丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

公道を走るレーサー(9台目)

yonkichi, · カテゴリー: バイク

朝から昼にかけては、漸く春を感じられる暖かさだったが、会社帰りには一気にまた冬に逆戻りしたかの如く、北風が吹き荒れている。明日はもっと寒いようだが…
週末だが、ちょっと寝不足なので、また車歴シリーズ。
KDXという久しぶりの本格オフ車だと、どうしても細かい振動と航続距離が短いという点で疲れが溜まってきた。確かに走りは楽しく、何よりサスペンションの進歩には感動さえ憶えていたが、ツーリングという視点からだと、やはり4ストが望ましいと思っている。今でこそ環境への配慮から2ストは消え去る結果になってしまっているが、この頃のオフ車は軽くピックアップのよい2ストがまだまだ主役とも言えた。
そんな時、友人が6万円で88年型のXR250RKを譲ってくれると声をかけてくれた。このモデルは私が実はホンダのXRでは一番好きなカラーリングである、ホンダレッドが主体となったもの。喜んで譲って貰おうとなり、葛西まで引き取りに行った。しかし、この時カタナを手放す日でもあった。要はカタナででかけ、XRで帰ってきたという事になる。別れと出会い。そんな日だった。
状態は見た目はそれほどひどくなかったが、後日タンクやシートを外して洗浄すると、レースに使っていた事もあったようで、フレームの奥からヘドロのようなドロが出てきたり、マフラーは錆び、シート皮も破けているといった状況だった。それらを徹底的に清掃し、ハーネス類を全てチェックし、キャブのオーバーホール、ハンドル交換、ドライブ&ドリブンスプロケットの高速道路対応化、チェーン交換、ヘッドライトのガラスレンズ化とH4バルブ化、シート張り替えなど手を加え、USモデルのXR250RKは私の相棒となった。
軽快な純正マフラーの音も、絶妙にクロスしたミッションも、足まわりも、全て素晴らしかった。装着されていたピレリのMT21も自分のスタイルにあっていたのか、ロングツーリングでも扱い易く、そして走破力もあって、昔乗ったXL系と兄弟車にもかかわらず、レーサーの血は本物だと感じていた。
ホンダレッドに包まれたレーサーXR250RKは、走りだけでなくツーリングに求められる積載性も燃費も併せ持つ素晴らしい車両だ。とても3万キロ走ったエンジンとは思えないパワフルさで、時にはキャンプ用品満載の上、モンベルのフルサイズビックタープに、オリオンビール1ダースを積み、岐阜までキャンプをしに行ったり、北は北海道から、南は四国・九州までいろいろな所を旅した。
しかし最後はリアサスが完全に抜け、サス交換が結構高額になる為、同じタイプに乗っていた友人にタダであげてしまった。今でもXRへの魅力は褪せておらず、XR600Rがひとつの頂点だった。
先日このXR250RKを譲ってくれた友人が、XR650Rを格安で売ってくれる話にグラリと揺れたが、車検付である事と今の250ccオフ車を昨年ちょっとお金をかけて修理してしまった事から、悩んでいるうちに売れてしまったらしい。今思うと後悔していたりする。
このXRは4ストでの道を選ばない楽しみを味あわせてくれた。また乗ってみたいと思える車種の1つでもある。ホンダらしさ満点の歴史に残るオフ車ではないだろうか。
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ハイウェイ・スピリット(8台目)

