丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

台風は北海道を越えて

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

台風が北海道に際上陸して、猿払を抜けていったらしい。あの何もない、背の低い植物が這うように生える原野を抜けていく暴風雨は、想像するだけで寒々しく、そして壮絶な風景が目に浮かぶ。
道北を走る時、高い確率で曇っている。lサロベツあたりでも、昨年は晴れたが、それでも台風が翌日には近づき、浜頓別から札友内までは雨が降ったりやんだり、結構な強風の中、右手にオホーツクをみながら南下した。それも殆どがグレーの雲が垂れ込めていた。
初めて猿払のあたりを走ったのは、北海道ツーリングで最初の時。1985年だ。この時もウトロからずっと雨で、浜頓別を越えたあたりから雨が止み、浅茅野の手回しガソリンスタンドを横目でみながら北上した。この低い風景の中、ちょっとした丘のような勾配のあるなだらかなアップダウンの緑の丘陵は、北海道では海岸線によくみかける風景だ。それは十勝の南、ナウマン国道から昆布刈石、厚岸から初田牛、別当賀にぬける北太平洋オホーツクライン、増毛から天塩あたりのオロロンラインでも見られる風景だ。これはこれで北海道らしさを感じて好きだ。
潮の香りがキツく、生臭さもある北の港町の臭い。そこを走り抜けると、今まさに北海道を走っているのを感じられる。色あせた木の防風壁や、昆布干場の砂利の広場など、北ならではの風景が広がる。そこを台風が駆け抜けていく時、荒々しく真横に雨を降らせ、冬の地吹雪のように生き物のように道や草原を風が蛇のように駆け抜けていく。目に見える風、というのがよくわかる。
今年は台風シーズン、9月になって強烈なのが通過していっている。つい今日北海道を抜けていった14号も相当なパワーで多くの被害を各地に与えていった。15号も既に生まれているが、どうやら大陸の方に抜けるようだ。しかしまだまだこれからも台風が生まれる可能性がある。それによっては今年の台風の被害が拡大するだろう。台風のパワーというのは、これほどのものだったのかと最近よく思う。フロリダ周辺を地獄に陥れたハリケーンも、これまでになく強力なパワーをぶつけていったのも驚きだった。
昨年、私がスタッフをするアウトライダー・パティオの全国オフは、12回目にして初めて台風の直撃コースから中止になってしまった。それを考えると、これからが本格的な台風上陸シーズンなのだろう。
山であろうと、谷であろうと、北海道のような平原であろうと、台風は通過していく。それも地形に左右されず、直線的に抜けていく訳だから、神の力と言ってもいい。昔の人々は、それに近い事をたとえていたのも判るような気がする。
写真はその典型的な海岸線。サロベツの北側あたり。このような風景の上空を、14号は抜けて行ったという訳だろう。
20050908.jpg

