丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

この風景が広がる

yonkichi, · カテゴリー:

昨日の側道を登り切ると、今はこのようにバイクどめの小さいスペースが現れる。ここに到着し、イグニッションを切ると、今年もようやく来た、という気分で心の底からほっとできる瞬間を感じる事ができる。目の前には武佐サマが、また来たんかと言わんばかりに、堂々とその姿を見せ、風がささやいている。
丁度この写真は、朝苫小牧に到着。7時に港を出て、平取、日勝峠とノンストップで走り、上士幌でガソリンを補給。その後足寄、阿寒、弟子屈、そして開陽台とまたノンストップで走り、ハイジで昼飯を食べようと思って東武にも寄らずにここまで来た。到着は11時すぎ。サイドスタンドを出し、イグニッションを切って、ふらつく足で後ずさり、パチリと撮影。武佐サマにただいま、と声に出してみる。
誰かきていないか、ざっと見回しすが、見つける事ができない。というか面倒臭い。とりあえずハイジに向かうと、かあさんとのりちゃんが忙しそうに厨房で働いていた。フロアにはこの時は、ユーミちゃんがテーブルを片づけている。まずユーミちゃんが気づいてくれた。おかえり。そして奥からかあさんが中華鍋をふりながらこちらを向いておかえりと言ってくれた。はい、ただいま。
こうして、その道の向こうには安らげる空間とあの風景が待っていてくれるのだ。
テントサイトからみた顔がこちらに向かってやってくるのが見えた。ハイジの扉を開けて、少し離れたカウンターの席に腰掛け、こっちをみて声をかけてくる。やあ、久しぶり。みんなは町かい?
さあ、お楽しみはこれからだ。
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その道の向こうに

yonkichi, · カテゴリー:

開陽台は駐車場があり、そこからは階段で歩いて展望台まで結構な距離を登る事になる。当然階段をバイクで登る事はよくない。最初に訪れた年、階段を昇り降りする事を禁止するような看板もなかったが、昔はきっと多くの旅人が階段やその脇を昇り降りした事だろう。階段脇にはタイヤ跡が残っていた。
当時からあった駐車場脇の立派なトイレの裏から、展望台裏の頂上へあがる細い道が伸びている。私は釧路西港から上陸し、東武までノンストップで走り、食料を買い込んだあと、開陽台の頂上までノンストップで走る、という事を長い事やっていた。路面状況がどうであろうと、ハイジを通りすぎ、トイレ横にすーっと消えていく。駐車スペースにバイクを停めているバイクの旅行者が、一体どこに行くんだという目で追いながら、挨拶もしないで脇道に乗り入れる。それが丘の人の証だった。
この脇道で多くのドラマが生まれた。二度と登るものかと言うものもいる。駐車場に停めて歩くさ、というものもいる。昔のように、丘の上のテントの脇に、バイクが停められた時期は、上にあげるのが当然だった。今では開陽台のお約束であるずっと霧が晴れない日が続いたりすると、側道はヌタ場マディ化し、深く掘られた轍とそこへ落ち込む斜面が、転倒の二文字をちらつかせながら微笑んでいるようだった。
滑りやすい粘土質の土は、どんなタイヤだろうと滑らせる。ちょっとアクセルをあけたり、ブレーキをかけるとスライドし、車体は真横を向いてしまう。とはいえ、この状況でコケても怪我するまではいかない。ただ泥だらけになるだけだ。激しくスリップダウンすれば、カウル付きのバイクはカウルを割ってしまう事になるかもしれないが…
この道は丘の人にとって、毎日登り降りする道だ。悪天候が続く日は、数日降りない日もあるかもしれないが、買いものにでかけたり、風呂にいったりする為には、通らなければならない。なので、自然とこんなものなのかという感じでズリズリタイヤを空転させながら、昇り降りするのだった。ある程度晴れの日が続くと、格段に昇り降りしやすくなるが、長雨が続くとなかなか個性的な道へと変わる。
その中で某塾長は、滑りやすい路面よりもっと滑りやすく、トレースする幅が極端に狭いクマザサの土手を、重くパワフルなエリミネーターで毎日何度も昇り降りする。それでなくてもちょっとオフの心得がないと苦労するような側道を難儀しながら登っている横を、レベルの違う速度であっという間に登り切ってしまう姿は、きっと相当なインパクトを与えるに十分な後ろ姿だった事だろう。
また友人の成っちゃんは、低い最低地上高のハーレーのエンジン下を、深い轍に擦り続けながら、足でこぎつつ登り降りをしていた。ハーレー乗りでここまでドロドロにして平気な男は、私は彼しか知らない。他にも雨天未使用という程綺麗に仕上げたカスタムニンジャなども、このドロドロの側道を昇り降りする。それが当然の事だからだ。
この側道はこれまでも、これからもこのままでいい。この路面で怖じ気づくなら歩いて荷物をあげればよい。別に誰も非難しないし、文句も言わないだろう。でも私はこの道を登る。そこに、バイクと共にいる事が自然なのだ。
天国へと続く道?その先には自分と同じように、この場所に何かを感じた旅人たちが待っている。
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湖畔の住人