yonkichi, · カテゴリー: バイク

めでたく限定解除をし、晴れてどんなバイクでも乗れるようになった。ある意味これで「バイクは私のライフスタイルです」と言えるようになったとも言える。この程度が取れなくて、バイクが好きだと言う事が恥ずかしいキャリアになったから、だ。
カタナのライディングの楽しさ、KDXのダートパフォーマンスの楽しさで十分だったのだが、限定解除を絶対に取るのだという自分への追い込みの為、そして憧れでもあったGPz900R(A7黒)を新車で手に入れる最後のチャンスかもしれない(これは後日大嘘だった事は誰もが知っている事)、という事もあり、3台目のパートナーがやってきた。
厳密に言えば、限定解除を取る前に、ショップから引き取り命令が出、限定違反で埼玉のガレージに乗って帰った。その途中、ガス欠して交番の前を押しながら横切り、ガソリンを入れた事は情けない思い出だ。その重さを身に沁みた出来事でもあった。
正式に免許を取り、埼玉のガレージから自宅に900Rを移動させた日からほんの1週間目、900Rのスクリーンとバックミラー、KDXのリアバックが盗難にあった。まだ走行40km程度で、アッパーカウルに傷がついた。あまりにショックで、この頃から通いはじめたモトショップ世田谷に盗難にあった朝、持ち込んだ。ミラーもスクリーンもない900Rが哀れという事と、自宅に置いていては、安心して眠れないという状況に陥ってしまった。
当初、スクリーンは純正、ミラーはA6以前の小柄なものに変更するつもりでいたのだが、このショップは一筋縄ではいかない。この頃からカスタムへの泥沼に入り込んでいく事になる。スクリーンは純正ではなく、ヨシムラ・スクリーン・クラフトのスモークが少し高いだけだったので発注したのが、すべての始まりだったのかもしれない。バックミラーもA6までのシンプルなタイプに変更してみた。
この憧れのカワサキを手に入れたら、絶対に付けたいものがあった。それはKERKER SYSTEM K2の2本出しマフラー。殆どがスリップオンというエキパイはそのままで、サイレンサーと途中までのエキパイをボルトオンするだけのタイプが定番とも言えた。しかし私はエキパイからすべてKERKER製のものを選び、装着した。この2本の先から奏でられるサウンドは、心を震わせた。
当時仕事は毎月100時間を越える残業が続いており、休みは土日のどちらか1日という事もあり、その休みはバイクショップに行くか、日帰りツーリングと決まっていた。当然悪魔のようなショップに入り浸る事で、日に日に私の900Rは変貌していく。いや、殆ど外見はノーマルとはわからないが、足回りは殆どすべて交換。エンジンパワーをあげるよりも、バネ下重量を軽量化し、マグネシウムホイールや目の字断面のスィングアーム、飛行機すら停めるロッキードの4podブレーキ、鋳鉄のフルフローティングディスク、オーリンズのサスなど、これでもかとレーシングパーツを組み込んでいった。
ある日、アウトライダーパティオという私がスタッフをしていた集まりで宇都宮に餃子を食べに行く集まりに900Rで行くと、どこがカスタムしているんだ?というような言葉を耳にしたりした。しかし、KERKER 2本出しの奏でる轟音は、タダモノデハナイニンジャである事を、証明していた。いや、基本的にカスタムは自己満足なのだから自分が納得できればよいのだ。
箱根ターンパイクを友人と異様な速度で大観山パーキングまで駆け上がったり、永源寺への高速巡行ツーリング、そして激しい日帰りのワインディングツーリング…これまで経験した事のない速度域で、高次元にバランスを取ったライディングを経験した。50ccに初めて乗って、走り出した感動、400ccからカタナに乗り換えた時に感じたこれまでにない感動、そしてそれをはるかに凌ぐ新しい領域を見せてくれた900Rは、私にとってどれも高いインパクトと今でも忘れられない衝撃を味あわせてくれた。
しかし鋳鉄ディスクやマグネシウムホイールなど、ハードな一般道を走る事や、保管する時の湿気の問題など、不自由な面の方が目立ってしまう。保管は屋内、乗る為には電車+徒歩で片道1時間強の場所に通わなければならない事から、結果的に乗る回数も極端に減っていってしまう。保管場所も限界に近づいてきていた。そしてたまに乗れば、仕事のストレスからなのか、サーカスのような走りをする事も多く、命の危険を感じてきたのも理由のひとつなのかもしれない。
私が理想のバイクショップと認めていたモトショップ世田谷も、社長の夜逃げにより惜しまれながら閉店。その後環八沿いのカタナショップ、FORにメンテを頼むが、最後は雑誌ロードライダーに私のバイクを使い、ショップカスタムとして勝手に掲載されてしまう事で、あまりのレベルの引くさに縁を切ってしまう。そして結果的に7年所有したあと、車体の購入価格より10万UPした価格で、知らない人に引き取られていってしまった。
こうして比較的に長い期間、私のメインバイクとしてカスタム900Rは君臨してきた。大げさだが、私はある意味初めて自分が満足のいくまで手を入れ、理想の形に仕上げたバイクだったと思っている。カスタム900Rは私のバイクライフを語る上で欠かせないほど、バカらしくお金をかけた、理想のバイクだったと言える。
ハイウェイや高速コーナーを、KERKERサウンドを奏でながら走り抜ける。いつかまた保管場所や時間に余裕ができたら、リッターバイクに乗りたい。それはカタナか、外車かわからないが、カワサキである可能性も十分にある。
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ひとつの頂点(7台目)

