丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

夏至の夜はキャンドルの灯で

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

今日は夏至。まあいわゆる北半球で一番昼間が長い日だ。昔、夏至の日にしたツーリングを思い出した。
夕暮れのひなびた外湯の前に、信州を走り回ってきた1台のバイクが停まっている。そこに少しばかりゆがんだ引き戸をあけて、一人の若者だった私が出てくる。手には分厚い皮のジャケットをかかえ、髪の毛にはタオルが巻かれている。
丁度近くの山の稜線の上に太陽が、濃い雲の端に少しばかり顔を出して、外湯の屋根のあたりを照らしている。目の前を浴衣を着た年配の夫婦と、結構な歳であろう地元の人らしいおばあさんが古くさい買い物かごを持って、駅の方に向かって歩いていった。他に人影はない。
若者はあまり大きくない荷物がくくりつけられたリアシートを避け、サイドスタンドで傾いだバイクに腰をかけ、持っていたジャケットをリアの荷物の上にかけた。もう一方の片手に持っていた1/3残っている瓶のドクターペッパーを飲み干す。
道路は少しばかり濡れていた。風呂に入っている間にも少し降ったらしい。時期的にも梅雨に入った頃だ。いつ雨に降られてもおかしくない。しかし今日は朝から天気は晴れときどき曇り、という予報だったので、朝東京から日帰りツーリングに出てきたという訳だ。
今日は武石峠あたりで少し雨に降られた程度で、殆ど初夏と思える日差しと、高原のシンとした湿気のある涼しげな空気の中、今日は信州と言われるエリアをあてもなく走っていた。まだ初夏にも満たない、そして春とも言えない中途半端なこの時期は、空気はカラっとせず、近くに森がある場合は青臭い木々の香りが好きだ。ちょっとした峠や高原の道を走ると、それを感じられる。
時計をみると、18時。もう少しすると夜がやってくる。瓶を外湯の脇にある販売機の脇におき、軽く右足でピストンの上死点を見つけ、一気に踏み込んでエンジンをかけた。下駄の足音と近くの木が風で揺れる音だけしか聞こえなかった薄暗い温泉街に、単気筒の軽いアイドリングのリズムが響く。
まだ濡れた髪の上にヘルメットを被り、ジャケットを被る。温泉で暖まったからだはまだ火照っているので、ジッパーは首もとまで上げず、少しだけ開けたままにした。グラブをつけ、シールドを下げて、ゆっくりとクラッチを繋いで走り出す。湿気があるが、首元から入り込む風で、すぐに汗がひいていった。
軽井沢を越え、大型トラックや行き交う車が流れる碓井バイパスに入って少しテンポをあげる。安中の亜鉛工場の手前あたりですっかり暗闇に包まれ、飛ばせない高崎ICまでは我慢のルートだったが、そこからは高速で一気に都心に戻った。
夏至の日、朝4時から少しばかり時間オーバーの日帰りツーリング。学生時代のある日の温泉の夕暮れを、ふと思い出させてくれた。陽が長ければ、それだけ長く走る事ができる。ただそれだけで学校をさぼってでかけた一日だったが、今でも夏至の日になると思い出す。
今日は夜20時から2時間、キャンドルを灯し、電気を消そうという、100万人のキャンドルナイトというイベントが行われたようだ。キャンドルの灯とはいえ、人工の灯にかわりないが、炎といのは照明とは違う。暗さの中にも温かみが感じられる。キャンプでの焚き火も同じようなものかもしれない。
夏至の日の夕方、別所温泉の外湯から見回すあたりには、明るすぎる照明はひとつもなかった。必要以上に明るくする現代の生活は、不要な光を抑えるだけで、随分と気分は変ってくるものだ。
今日はテレビも消して、パソコンもしばらく停めて、時間が停まったかのような夕食の時間を楽しんでみた。天幕を張り、自分が明かりをつけなければ星や月の明かりしかない空間を知っている者なら、電気の照明の明るさよりも、炎の暖かさと明るさの心地よさは、すぐに思い出せるだろう。
写真はまったく関係ないが、九州の中でも森が濃い宮崎は日之影駅の前のもの。今は近代的な駅になり、駅舎に温泉も付帯設備として作られてしまったようだ。この風情のある駅舎の方が私は好きだったが…
その宮崎には有名な中小屋天文台がある。あいにく私が訪れた日は曇っていてどうしようもなかったが、人工の夜景にはあまり興味がない私は、星の知識もないが満天の星空をみたいがために、周辺に明かりがない所で天幕を張る事が好きだったりする。
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親孝行は蛍とともに

