閉ざされた家と開かれた家
yonkichi, · カテゴリー: あれこれ今日は朝川崎へ。そしてマイクロバスで港北ニュータウンへ移動。普段よりちょっと遅く家を出たので、ラッシュ時にぶつかってしまい、東横線は混んでいた。上りの方が混んでいるのだろうが、下りもそれなりに混んでいる。
1年と少し、川崎に席があった事がある。今は人がいるフロアは減ってしまった。そういえばあのライブドアに捜査がはいった日、社内のメールサーバのデータが押収されたという報道をみていたのだが、そのサーバがあるビルに何か見覚えが。場所は歌舞伎町だという事をきいて、旧大和銀行のビルだという事がわかった。
職安通りに面したその建物は、1階が現歌舞伎町の巨大なドンキホーテになっている場所に昔からあった大和銀行が、ビルを建て直す時に一時臨時の窓口を開設していたはず。新しいビルになって、1、2階が大和銀行だったのだが、経営危険後りそな銀行になる前に、新宿西口の高層ビル街の支店と合併したと記憶している。
なぜそんな事を憶えているかというと、職安通りは今では立派なコリアンシティなのだが、私の中学の通学路だったのだ。ライブドアのサーバールームである建物は当然、私が通学していた時代よりもはるかあとなのだが、地元なので結構通る事があったからだろう。
コンピュータが入っているビルは、窓も全部つぶされているし、人気もあまり感じられない。あやしい雰囲気とでもいうのだろうか。その中には大がかりなサーバがひしめき合って設置され、入退出が厳しく固めらてあったり、巨大な空調が唸り音をあげている事だろう。私はそんな中で仕事をする事が多かった。
外が見えない窓、常に冷え気味という室温、耳鳴りの如く常に聞こえてくる機械の動作音。今では殆どが自分のデスクの上のパソコンで操作や監視ができるようになっているのだが、そうする為にしばらくそのような部屋に通う事になる事がたまにある。私は、その環境が嫌いではない。
今の仕事は学生時代に学んできた知識や技術が関係してくるようなものではない。それこそ農業という分野を学んできた私にとって、畑違いとも言える今の仕事に就いている訳で、だからといってそれなりに給料を貰って仕事をしている自分が事実居るのだ。学生時代の勉学というのは、どの程度役にたっているかというと、あるレベルまでは直接関係はないように思える。
とはいってもエキスパートというレベルに入るには、やはり誰でもという訳にはいかない。私は特に最近そう思うようになった。自分の限界というか、もしこれ以上のレベルを目指すなら、他のものを多く犠牲にしなければならなくなるという事を感じたのだ。
今のままではだめなのはわかっている。もう少し知識を深める為に努力しなければならないだろう。方法はとうとしても、しばらく手を抜いて仕事をしてきたのだが、重くなってしまった腰を浮かせ、少し動かないとならない時期に来ている。いまさらだが、最近しみじみそう思う。
仕事の内容は変わってきているが、知識を深める事はこの職業では常に必要だ。この部分を頑張れば、オフの時の時間の使い方や楽しみの感じ方が変わってくるような気がする。
少しばかり、今のままでよいのかどうかが気になっている今日この頃。機械が詰まっている無機質なビルを見上げて思う。
写真は弟子屈の常宿。センタとはまったく正反対で、窓は大きく明るく、私の憧れの家。カナダのリンダル・シーダー・ホームズのものだ。手前のテントは私の。雨続きで干させて頂いた。


