丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

七夕の夜

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

七夕といえば、例の有名な屈斜路湖までのツーリングが真っ先に頭に浮かぶ。今では随分そのスタイルは変ってしまったと聴くが、このツーリングに参加した友人を何人か知っている。どれだけ激しいツーリングかという事も含めて、私は参加する度胸はなかったが、常に心震わせられていたイベントだった。
計画的に行われるお祭り。その中には、色々なドラマがあったはずだ。人づてに聴いた話だけでも、そのインパクトは相当なものだった。今年も、形を変えてドラマが繰り返される。きっとあっち側の人がみれば、何をバカげた事をと鼻で笑うような事を、命をかけて実行する。その先に何があるかは、やった事のあるものしか分からないだろう。
初めてこのイベントを知ってから、もう随分たつ。その歴史は毎年繰り返され、ホンモノとして語り継がられている。彼らはこの日に向けて、普段はそっと身をひそめてまったく別の生活をしているが、今年ももうすぐ、彼らがリバティされる日が来る。今年もよい走りを…
七夕で思い浮かぶのはそれだけではない。とある女性と、深夜遅くまで空を見上げながら話をした事もあった。殆ど帰り道は眠気で朦朧としていた事は憶えているが、どんな会話をしたかは殆ど憶えていない。星空はうっすらと雲がかかり、その場を立ち去る頃はすっかりもやがかかっていた。自分の将来の事で精一杯で、織女と牽牛が会えたかなんかどうでもよかった。男と女が出会い、何らかの障害がその間に立ちはだかる事は、よくある事だ。
人の幸せは何をきっかけにやってくるかわからない。どれを幸せと言うのかもわからない。ただ、必ずチャンスはやってくる。そしてその幸せは人によってどのように実現するかもわからない。それはそうだ、人それぞれ誰にも真似できない物語が用意されているのだから。天の川で遮られた物語も、そのひとつにすぎない。
東京は薄曇り。テントの扉を開け放ち、空を眺めながら寝た日を思い出した。そこはジッパーの片方のレールを境に、まるく切り取られた空があり、そこには想像を絶する星空がのぞいていた。頭の下にはスタッフバックの袋を敷いた上に、レインウェアの枕がある。こうしている自分が、明日そこを発たなければならない事が信じられなかった。今そうしている時間が幸せだった。これもひとつの幸せ。
人はひとつひとつ、人生で大きな出会いやイベントを乗り越えていく。喉元すぎれば何とやら、というように、あっという間にほっとした瞬間は過ぎ、それは人生が終わるまで果てし無く続く。幸せを感じられる時というのは、やはり大事にすべきだろう。当然楽しい事ばかりではない、苦しい事の方が長く感じられるのも確かだし、楽しい事や嬉しい事などよい事は、あっという間に過ぎ去り、記憶も薄れてしまうものなのだから。
今宵、一人の友人からよいニュースが届いた。ずっと気になっていた友人が、またひとつ大きな希望を手に入れたという話だ。七夕の日の話としては丁度よい。心からおめでとうと言おう。そして、次の壁に向かって、挫けずに歩んで行こう。
2005年7月7日。それぞれにそれぞれのすばらしい七夕の夜を-
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万全のセキュリティ?

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

昨日、テレビ東京のガイアの夜明けで、カカクコムがクラックされ、スパイウェアがウェブページに仕込まれた番組を特集していた。まあそっちの方の仕事に絡んでいる為、録画をして会社の昼休みに見た。
カカクコムには、それなりにお世話になっている、DVDレコーダーや、シリコン・オーディオ、ハードディスクなどはここでまず調べてから購入する。半分は、長年使っているヨドバシカメラでなのだが、圧倒的に価格差がある場合は、カカクコム経由で調べたショップで購入する。
今回クラックされた事に対して、いろいろな所で物議をかもしだした。まず当のカカクコム側は、「万全のセキュリティ対策をしてきたが」と記者会見で平然と言っていたが、セキュリティに万全なんかない。今回はSQLインジェクションによる脆弱性等は残っていた。番組の中でも、サーバやプログラムの多くを作り直している様子が映ったが、それはプログラムに問題があったという訳で、非常に矛盾がある。また会見の中で、クラック手法を公開する事で、第三者のサイトへクラックの危険性が及ぶ事になるという理由で、報告されなかった。なんという情けない公式会見だろうか。株価の下落も当然だ。
また今回監査を行ったのがラックという私もいろいろお世話になっている所なのだが、ここの監視センターがまたまるでSFの世界。以前よりもはるかにマンガ化が進んだような感じで、なかなか面白かった。とはいえ、いつ自分のサイトにクラッカーの手が及ぶ可能性は否めない。危険と背中あわせなのが、ネットワークで接続された世界ともいえる。
自分で公開サーバを一時期たてた事もあったが、あまりに脆弱性の更新が多すぎて、レンタルサーバを殆ど使う事にした。とはいえ、まだ我が家にはSun Cobalt Cube3が元気に稼働しており、余裕があればいろいろやってみたいとは思うのだが、固定IPやDMZを作ってファイアウォールのポリシーをきつめに設定して、と簡単ではない。なので、結局公開までいたっていない状況だ。
レンタルサーバを使うにしても、色々凝ったことをするのが普通になっている今、やはり脆弱な部分が発見されればバージョンアップしなければならない。今回、私が仕込んでいる4つのサイトのxoopsをセキュア版の2.0.10.2にバージョンアップした。これはたいした手間ではなかったが、なんせ台数があるのでバックアップし、動作検証もしなければならず、なかなか手間がかかる。
以前はせいぜいbbsのcgi程度だったのだが、今ではいろいろ便利に使える反面、CMSなどではphpやMySQLなどが前提のプラットホームになるが、やはり脆弱性が発見され、パッチが公開されたらまめにあてていかねばならない。とはいえ、このMovableTypeもセキュア版ではないので、危ないのだが…
まだバージョンアップできない理由は、バックアップに何度も失敗したからだ。またおりをみてバックアップをした上で、最新版にしていきたい。まあ裏方作業だが、元々はこのような事を本職にしているので、仕方がないともいえる。趣味の世界でも結局は同じような事をしているという訳だ。
そういえばじんじんさんに指摘されたrssフィードのエラーも結局よく分かっていない。もう少し勉強しないと…
画面はバージョンアップしたxoopsの1つ、RAMBLE.COMのスクリーンショット。
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東京の新盆