yonkichi, · カテゴリー: バイク

私の車歴シリーズも漸く半分を超えた。
どれも思い出深い相棒だが、7台目になるこのバイク、私のワクワク度の高さで言えば1~2位を争う車種だったりする。
ZX4-G1、KDX200SR-1と同時所有の時期、とうとう限定解除に挑戦を開始した。仕事もそれなりに忙しい時期だったが、府中自動車試験場近くの杉本二輪練習所に、時にはごまかし、時には休みを取って通った。当時限定解除試験の予約が1カ月に1~2度取れればよい方だったので、試験の前の週に1時限、試験の直前に1時限乗るようなサイクルで練習を詰めていった。
丁度試験に通っている最中、ZX4が友人経由で離れていった。どちらかというとインラインフォー400オンロードの方が、普段練習になったのだが、乗れるバイクが2stオフ車だけになってしまう。同時に試験に絶対に合格するようにと、自分を追い込む為に最終型と噂の高かった900ccの憧れのバイクを予約し、週末にはショップに眺めに行くか、試験に行くかという事もあった。
結局、限定解除は6回、12時限の練習で合格。その回に合格した人は、100人以上受けて2人だった。免許の裏に限定解除の判を貰って練習所に挨拶に行くと、君は今日受かると思ったと言われた。教官とその時知り合い、同じ試験を受けた人から、朝から乗りに乗れていたと言われ、とても嬉しかった事を思い出す。試験の帰りは、嬉しくて信号が変わる毎にホイールリフトしながら家に帰り、午後から仕事に出た。
その事を会社の同期に言うと、それまで乗っていたナナハンをお祝いにくれるという。彼のバイクはSUZUKI GSX750S1。カタナと呼ばれるスタイリッシュだが結構なオールドバイクだ。鹿児島出身の彼は、今の会社に入社時、鹿ナンバーのこのカタナで上京。箱根や伊豆を一緒に走った仲だった。その彼は、いろいろな理由により、バイクを維持できなくなり、処分したいという事だった。ただあまりにお金がないという事なので、申し訳程度で2万円で譲って貰った。
彼のバイクを受け取りに会社の寮に行くと、至る所が錆び、エンジン音もバラバラとタイミングがあわず(あとでわかった事だが、1気筒死んでいた)、ミスファイアまで起こり、何度もエンストしながら乗って帰った。その時の嬉しさというのは、900ccが手元にあるにもかかわらず、ずっと興奮しっぱなしだった。そう、憧れのナナハン、それもカタナを手に入れたのだから。
その後行きつけのショップでオーバーホールを依頼した所、丁度フルカスタムでカタナ1100が入ってきた為、処分するパーツはすべて私のカタナに装着してくれる事になった。いきなり、フロントはニッシンの別体マスターシリンダー、ブレーキホースはグッドリッジ、リアサスはヨシムラカヤバ、マフラーと前後ホイール&タイヤ共に1100のものがそのまま装着された。
タンクには錆が出ていた為、知り合いの板金工にオールペンを依頼。シートも汚れていた為、ブラックレザーに張り替え。フロントウィンカーや外装パーツも装着し、私の理想のカタナが出来上がった。
900はおいたままで、殆どこのカタナで週末はでかけていった。箱根、正丸峠、湘南、そして北海道へ。殆どアメリカンと言える程、フロントホイール径が大きく、ブレーキの効きの悪さで定評のある乗りにくいバイクは、正丸峠の下りでも素晴らしく軽快なコーナリングで私をエキサイトさせた。これほどライディングが楽しいバイクはこれまでなかったかもしれないと、本気で思っていた。
ただひとつ、遅い事。直線ではメーター読みでも180km/h以上は出ない。友人のCB750FBの方が少し伸びがよかったが、パフォーマンスは同じようなものだった。このZX-4よりも遅いかもしれないナナハンは、私にとって「ナナハン」という憧れを手にした事と、「カタナ」を手にした事で、初めてバイクに乗った頃の気持ちを思い出すだけでなく、それ以上に大型バイクの楽しさを教えてくれた。
このあと、5台を乗り継いで現在に至るのだが、今ロードスポーツをもし買うなら、今度はカタナ1100ファイナルの中古か、神戸ユニコーンのイナズマベースのカタナが最有力候補だ。基本設計は既に20年以上も前のオールドバイクだが、私にとっては魅力溢れる車種だったりする。
荷物も沢山積めるし、林道だってガンガン走れる。そしてコーナリングや眺めるだけで楽しめるビックバイク。私にとってある意味理想のバイクがこのカタナである。
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