丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

きっかけは中古シュラフ

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

叔母の3回忌でお寺へ行く為に、バスに乗り継いでいかなければならなかった。それというのも、車が今オーディオの交換と大幅なリアスピーカーの改造で、2日間の作業になり、お泊まりになった為だ。明日月曜の夜、会社を少し早めにあがり、引き取りに行くのだが、この週末は丁度足がなくなってしまった。
一旦新宿まで出て、それから寺を通る路線に乗り換えるのだが、日曜は本数が少ないので、普段20分弱で到着するのだが、乗り継ぎも含めて1時間以上かかってたどり着いた。喪服という訳でもなく、黒いチノパンと白いワイシャツなのだが、やっぱりうっとうしい。
丁度見た事もない大規模な告別式が行われていて、広大な駐車スペースが全て黒い車で埋まっていた。これでは今日はバスで来たのが正解かもしれない。本堂の方にいき、お経が始まるまでまだ30分近くあるので、親戚とありきたりの会話をして過ごす。先日の伯父の葬儀もあわせ、ここ最近は法事が多い。正直、しきたりばかりには少々うんざりしている。故人を忍ぶ心よりも、形式が重要なのだろうかと思ったりする。
墓参をし、食事をしたあとで解散。またバスに乗り新宿駅まで戻るが手前で降り、コージツへ。半袖の山シャツが欲しいので見に行った。
丁度バーゲン品があったのだが、サイズがない。横のレディースのラックでは、5人ほどのおばさんがシャツをひったくりあっていた。ハイキング用なのだろうか、バーゲンで見る光景そのものだった。そんなに下からひっくり返さなくてもいいのに思いつつ、うっとうしいのでその近くを離れた。なかなかよいのがみつからず、足はザックやシュラフの方に向かうのだが、やはりこれといって今欲しいものはない。
先日モンベルのシュラフ、ダウンハガー1を買った。それまで使っていた厳冬期用のカリマーの800gダウンの変わりなのだが、夏用ではカリマーの350gダウンと、ノースフェースの450gダウンがあるので、特に季節の移り変わりにあわせた構成も現在の状態で満足がいっている。バイクでキャンプに行きはじめた頃には、バイクツーリング用として化繊のシュラフを使うようにしていた。雨天走行で積載している荷物を濡らしてしまう事は充分にある事で、その時シュラフは羽毛だと保温力が極端に落ちる事や、羽毛の持つ油分が関係して乾燥させるには時間がかかる事などがあるからだ。
しかし今では荷物の中身を濡らす事も、寝ている間にインナーテントに接触させ結露させる事もまずなくなったので、荷物の軽量化と収納効率から殆ど化繊のシュラフの出番はなくなってしまった。当時のモンベルのシュラフはダウンもなく、この写真のスーパータフバックという種類だけだったのだが、多くのエキスパートツーリストが愛用していた。私も多分に漏れず、#3と#6を買い、寒い時は重ねて使ったりしながら、真夏から真冬までのキャンプを楽しんだ。
キャンプ用品はそれなりに膨れ上がっている事から、このシュラフを求めている人が居れば譲ろうと思ってヤフオクなどをチェックしていたが、今化繊のマミー型を求めるのは、やはりバイク乗りなのだろうという結論に達した。殆ど売れていないのだ。バイク乗りのキャンパーは激減している。今の若い世代が、バイクで旅をし、キャンプをするという事をあまり魅力的に思わないのだろう。しかしまったくいなくなってしまった訳でもない。
ひょんな事から、我が職場に一人、バイク乗りの若者がいるのを知った。彼に声をかけると、貰ってくれるという。1000円や2000円で他人に売ってしまってもいいのだが、自分がそうであったように、出会いやものが何かのきっかけになれば、何より嬉しい事だ。まあ中古のシュラフなので、人が使っていたものを使うのもあまり気分がよいものではないだろうが、とにかく彼は喜んでくれた。
この2つのシュラフは、単なる旧型の中古のシュラフなのだが、これがきっかけで私が指し示した扉の前に立ち、その先に一歩を踏み出そうとしているのなら、これほど嬉しい事はない。
彼とは職場ではなく、どこかの旅の空の下で会えるだろうか。お疲れさま、2つのスーパータフバック。
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北の春の便り

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

実は今日は体調不良の為、会社を休んでしまった。1日中だるく、寝ては起き、起きては寝を繰り返していた。外はとてもいい天気で、さわやかな風がベッドルームを抜けているにもかかわらず、何をする気にもなれず1日が過ぎていった。
そういえば今日から6月。春というよりは梅雨の季節に突入だ。野外にでかけるにも予定をたてづらいし、くーの散歩ができなくなる日が多くなる。台風も既に今年は4号が発生しているようだ。暑い夏の前には必要な季節とはいえ、体調も悪くなりがちになるので少々憂鬱である。
北海道は津別峠が開通する時期。山菜もそろそろ終わりだが、札幌の友人から去年に続いて今年もおいしいグリーンアスパラが届いた。これも本格的に北海道が夏にむけて動き出す頃の味でもあり、とても嬉しい贈り物だ。いつも本当に申し訳ない位、気をつかって頂くので私としても何かお返しを考えている。さて今年は何をお送りしようか。
お中元、お歳暮という考え自体は私にはなく、会社の上司に送った事はない。年賀状すらここ何年か上司にも送っていない。メールで済ませられる事はメールで済ませるし、実際すぐに顔をあわせる訳で、挨拶はそこで済ませてしまう。日本の伝統文化といえる「挨拶」なのだが、大事に思っている人間関係ではないので、どうでもいいと思ってしまう。これはよくないことなのかもしれないが…
しかし自分が大事に思っている人には季節を関係なく送り物をしたり、手紙を出したりしている。バレンタインデーもホワイトデーも、クリスマスにおいてすら、企業の営利目的による政策のような気がしてそれにふりまわされるのは嫌だと思うからだ。まあ、私はひねくれた考えを持っていると言われても、否定はできない。NHKの受信料しかり、決まりというだけで納得ができない制度が単に嫌いなだけだ。
今回のようにお中元とかではなく、季節の味が届く事はとても嬉しい。そしてその友人に感謝しつつ、おいしく頂くにはどうすればよいかを真剣に考える。素材の良さだけでなく、折角だからいろいろな味つけに挑戦してみたい。明日からは会社に行かないとならないが、週末あたりにちょっとアスパラづくしを作ろうかと思っている。
KATSUさん、ありがとうございました。
滝川は、そのKATSUさんの故郷。ひろびろとして花一杯のいい所だ。
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yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