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

私の父は1998年の夏に他界している。父の日というのが明日に控えているが、先日も墓参したので、特に何もする事もない。しかし由の父には何か送ろうと相談してみたが、あまりそういう行為に興味がない由は、実家に戻った時でいいんじゃないかと言う。実際既に気づいた時に遅く、神戸までプレゼントを送っている時間もなくなってしまっているので、毎年不義理な息子として申し訳なく思いつつ、今度帰省した時に何かまとめて親孝行できればと思ったりする。
私の父親が他界したあと、母親はどこかが悪いという理由をつけつつ(実際は異常ないのだが)、夜中に病院に呼ばれたり会社を休ませられ病院に付き合わされたりする事も少なくなかった。担当医が病院を変わったきっかけで、徒歩圏の病院から、バスを乗り継いで行く片道40分程度の病院に変わった事で、こちらとしては夜中に呼び出される距離が長くなるのだった。
私は小学生の頃から実家が自営業をしていた関係で、いわゆる鍵っ子だった。小学校の頃から毎週、東京医大に喘息の減感査治療の為に通っていたので、土曜は母親と病院に行くのは習慣になっていた。しかし土曜など家に帰っても誰もおらず、自分で台所に立つ事が増えていった。
子供の頃から母親のわがままにはふりまわされてきていた。友達を悪く言われる時が一番子供心にも辛く、気分で意見が変わる事には悩まされた。また私は教員にも恵まれず、小学校3年から6年、中学校3年間、高校3年間ともに、心底信じられる教員に当たる事はなかった。逆に5歳離れた兄は、まったく同じ学校に通っていたのだが、今でも慕われる先生が担任だったりと、その差は何なんだろうと自分の運命を呪った事もある。正直、私の小学校から高校までは、友人の存在がなければ崩れてしまっていたのかもしれない。
父親は母親よりもはるかに寛大で、そしておとなしい男だった。人がいいというか、自営業をしていても人を信用し騙される事も少なくなく、ただ時代がよかったおかげで、何とか潰れずにやってこれたんだろうと思っている。今父親のあと兄がその家業を継いでいるが、この不景気な時代、ギリギリの所でなんとかやっているようだ。自営業の良い面と辛い面を、私はみてきた事もあって、普通のサラリーマンを選んだと言える。
母親は何かというと体調が悪いといい、血圧が高いだの言うのだが、実際は生きていれば人は血圧は上下する訳で、その範囲を越えている訳ではない。一時的な血圧を、いい加減な血圧計でいい加減な測り方(心臓より下の位置で、手首ではかるタイプを使っていた)で物事を伝えるので、救急車の退院もたまったものではない。いつも病院に付くとおちつき、何も治療されないで帰ってくる事を年に10数回繰り返す。その度に食事をしている最中だろうが、寝ている最中だろうが呼ばれるという訳だ。
私自身も仕事や会社の環境の関係で、一時期ひどく鬱に近い症状となり、今でもその波は続いている。また群発性頭痛を持っていたり、体調が優れない日も少なくない。そんな中で母親から連絡がない事は、喜ばしい事だ。その為にも、年に何回かご機嫌を取りに顔を出さなければならない。今日もその日だった。
目白にある椿山荘という古いホテルがあり、そこに先日ランチを食べに行った。当然母親のおごりでだ。今日は、椿山荘が以前からやっている、夕食を食べ、敷地内で蛍を鑑賞するというイベントに行ってきた。当然、これも母親のおごりで。
記憶が定かではない昔に、椿山荘に行ったことがある。庭が広く、森のような場所だった事しか覚えてないが、蛍の話はどこからか聴いていたのか、知っていた。その蛍を「見ながら」食事ができるなら、その値段でも仕方ないのかなと思っていたら、バンコクの安ホテルの朝食のような、バイキング形式でホテルの上層の階で食事だけ食べ、食後に散歩がてら蛍のいる庭へどうぞ、という事らしい。それで8800円。正直近くで夕食を食べ、庭だけ散歩した方が数倍よい。
まあ母親がおごってくれるなら、そして話し相手になり、へそを曲げないように気配りする事が親孝行なので、文句ひとつ言わずに付き合っていた。何だかんだ行っても、母親の面倒はこれまで家族の誰よりもずっとみている訳で、親戚からもそういう息子に見られている。親子とはそういうものなのかと言う人もいるが、私にとってはよく理解できない。子供に何を期待するのか、子供というのは自分の人生にとってどういう位置にいるものなのか、私にはイマイチ納得がいかない。
結局、自分の親を見て子は育つ訳であって、その親が子供だけでなく家族とよい関係を作れなければ、子供も不幸な訳じゃないだろうか。こればかりは、人それぞれなのだろう。心の底から、家族というものはこういうものだというような家庭を、自分の親を見て作りたいと思った。皮肉なものだ。
また、自分が子供の頃からずっとアトピーや喘息を持っており病弱で、レントゲンは既に100回近く撮っているし、飲んでいる薬の量は相当なもので飲んでいない日の方が少ないということから、私の子供が健康である確率はどう考えても低い事も、私が自分の子供が欲しいとか思わない大きな理由の一つでもあったりする。
私は私の家族の為に守らなければならないものを守る為、力を注ぐ。それは由であり、くーである。今後自分の子供がこの中に加わる事は、今の所考えていない。その理由は、こういう事だったりする。そして自分の限りある人生に、悔いが残らないように自分が楽しみたい。
写真は今日のバイキングでも出た寿司なのだが、それとは比べものにならないレベルのおいしいお寿司。既に二桁を越える回数を通っている、網走の某寿司屋で食べられる、生たらばがに。これはウマイ。
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人間ドックとやら

