丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

不参加

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

今日は開陽台に集った古い友人が主催をしてくれている、飲み会が新宿で行われる予定だ。当然行く予定だったのだが、ちょっとヤボ用があって、結局自分の身が解放されたのが深夜だったので無理だった。
1999年10月に少人数でオフ会という形で開催、その後開陽台ハイジーの家のかあさんが上京する日にあわせて、新宿副都心のビルのアジア料理屋で、2000年2月に開催したオフがあった。後者は結構な人数が集まり、私と由が幹事をしたのだが、何だかみんないいオトナ、いやオヤジになってしまっていて面白かった。
その開陽台ハイジーの家が20周年を迎え、来年がひょっとすると最後のシーズンになるかもしれないという話をききつけ、有志が集まって飲もうじゃないかという会というのが今回の主旨だ。
重要人物であるしいたけ兄弟は、なかなかそういう繁華街に出てくる事が今とある理由でできないので、主役不在という形なのかもしれないが、一人一人が80年代後半から90年代中盤までを、あの丘で過ごした時間から知り合い、広がった友人関係であり、それぞれが主役といってもいいのだが、殆どの共通の友人にしいたけ兄弟があったというのも事実だ。
他にも複数の常連達がいて、それぞれの歴史を作っていったのだが、少なからず皆が関係してきたのが、やはり開陽台ハイジーの家という存在なのは確かだった。20年という時間は膨大なのは、それぞれの顔つきだけでなく、家庭ができたり、子供がいたり、それぞれが今この社会の中で生活している事実が証明している。
ただ今日参加できなかった事で、その友人たちと会えなくなる訳ではない。旅人の殆どがそうであるように、年に1度、開陽台で会えるか会えないかという関係は、これからもそうである事だと思うからだ。
一番いいのは、あの丘で再会する事だ。しかしなかなかそういう機会はない。言い切ってもいい。でも気持ちは新宿の居酒屋でも、あの風に吹かれ、草の匂いの中で、下らない話をしている時と変わらないだろう。
幹事や今回の開催に労力を尽くしてくれた友人に、申し訳なく思うと共に、また必ず会える事を信じている。
写真は2000年2月の、かあさん上京時の集合写真。
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ラジオから聞こえてくる

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

通勤時にシリコンオーディオプレーヤーのFMラジオで、J-WAVEを聴いているという事は前にも書いた事だ。最近は多くの人がiPodなどのMP3プレーヤーを持ち歩いているようだが、私のはちょっと前の国産モデルだ。いや、厳密にいうと韓国製らしい。
内蔵メモリが256MB入っており、結構いい値段のものだった。その時点でもそれなりに候補となるモデルは何台かあったのだが、結局内蔵電池式だと電池切れの時にどうしようもないので「単四型の充電池が使える」事、今後の拡張性も考えて「外部メモリースロットがついている」事、そして「できるだけ小さく、Yシャツの胸ポケットに入れていても邪魔にならない」事などがあげられる。
選択時点で実はラジオ機能はあまり重視していなかったのだが、こうしてみると結構ラジオを聴いている。ラジオなんか、中学時代の深夜放送や、孝行時代のFMのエアチェックをしていた時以来だ。
別にどうしても音楽を聴きたいという事でもないし、真面目に聴き入っている訳でもない。聞き流すには結構都合がよいのかもしれない。そしてやはり何より胸ポケットに入れていても面倒臭くないレシーバーがあるからこそだろう。
ラジオを聴いていると、実は季節を感じる事もできる。この季節クリスマスの話題も多くなってくる。音楽こそクリスマスソングがかかるような番組は聴いていないのだが、ふと車窓を眺めながらラジオを聴いていると、すっかり厚手のコートをまとった女性をみかけたり、バイク便の乗り手が着膨れている事に気がつく。反面車はいつみても季節感はなく、オープンになる車をみかける事はまずない。
車で走る時は、由のロッキーを運転するようになってから、あまり音楽をかけなくなった。実家の車を借りて運転している頃は、色々音楽ソースを持ち込んで聴いていたのだが、今は交通情報を聴く為につけているラジオが多い。折角オーディオをよくしたのだが、やっぱり運転に集中している時はロードノイズと風切音が一番のBGMなのかもしれない。まあ荷物室には思いっきり荷物が詰め込まれているので、スピーカーを隠さないようにするのが一苦労という事もあるのだが。
ラジオはリアルタイムだ。今まさにDJが話をしているのを耳にする。テレビよりもライブ性が高い。そいういう意味でも聴いていて面白い。地震があればすぐに反応するし、今太陽が登ってきたという事も話題になる。これが例えば北海道とか沖縄の番組であれば、ちょっとしたイメージを頭に浮かべる事ができるので楽しい。
ラジオの良さはそういう所にあるのではないだろうか。別に対して気にする事もないが、バスの車窓を眺めながらふとそう思った。
写真はいつも乗っているバス。これはキョロちゃんの広告のものだ。
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ネオン輝く町を

