丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

雪国ライダー

yonkichi, · カテゴリー: バイク

東京が漸く開花宣言が出たとの事だ。でも毎朝6時すぎに家を出るとはっきりと寒く、ハリスツイードジャケットにオックスフォードのボタンダウン、コーデュロイのパンツに、まだマフラーは必要だ。日中はオフィスから外に出ないので暖かいのかさっぱりわからない。
ただ北海道はまだ雪が降る日も多いらしく、春の雪とはいえ、まだまだ冬といった感じかもしれない。今年の冬のシーズンは、例年行っていた北海道も、犬の骨折リハビリの為に中止してしまい、冬旨い寿司も、六花亭のケーキも、ぱんちょうの豚丼も食べられず悔しい思いをしている。
冬の北海道を舞台にといえば、以前友人が多数、バイクで旅をしていた。少なくとも知っているだけで8人は知っている。殆どが今では使われていないスパイクを履かせ、轍や路肩に積もる雪に前後をふられながら、緊張感と共に走っていた。私もやってみたくて色々と調べてみたが、自分には無理だという事と、周囲に迷惑をかけそうだ、という事で断念した。しかし、車でキャンプ旅に行ったことはある。2005年2月17日の日記にも書いた通りである。
冬に車で走ったのは、自分の車で1度、レンタカーで4~5度(あまり憶えていない)なのだが、全て4駆+スタッドレスだった。その時にもバイクでのツーリストは何度か見た事がある。
こんな環境でも、職業ライダーはしっかりとバイクを走らせている。アイスバーンだろうが湿雪だろうが、彼らのダイナミックなライディングには、拍手を送りたくなる。こういう環境が数カ月続く北海道は、特殊なのかもしれないが、環境にあわせていろいろと工夫をする人間はやはり面白いものだ。
一度キャンプをしていた浜小清水前浜キャンプ場の駐車場で、スタッドレス仕様のセローを友人に乗させてもらったが、面白いように普通に運転ができた。アクセルターンも簡単にでき、ただ普通に走っていてもフロントやリアが大きく振られる事があり、気が抜けないのは確かだ。バイクをコントロールするだけでなく、接近してくる対向車や追い抜いて行く車に気を配りながら、ある程度ペースが高い国道を走るには、やはり相当疲れそうだというのも、実感できた。
写真は網走郊外にある、やまね工房前の脇道へ、ドリフトをかけながら登っていく郵便配達のカブ乗り。このあと、リアが大きく振られ、ヒルクライムなみの斜度のある細い道を登り、配達後すぐにUターンし、イン側の足をモトクロスの乗り方よろしく突き出し、大きくリアを滑らしながら走り去っていった。
みていた私は、思わず「おー」と口に出し、拍手してしまった。ニヤリと郵便配達の男は笑ったような気がした。彼らにとって、この季節は辛いのだろうが、その厳しい環境の中で生き生きと暮らしているような気がする。
そろそろ、この雪もとけ、本格的な春に向けて北海道も動き出す頃だ。
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長い付き合い(12台目)

yonkichi, · カテゴリー: バイク

私の車歴の最後、という事は現在所有しているものとなる。
Cub90DXもまだガレージに眠っているが、やはり北海道へのロングツーリングには、こちらが現実的だ。
これを購入したのは1997年の夏。これまで必ず自分の好みにあわせて手を入れていたのだが、このバイクはどこにも手を入れる必要がないとも言える程、私のツーリングスタイルに合っていたという事だ。
カタログスペックでは乾燥重量はXRなみに軽く、燃料タンクも17L。幅広のシートと標準装備のキャリアでリアには荷物を安定して積める。ヘッドライトは手を入れる必要がない位明るく、ガードもついていた。ハンドルガードも十分な強度であり、サスも劣る所はなかった。
しかしさすがスズキとも言える所が沢山出てくる。純正オプションでもボルト穴があわない、デジタルメーターの液晶が半分表示されなくなり交換を迫られたり、ツメがあまいというか、品質はどうしても何か足らないというのも現実に起こった。
よくできている。それが感想なのだがやはりトルク感のないエンジンフィール、軽快感のないハンドリング、渋滞で腱鞘炎になりそうな程の強制開閉キャブのスロットルワークなど、物足りなさが目立ってきているのも事実である。
とはいえもう9年目の相棒。これまで以上に長いのは、乗る機会が明らかに減っているのと、欲しいバイクがあっても保管する場所がない状況が、このバイクのままでいいという気持ちを変えないのかもしれない。
つい先日、友人からXR600Rを7万円で譲ってくれるという話があり、相当に揺らいでしまった。結局は悩んでいるうちに他人の手に渡ってしまったのだが、正直な所XR600Rは魅力がある。でも私はこいつでいい、と思う気持ちもあるようだ。
もうしばらく相棒として旅をする事になるだろう。旅をするバイクとしては今でも、非常に高い評価を私が持っているのは確かなのだから。
いろいろなバイクに乗ってきた。メーカーにこだわる事も、一度でも乗ってみる事でそれなりの評価をしてきたつもりだ。結論としては、どのメーカーも味があり、決して劣るというものでもない。
ここ最近はバイクはミドルスクーター以外は殆ど売れないというマーケットのようだが、旅をする若者も、ツーリングに出る若者も減ったように思える。非常にもったいない事だ。私は今でも、もっともっと旅をしたかったと思っている。日本縦断をしても、北海道に20年、毎年必ず1度以上は訪れているといっても、まだまだ足らない。もっともっと旅をしたかった。そしてこれからももっと旅をしたいと思っている。
同じような思いを持っている旅人やバイク乗りはいる。そしてその中で私と出会う相手というのは、実は偶然の出会いではなく、必然だという持論を持つまでに至った。それは旅の中で出会うエピソードが、自然に確信に導いてくれた。
旅をしよう。相棒(信じられるバイク)と共に。
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世界に誇る名車(11台目)