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

一般企業の会社員であれば、企業内で健康診断を受けられるだろう。私の職場でも、入社以来ずっとこの時期に受けてきたのだが、ある程度の年齢に達すると、健康診断から人間ドックになり、企業内に併設された病院で受ける事になる。
その「ある程度」の年齢に達してしまったという訳で、朝早くからその病院横の施設に行ってきた。実はその敷地内には友人が仕事をしていたりするのだが、今回は会う事はできなかった。私自身は朝8:10に到着したのだが、既に整理番号は16番。おまけに初回のドックという事で、説明を受けたり段取りがわからず、午後までかかってしまった。
内容としては、身体計測や採血から、バリウムを飲む胃部X線や胸部X線、胆嚢超音波検査、眼底投影、心電図他いろいろ。ドックとは名ばかりで、まあ健康診断の延長のようなものだ。特に問診や内科検診なぞは、それで診断かと思える程、いい加減だった。喘息だといっても、どのような薬を飲み、どのような治療を行っているかとか、過去の病気の事も病名だけしか確認しない。それで本当に診察しているつもりなのか?
問診で聞き出したそれまでの病歴や現在の体調などは、実際の医師が診断する材料になるはずなのだが、それで診察なのかと思える程表面的な部分しか言わない。本来は異常や疑問などがあれば、患者が納得いくまで説明や検査がある訳なのだが、所詮企業が社員に最低限の義務を果たしているか否かという部分を事実として証明させるだけのイベントに過ぎないと感じる。
自分の体は自分で守るしかないのだろうが、人生のうちで大半を、そして1日のうちの殆どを費やしているはずの仕事場では、自分の体を守る事は就業規定には含まれないし、守ろうものなら職場では立場が悪くなってしまう。こんな仕組みを日本企業は戦後ずっと続けてきているのだなとあらためて呆れる。
今ストレスや数値的にしか評価値として現れず、おまけに平等・正当性の薄い評価制度が原因で、苦しんでいる会社員が沢山いる。「甘えるな」で済ませられる次元を越えているにもかかわらず、自分の立場の擁護や防御だけで、一人一人それぞれの人生がある社員の給料が決められていく。ある程度は仕方ないのかもしれないが、何かおかしい。
順番に同じ系列会社のオジサンの列に並ぶ自分が、滑稽だった。誰かが社畜と言ったが、まさにその通り。社員の為に行われているのか、形式的に義務を果たしているだけなのか。経験してみれば、おのずと分かって来るのがまたサラリーマンの悲哀だろうか。
いつかここから飛び出して、自分らしい時間を過ごす事ができるだろうか。そんな事を診察着を来た一人のオジサンは思っていた。
写真は6年前くらいの仕事中の私。初めて買ったデジカメで撮った画像。
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