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

新橋を経由して通勤しているのだが、新橋といえばサラリーマンの代表的な町とも言える。一昔前には、いい歳をしたオジサンが黒縁眼鏡の上にネクタイを鉢巻きのように結び、新橋西口のSL広場で大声でうたっている風景すら、新橋だからと納得される程だったのだが、今は時代背景なのか、そこまでいい気分になっているサラリーマンは少なくなった。といってもやはりサラリーマンは明らかに多い町なのは確かである。
隣の駅は有楽町。また毛色の違うサラリーマンや会社役員が平日の夜闊歩する町。私も勤めはじめて間もない頃、スタンドバーでバーボンやスコッチを飲みつつ、友人と会話を楽しんだりした。しかし今でいうクラブや女性が付くような店なんか誘われても行かなかった。
ネオンがきらめく町を、道路が貫く。そこをタクシーや黒塗りのハイヤーが走る。路肩には二重駐車だって警察は黙認する夜の町。JRのガード下には油まみれになった焼きとり屋やホッピーが飲める店があり、そこに集う少々よれっとしたスーツの人種と、一方通行の銀座の裏通りに車で横付けするような人種とはまた違う訳で、私は明らかににどちらかというとよれっとした人種の方だったのだろう。
ただ私は余り酒は飲めないので、1~2杯程度おいしいお酒を飲みながら話をしに行く位だった。そんな中で私が通った店は、知る人ぞ知るKOOLとJBA Bar SUZUKI。そして渋谷にそれ以上気に入っていた「月」というBARがあった。20代中盤、バブル時代に残業で懐が潤った時期の話だ。
朝は比較的足早に歩く勤め人か、圧倒的に人の数が少ない町なのだが、夜はどこから沸いてきたのかと思える程、多くの人が町にあふれている。小綺麗な洋服を着た女性、うさん臭いオヤジの集団、学生のようなノリの若者たち。それらを窓から眺めながら、今、私は帰路を急ぐ。
私がまだ実家に住んでいた頃、そして東京フェリーターミナルからの北海道航路があった頃、私はこの夜の町をバイクで駆け抜けた。それはかるく20回以上。由と一緒に晴海通りで銀座を抜けたりもした。その時は廻りなんか見る余裕もなく、ちょっと前まではその30分の1程の交通量だった道なのに、夜でもあふれる人と車に圧倒されながら。
旅の始まりと終わりは、何故だかあまり憶えていない。あまりのギャップのせいかもしれない。また周囲をみている余裕がないせいかもしれない。しかし、この人や光で埋めつくされた日本で最も人が集まる町を走り抜けなければ旅二出る事も家に帰る事もできなかった。
今は新潟港や大洗を使う訳で、こういう町を抜ける事もなくなったが、ふと毎日の通勤の帰りに、それを思い出す。そこに私が居たが如く、窓の外を眺めていた。
この文章はまさにその経路上を走るバスの中で書いている。今、麹町を抜け、旧日本テレビの前へ入ろうとしているのだが、12月に入った事が、外を行き交う人々のファッションが語っているようだ。
写真はありし日の東京港フェリーターミナル。ここから全てが始まったのだ。
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