に行けず年休も取るはめになり、9時に電話すると今日中に修理できないどころか、現地確認が今日の夕方という。激怒して重要インフラを何だと思っているとクレームを伝えると、何とか調整して午後イチで検査員がやってきた。
2時間ほどいろいろと調べて、結果的には雪が原因で光ケーブルの延長接続部分がはずれたというお粗末な結論が判明。しかしそれを工事する業者は早くても明日になるという。ちゃぶ台をひっくり返したくなる位に腹が立ったが、ぐっとガマンしてそれを許可する。ちゃんと工事前と工事後に連絡をすると言っていたくせに、案の定翌日の工事業者が何も連絡なしで治して帰っていったと由に聞いた。
本当にちゃんと治したのか?と疑念の目で確認すると、とりあえず回線は開通。しかし今度はとなりの家のTEPCOの引き込み線と我が家の光ケーブルが接触しているのを発見。またかと怒り心頭である。回線同士は接触してはならないという規定があったはずだ。
既にコールセンターの受け付けは過ぎているので、開通時にそそうをし、泥だらけにした下請け業者の担当の名刺をもらっていたので、そこへ直接電話。もうこれでKDDIに修復や作業を指示したのは2カ月半で4回である。
申し送りやいい加減ちゃんと工事しないとキレそうなので、翌日またも年休使って会社を休んで業者を待ち構えた。
作業を実施している担当ではないが、その上の上役さんが今回も謝罪にやってきた。その人はいいんだが、とにかく手戻り工事の多さや、9時5時の受付では電話もネットも使えなくなった時に困るという事を強く言い、正直もうKDDIもダメだと言わざるを得ないという事を伝えると、とにかく平謝り。
日本の回線業者はなんでこんななのだろうか。正直光の道の推進なんか、夢のまた夢ではないだろうか。技術レベルが低いというか、雑なんだと感じた。
16日に続いて18日にも修理。クレーン車で取り込み位置を変更中。今度はテンションを確認の上、となりの家の電気の引き込み線からちゃんとクリアランスを取ったかを確認した上でOKを出した。
写真はクレーン車で配線中の作業員。今回はきちんとやってくれたようだ。雪が降ったぐらいで断線するような工事は納得ができない。何度もミスを連続し、通信不可能な状態になるような工事も回線インフラとして許されるものではない。
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