鹿とヒトの生活

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

今回北海道で多くのエゾシカが町の中で草や菜園の葉を食べているシーンをみかけた。知床が自然遺産に認められても、増えすぎている動物は自然界のバランスを崩す。鹿の天敵が減る事で、鹿が増える。開陽台にキツネが出ず、ネズミが出る事もそうだが、ネズミはエキノコックス菌を保菌している動物であり、このあたりも増えすぎや減りすぎはよくない。
今年の開陽台にはウサギが出ているようだ。これまでウサギをみた事はないが、という事はキツネも当然いない訳で、ネズミとの関係はよく分からない。どちらにしても、暑すぎたり、寒すぎたり、日照時間の関係もあわせてバランスというのは微妙に崩れながら、毎年シーズンが過ぎていく。どこがリミット、限界なのかわからないが、ある程度の調整は私は賛成する側だ。
例えばあまりに増えすぎ、森の木々や畑の植物も食い尽くすようでは、ある程度間引きしなければならない。森だって成長させるには間引きが必要だ。ほっておく事が自然だという事ではないという考えを持っている。この考えについては、個人差があり、私の意見は「そういう奴もいる」という事で読み流して頂いていっこうにかまわない。単に自然保護、動物保護という言葉だけが先行した偽善意識を私は否定する。
我が家の近くに大勢いるホームレスにしても、本気で仕事をする気があるなら方法はないとは思えない。しかし煙草や酒だけはしっかり手にして、社会や行政への文句や同じホームレス同士でのナワバリ争いだけは大声でやっている。私は連中や珍走の子はイラクのボランティアとして送ってもいいと思う位だ。正直資源ゴミだけを抜き取って散らかしっぱなしだったり、散歩にいく由たちが絡まれないか気が気ではない。無関係な人に存在だけでも迷惑をかけているならば、保護してやる必要なんかないとすら思っている。
今年、気になる事を耳にした。ある友人からは、私の知人が「鹿撃ち嫌い」であるという事だ。その知人は鹿撃ちを否定している訳でもないし、鹿肉だって食べる。しかし、友人はその知人をなぜそう言ったのか。それは、知人はとある理由で自分の住まいの周辺を禁猟エリアにし、ハンターを追い出してしまったのが理由らしい。
ここで気になる点は、人家や人がいる場所も猟区という事だ。流れ玉や釣り人やキノコ採りに藪に入っている人もいつ間違って撃たれるかわからない。事実、その知人は自分の家の敷地内で、頭の悪いハンターに撃たれそうになり、抗議した所、逆ギレをされて暴言をはかれたようだ。
町や猟友会に自分の家の廻りを禁猟にするように提言したらしいが、否定はしないものの、動きもなかったそうだ。これでは撃たれ損。殺意のない状況では、撃たれて死んでしまっても撃った方は数年刑務所に入るだけで出てきてしまうが、撃たれた人の人生はそこで終わってしまう。おかしな話だ。
知人の言う事や行動は当然の主張であり、猟区というものをもっとしっかり考えるべきではないだろうか。狩りをする方も免許やら何やら大変らしいが、それは当然だ。銃を持って人の家の近くで生き物を殺せる正当な資格が、まったく知らない所で許可されて認められている。
そこでなぜ、もっと山奥にいかないのか。置戸湖の周辺で人家がまったくない森を通る林道の入り口にハンターが入っている事が書かれた看板が出ていた。そういうようにすればいいのだろうが、やっぱり猟区の考え方にしても、人の生活する場所でどちらが弱者かを考えれば、おのずと判るはずなのに…なんでなのだろう。
鹿は北海道の特産物として、商品化する事や食用として使われる事や、増えすぎた鹿を間引くという意味での狩りは賛成だ。しかし程度問題であり、猟の対象とするなら猟をする側と猟区の中で生活する側とのどちらが尊重されるか、説明されなければ分からないような人間は猟に関係すべきではない。人が生活する為に猟がある訳で、レジャーとしての猟はまた別なものだろう。友人と知人の話の中には、結局都合のよい解釈だけで噂が広がっているように、お互いを理解しようとするような気持ちが欠けているような気がしてしまう。
人が平和に、幸せに生きていく為に、自然を守る為に、ひいては将来の地球の為に必要な猟は必要だろう。その猟は、第一に人の生活が安全に営まれ、そして必要以上にされるべきものではない。少なくとも私の友人や知人達はそれをよく分かっているはずだと信じている。
写真は町中で逃げもせず悠然と草や生け垣を食むエゾシカ達。別に直接的な被害を受ける訳ではないが、町中を自由に100kg前後サイズの動物が歩き回る事は、やはり難しい問題があるのは事実だろう。
20050996.jpg

夏の終わりのTOKYO

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

北海道から昨晩帰ってきた。
帰ってきてからドタバタして漸く家も生活再開という環境になった。留守中植木の半分以上が全滅してしまったり、まだ後始末が必要な状況だ。
さて、さかのぼってどう過去のログを書こうか、悩む所だ。とりあえず、ざっと行程と主な写真をピックアップしてアクセスできなかった分の日記を更新した。中のエピソードは追ってブログの中で書く事にしよう。レポート的にまとめる事はできるかどうか…
今日は3度の洗濯、シュラフの乾燥、今週末予定している犬仲間とのキャンプの用意として、あらためて用品のチェックと積載を行ったほか、何だか妙に疲れていて昼寝を3時間もしてしまった。
東京は暑い。北海道も、帰る日になって漸く秋の涼しさがやってきていたので、あまり恩恵は感じないが、初めての犬との旅は色々多くの新しい事を経験させてくれた。
北海道で出会った多くの大事な友人達に感謝すると共に、無事故無違反、台風もなんとか避ける事ができた運に感謝したい。そして何より、私達の旅の行く末を心配してくれた大切な友人達に感謝。よき友を持って私は幸せだ。ありがとう。
外では雷鳴が響き、バケツをひっくり返したような雨が降っている。夏もそろそろ終わりだろう。
写真は夕陽の中の由とくー。場所は、アゼチの岬。
20050904.jpg