ラベンダーといえば富良野を連想してしまう短絡的な頭なのだが、独特のラベンダーの色と香りというのは、やはり富良野周辺に実際に行き、一面のラベンダーの中に立った事があれば、無理もないのではないかと思う。そろそろ我が家の近くは、ラベンダーの季節を迎えている。
ラベンダーにも種類があるようなのだが、花心が乏しい私には、この紫と独特の花と香りから、ラベンダーだと思い込んでいる。近所の公園にはラベンダーが植えられ、結構見事な花ぶりを見せてくれている。今日もくーの散歩ついでに、ラベンダーの写真を撮ってきた。
富良野のシーズンはもうちょっと先。6月あたりだと思うが、桜前線のように、南北に細長い日本では、季節が花のシーズンであったり、梅雨前線であったりと、形をかえていろいろな季節の動きが目に見える。日本はこうしてみるとなかなか味わい深い自然を身近にみせてくれる国でもある。
富良野といえば、うりちゃんからの報せで、森林公園が閉鎖になったという話を聴いて、少々悲しい気分になった。かしわ園、鳥沼と次々旅人が多く集まっていたキャンプ場が閉鎖され、その次にもしも閉鎖されるなら森林公園だろうと想像していただけに、やはり富良野は見すぼらしくマナーの悪さの目立つ場所に蓋を閉じるのかとすら思うほどだった。
しかし実際は森林公園キャンプ場は今年も開かれるようだ。少しだけほっとした。とはいえ、実際自分の首を締めているのは、旅の恥はかきすてとばかりにはめを外し、それが集団心理で大きな問題に発展してしまう図式になるのは、多かれ少なかれ昔も今も本質的にはかわらない。変ってきているのは、その程度問題なのだろう。
どこまでなら許され、これをするとどうなるという判断がどんどん曖昧になり、人によってはその越えてはならない線が見えないものがおり、確実にそれが増えている。最近ニュースになっている犯罪や、町中をどれも同じマフラーをつけ、夜中だろうが早朝だろうが走り回る中型スクーターやスカチューンを施した同じような改造をした中型バイクが、信号は守らない、歩道だろうが乗り入れ老人や子供がよけなければならないような停め方をする連中が毎日必ず二桁はみかける。
今日も公園内を散歩していて、4人組の近所の大学生がサッカーボールを思い切りドリブルして近づいてきてこちらに飛んできた。普段はあまり声にしないが、今日は怒鳴りつけると、仲間の一人が「怒られてやんの」と人ごとのように言い、謝る言葉もなし。怒られる事を知らない子供が大きくなると、このようになる。なんと情けない事だろうか。
開陽台でも何年か前、障害者と展望台のスタッフ、納品、ゴミ処理用の車しか許されない横のアプローチを、バイクで登ってきてテントサイトに横付けし、撤収を始めた子がいた。大きいバイクに乗って、皮のジャケットを来て、ゴッパーテントを使っていた子だ。しいたけがその子に近づき、すぐ降ろしてくんないと言うと、いきなり絡んできた。こちらも柵に座っていた友人数名でしいたけ達に近づくと、いきなり弱気になり、ふてくされてしばらく佇んでいたが、少しするとバイクを降ろして、階段から荷物をもっておりていった。
彼はしばらくして、あらためて我々の所にきて、さっきはすみませんでした、と素直に謝ってきた。最初から素直にそうすればいいのだが、それができない。まだ謝ってきただけよいのだが、逆ギレと簡単に口にする子は、それがよくない事という事を理解できていない。少し前なら「開陽台のヌシがうるさくて」とかやっかみの噂を流される事になったかもしれないが…
近く公園をみても、旅先での出来事をみても、正直腹が立つ事や憂鬱になる事が多い。何でこんな社会になってしまったんだろうと思うが、自分もそれほどよくできた人間でない事は、分かっているつもりだ。でも口に出して注意する勇気が、程度が分からない無能な人間に逆に被害にあう事も少なくない社会。時と場所を選んですべき事なのだろうか。なかなか答が出るようなものではないようだ。
美しい花をみたいだけ。すばらしい風景を見たいだけ。ただそれだけでその場所に行く。そして、同じような思いをもった人と知り合い、友人になる。それはやはり、基本的な人が生きていく世界でのマナーというものがあって成り立つものだ。今、それぞれが自分と自分の次の世代の事を考える事が大事ではないだろうか。
花は今年も変わらず咲く。人もかわらず、次の年も美しく咲くために、後世に引き継がなければならない。
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