yonkichi, · カテゴリー:

昨日の日記で、富士山から富士山の麓で毎年やっているキャンプという話になり、和琴という場所話になってしまった。すると、和琴のおっと、という人からコメントがついてしまい、まさに和琴の事を書け、と言われているような流れなので、和琴の事を書いてみたりする。
和琴は観光地だ。まあ開陽台も観光地なのだが、いわゆる来るものは拒まず、という感じで和琴はとても寛大な気持ちで出迎えてくれる。しかし、開陽台はそうではない。特に自転車なんかで訪れた場
合、来た時と同じ位、辛い行程をかけて他の地へ移動しなければならない。それだけでなく、半数以上の旅人は、あの冷たく寒い霧と厚い雲に覆われた絶景でない開陽台に失望し、そそくさと丘をおりていく事になる。訪れるものに優しくない観光地なのだ。
和琴は最初の北海道ツーリングの年、1985年に訪れた。しかし観光バスと観光客に阻まれ、1枚写真を撮っただけで立ち去ってしまう。ここで1泊でもしていたら、また違う人生だったのかもしれない。しかし、私は和琴ではなく開陽台に向かった。
それは遠回りだったかもしれない。私がこのまま和琴に居れば出会ったであろう連中と、私は10年後の天竜川の河口でようやく出会う事になるからだ。この10年は、和琴と開陽台にはそれぞれの時間が流れ、それぞれに旅人のストーリーが綴られ、年をとっていったという事だ。時間を越え、時代を越えて繋がるという、壮大な物語とも言えるのではないか。
和琴ではこの10年間、どんな事があったのだろうかと思う事もあった。私の開陽台での10年は、確固たる目的地としての存在になり、この場所が多くの人生を交差させてくれたのだが、和琴でも多くの同じような出会いと別れがあっただろう。機は熟し1994年秋、私にとって記念すべき出会いというか、私が和琴の中に加わらせて貰ったキャンプがその天竜川だった。
実はその2年位前から、やはり和琴と交流のあった私の親しい開陽台の友人が、この集まりに私にも声をかけてくれていた。しかし時期的に私が会社で主催していたキャンプツーリングがあったり、体調を崩したりして、丁度10年目という節目の年になるまで、参加の調整ができなかったという事もあった。
その後は和琴にも立ち寄り、テントを張る事が増えた。確かにとても快適で、朝4時頃から騒ぐカラスがいなければ、カレンダーをなくしてあっという間に季節が変わっていってしまうだろうと思われる程の場所だった。そう、パラダイスと言うにふさわしい、平和で快適な場所、それが和琴だった。
今では和琴の人々もいろいろと生活が忙しくなり、和琴に訪れる事はとても少なくなったと思われる。開陽台にしてもそうなのだが、世代交代は進んでいる。しかし最近の常連さんが、こうして人生の半分近くを友人として付き合い、普段の生活の中でよりも、心許せる友人として付き合っていける友人をもてているのだろうか。私は何よりの財産だと思っている。
和琴と開陽台。道東エリアでは老舗とも言える、ツーリスト定番の地なのかもしれないが、1985年から2000年にかけて、私もひとつの時代を感じられた事を誇りに思う。年をとって、ヨボヨボになっても、カブみたいなバイクでふらふらと集まり、テントを張って酒を飲み、歌を歌い、焚き火を囲みたいものだ。
その和琴パラダイス、湖畔でのお茶の時間は、このように時間という観念が写真の上ですらない。
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