yonkichi, · カテゴリー: バイク

1985年から北海道は開陽台にあがるという事が、旅のひとつの目的となった。
私のウェブサイトのテーマとなっている丘に吹く風、というのがまさにここでの日々の事だ。このテーマについては、何度書いても書き足りない程の思い入れがあるのも確かだ。そして、そんな事を、既に20年近く続けてきたが、昨年とうとう1度も丘に上がらないという年があった。
丘にはいろいろなテーマがあった。その中で、1986年に突如として駐車場の一角にレンガ色の建物が建った。それが、多くの人が開陽台に訪れると足を向ける、ハイジーの家という喫茶店の話も長くなる。
ハイジーの家は冬の間はお休みになる。その1シーズンのお疲れ会を兼ねて、閉店パーティなるものが毎年この建物で行われてきた。今でこそオーナーのかあさんの旦那さんが経営する工場でそれは変わらず行われているが、武佐サマに初雪が降る頃、その閉店に立ち会うべくこの時期だけ集まる旅人もいる。
展望台が新たになり、ハイジーの家が無くなるという話が、ある年常連のキャンパーの中で話題になり、それは事実とはちょっと違ったのだが、東京にいる皆で、これはいかねばなるまいという話になり、釧路行きの飛行機を取り、10月末に行ったこともあった。
そのあたりから、バイクで秋の道東を走りたくなった。しかし、その時期に1週間の休みはなかなか取れない。という事で、私が何十回も利用した航路、東京(有明)-釧路のフェリーに無人車でバイクを乗せ、釧路行きの飛行機で人間は移動し、釧路西港でバイクを引き取り、R272を通って丘にあがるというツーリングを考えた。
しかしフルサイズのバイクを持っていく必要はないし、小排気量車にも興味があった時期だったせいか、友人が乗っていたCT110やMD90、Cub90CUSTOMなど以前から気になっていたカブ系が欲しくなった。そうすれば、会社帰りに船に乗せ、会社帰りに引き取って帰る事ができる。
いろいろ考えた挙げ句、やはりクラッシックかつトラディショナルな現行モデルのデラックス、それも90ccのモデルである、Cub90DXを手に入れ、キャリア上にはポリカーボネイト製の割れにくいボックスをボルトで固定した。またリアサスにはレーシングショックを入れ、ミラーはラジカルミラーをつけてみた。
結果的に秋の北海道を2度、夏の北海道を1度カブで走った。アベレージが高い北海道の国道でも、しっかり流れに乗れるパフォーマンスを持ったCub90DXは、思いの外、大排気量やハイパワーに慣れた体でも楽しく旅をする事ができた。
この時は友人の結婚式が和琴で行われる前日。そう、忘れもしないハイジーの家が新展望台の中に入って初めての年、1995年の7月。
かあさんはいろいろ周辺で調整が続き疲れ果てていた。私はやっぱり新しくなった開陽台に馴染めず、本当は1泊していくつもりだったのだが、どうしても荷物を下ろす気になれなかった。そんな私をみて、かあさんはとても悲しそうだった。ごめん、と何度も謝った。自分の中の整理がつくのか、この時はわからなかった。
しかしその1カ月後、XR250Rで再訪した時に私は数日この丘で過ごした。その気持ちの変わりようは何だったのか。それは、やはり私と同じようにこの丘を愛する旅人の友人がこう言ったからだった。
「うん、やっぱりここはいい所だ」
そうなんだよ。やっぱりいい所なんだよ。武佐サマも、景色も変わらない。
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