丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

鉄塔の先に沈む夕日

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

武蔵野の夕日
高圧電線の先に沈む夕日は、すでに家に帰ってきたというイメージになりつつある。特に積乱雲の向こうに隠れていく夕日は、この季節の風物詩でもある。
また沖縄や八重山の方では、夕日の時間になると雲に隠れた夕日から、放射状に伸びる太陽の光の筋がなぜか美しく、毎夕海岸で眺めるのが楽しみだった。
ゲリラ豪雨も増えているが、紙一重かもしれないこの夕日が見られると、ちょっと得した気分になれる。
写真はある日の夕日。電線や鉄塔が邪魔ともいえるが、それはそれでひとつの風景になっている。
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暑い暑い誕生日

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

暑さが本格化してきた3連休初日。私の誕生日でもある。そろそろ50代が見えてきたといってもいい年齢になってしまい、旅の形も変わってきたのだが、何より社会的に時間の余裕がなくなってきているように感じる。
昔は残業して帰っても、なにかをする時間があったのだが、最近は帰ってきてメシを食って風呂に入って気がつくともう22時。そこから何かをすると0時をすぎてしまい、5時間弱睡眠になってしまう。当然体力も落ちているのでどんどん平日は次の週末にむけて辛くなっていく。
そして週末がやってきて…そんな繰り返しである。
今日はAM10時前には2Fリビングにはいられなくなり、1F土間へ避難。由はなにかちまちまと刺繍に最近凝っていて、土間の縁側に座りながらやっている。くーは冷たい土間に転がり、私はノートPCでちまちまと調べ物をしたりしている。
土間の縁側といっても、ベッドルームとの段差なのだが、ここが丁度いい感じなのだ。そこから中庭を一望できるが、今は一生懸命ゴーヤと朝顔の緑のカーテンを育成中で、網戸ごしに葉っぱが揺れるのが見える。
風があればもっと快適なのだが、微風しか吹かない。しかしこれだけ暑いとまわりの子供も静かで、窓を全て開け放っているにもかかわらず、おそろしく静まりかえっている。これは前の都会のマンションではあり得なかった。
そんな土間で涼むくー。窓の外はグリーンカーテンが揺れる。
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ささやかな日常

yonkichi, · カテゴリー: あれこれ

住宅地、という所に引越しをして、いろいろこれまで知らなかった空間を散歩で歩き回るようになった。
都会生まれの都会育ちな私。小さい頃はラブホテル街や歌舞伎町のビルが周辺で、自宅周辺には平屋は殆どなかった。全てがオフィスであり、商店ばかりという環境だった。
なので戸建てが並んでいる住宅地が唯一あった所は、今は外国人街になっていたりする。また小学校や中学校があったあたりは、区立や国営の共同住宅があり、一部は今高齢者しか住んでいない限界集落と呼ばれている所もあった。
都心な故、マンションが殆どである。確かに便利である。どこにいくにも電車は四方に走っているし、バスも同じ。そして徒歩20分以内なら鉄道の駅だけでも20駅ぐらいあるのではないだろうか。それほど便利な所に住んでいた私が、今は最寄り駅は2km以上先の住宅地に住んでいる。
だからといって、全然悪いわけではない。逆にこれまでが異常だった。自分が自分の実家の場所を人に話す時は、「いやあ、とても人の住む所ではないですよ」と必ず言ったし、少なくとも3代以上続いた私は江戸っ子ではあるが、近所に同じぐらい長く住んでいる知り合いはいなかった。全てどこからか都会に移住してきた東京以外の人ばかりなのだ。
まったく東京モンは、とか、都会の人間は冷たい、とか言われるたびに、本当にそれは東京生まれの東京育ちの人間なのかと問いたかった。よそ者だから冷たいんじゃないか、と言ってやった。よそ者だからこそ、地元への愛着も薄い。あまりに荒廃した自分のふるさとを子供の頃からみてきて、悲しかった。ゴミを投げ捨てられ、奇声をあげて酔っぱらいは歩きまわり、店はころころ変わって臭いゴミをルール無視で捨てる。人が集まるから、そこから生まれる金を目当てに集まってきた連中ばかりしか廻りに住んでいないのだから当然だ。
私の心のふるさとは何度も何度もその地に立った北海道だったが、今の住まいの環境は嫌いではない。夜街灯がとても少なく暗かったり、ちょっと離れると大規模なファミレスやパチンコ屋などがあるのは好きではないが、我が家の近くは静かだし、土を感じられるのはとてもいい。
どうせあと30~50年もすれば、私はこの世からいなくなる。今を大事にふるさとを感じながら生きたいと思う。
写真は住宅街で由とくーといっしょに散歩している時のシーン。ささやかだが、ちょっと嬉しい我が家の日常である。
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