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

東京は新盆なので、今日は墓参りだ。最近、本家の方でいろいろあって、寺に行く日が多い。同時にくーは留守番が多くなるので、きっと不満だろう。人間界にはいろいろあるので許せ、というのは犬にとって通用しない。仕方ない事なのだ許せ。
近々由のセローを引き渡す為に埼玉に行かねばならないのと、須藤巨匠の家にパネルを頂きに行かないとならないなど、いろいろ予定はあるのだが、なかなか重い腰が動かない。週末に1日はゆっくりしたいので、7月中に何とか調整して、くーも連れて車で行こうかと思っている。という訳もあって、今週末は法事がイベントなのだ。
中野のお寺の駐車場は大混雑していた。車を停めるのに時間が少しかかったが、塔婆代を払ったり、いろいろ決まりの手続きをしたあとで、無事墓参り。親類縁者がいつも通り集まっている。このお寺は由緒正しい歴史のあるお寺で、江戸近郊で唯一の三重塔だったらしいが、昭和20年の大空襲で焼失し、現在の塔は復元されたもので、元々は寛永年間(17世紀前半~中葉)の建築で、高さ24m、屋根は檜皮葺の立派なものだ。先日犬仲間とオフをした池上本門寺にある五重塔や、上野寛永寺五重塔とならんで、江戸時代初期の典型的な建造物だったらしい。
墓地は勾配のある地形にあわせ、びっしりと広がっている。我が家の墓は奥の方だが、子供の頃から連れられてきたので場所は間違う事はなかった。すぐ近くまで民家が迫っており、昔はどうだったかなんていうのも全く記憶にない。また特に怖いという事もない。
その後、本家に移動し、私の実家はその本家の階下なので親父の仏壇にも線香をあげ、今日は弁当だけ今回は貰って帰る事にした。ちょっと停めただけの100円パーキングは、あっという間に300円になってしまった。この近くに親父が借りていた駐車場は、45000円/月もしていた。人が住める、と笑い話にしていた位の値段だった。別に好き好んでこの地に生まれ育った訳ではないが、時代が勝手に地価をつり上げ、夜間人口を減らし、土や木を奪っていっただけ。そんな都会の中心も中心が、私の生まれ育った地なのだ。
遅い昼を自宅で食べ、一家で公園に散歩に行くと、いつもの犬仲間の人たちが集まっていた。すっかり私も顔なじみになってしまったようだが、実家に住んでいた時には、こんなに近所の人と会話するどころか、顔をあわせた事もなかった。犬がいる事で、今住んでいる所に愛着が生まれるという感覚を、犬のおかげで味わったといっても過言ではない。
殆どの人が、墓などはすぐに行ける場所にはないだろう。都会のまん中に住み、車で15分程度の所に墓地があるような環境だからといって、お金持ちだとか地主とかいうものでもないが、まあ便利なのは確かだ。ただ、この場所が私の住むべき場所かと考えると、逆にそうではないような気がしている。
東京は新盆、来週は迎え火と送り火がある。本当の意味で、こういう儀式を理解し、納得の上ですべきではないかと最近思っている。事実、墓を維持するどころか、相続でそれまで住んでいた家は奪われる日本、自由に生きて、死ぬ事については、自分で選ぶべきじゃないだろうか。
子孫を残し、子供に老後面倒を見て貰うとか、子供がいないと寂しいという事を、親や親戚は言うが、自分が今その立場だからそう言うのであって、結局は自分勝手なものだ。少なくとも自分の事は自分でしっかり面倒を見るべきであって、子供がいたとしても、そこに頼る為に、何十年を子供を育てている訳ではないだろう。
また子孫を残すのは別の意味で大事な事だとは思っているが、要は自分は子供を育てる事に、自分の親が自分にしてきた事に対して、同じような事をしたくないという事、そして自分が6歳からずっと病院に通う薬漬けの体だという事、自分の健康に自信がない事などいろいろな理由で私はそう考えているだけだ。そしてその結果、自分の人生は自分で決めるしかないという事を改めて思っている。簡単に子供を作れ、ハイそうですかという訳にはいかなくて、考えた末の自論だったりするわけである。
何だか最近こういう事を思う事が多い。今年は年始からずっと法事が続いている事もあって、そういう年齢に達しているんだという事を考える事が多くなったせいか。今月はまた私の誕生日が来る。自分が当事者になるのも、そう先の事ではない。
写真はネパールはカトマンドゥのボダナート。ネパール最大のストゥーパであり、周辺にはゲルク、サキャ、カギュ、ニンマ等、チベット各派の仏教寺院ある。チベット仏教のように、人生で最も重要で、人の根底に近い部分として存在する宗教であれば、また別なのだろうが…
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