おつかれさん
yonkichi, · カテゴリー: バイク由は私のパートナーであり、旅仲間でもあり、バイク仲間でもある。多くの旅の中で知り合った旅人の一人であり、その中で縁があって今こうして一緒に生活を共にしている。2年前にやってきた、くーという尻尾の立派なコーギー・ペンブロークと3人住まいだ。
由は元々神戸の出身で、大学時代に自転車に興味を持ち、何を思ったか突然北海道へサイクリングに出かけた。初めての旅は、由にとってはあまりに色々な事があったようだ。そして、和琴半島に辿りつき、一夏をそこでアルバイトをしながら過ごした。この時、和琴で出会った旅人は、今も付き合いを続けている。
和琴の夏、バイクで来ていた旅人の後ろに乗り、夜明けの摩周湖や知床なども走りまわり、ある日熊の湯で知り合ったとあるバイク乗りの女性に、由は声をかけた。
「私でもバイクに乗れるんでしょうか?」
彼女は、阪口エミコさん(現、シール・エミコさん)といい、当時モーターサイクリストで企画を持っておられ、熊の湯もその企画の取材で来ていた。エミコさんとは、その後私は地平線会議で初めてお会いするのだが、当時パートナーとして一緒に自転車で長い長い世界一周中の旅の途中、重い病気を患い、緊急帰国し闘病生活に入られていた。
無事回復され、今は元気にされているようで本当によかった。その彼女は由に、あなたでもバイクに乗れる、という事と言ってくれたようだ。由にとってはこのエミコさんからの一言が、バイクに乗るきっかけになった。エミコさんも当時の事はうっすらを憶えていて頂いておられた。私は地平線報告会でレポートを書く機会がある関係でお会いしたのだが、由とは改めてちゃんと再会をしたいと思いつつ、実現できていない。
由はその話を胸に神戸に戻り、中型自動二輪の免許を取り、SX200Rという当時では旅人バイクとして名高く、女性ではなかなか選ばないトレール車を手に入れ、北海道や四国や九州にツーリングに出かけた。よく転び、交通事故も1度経験し、ご両親は本当に心配されたようだ。
後にSXは和琴の知り合いの手に渡り、今は北海道の牧場で働いているとも聴く。由は、次にセローのセル付初期型に乗り換えた。これはフロントフォークを1cm突き出し、足つき性を改善し、リアキャリアやキックなども装着された旅人バイク仕様。私が由に最初に出会った天竜川の河口の砂浜で、由はスタックし、このセローを放置して歩いてキャンプ地にやってきたのだが、私が特にこれといった感情もなしに、和琴の友人なので放置されたセローをサルベージをしてきた。それが正式な由との出会いだったと思う。
このセローは他に、阪神大震災も経験した。由のご両親や親戚は、女のくせにバイクに乗って、というようにあまり喜ばしくない印象だったのだが、この震災で瓦礫や舗装が割れた道を走り回り、断水した親戚の家に、山の方で水を汲んできたペットボトルを配り、避難所でも力になっていた事で、トレール車に乗る由に対しては、とてつもなく力強く感じられたと後に聴いた。そう、バイクなんていう対して役にたたない乗り物が、緊急時にどれだけ威力を発揮するかを、身をもって実践したバイクでもあった。
私が東京から神戸に乗って行ったり、一緒に四国や北海道をツーリングしたり、ORPの全国オフミーティング会場だった岐阜の山の中で落ち合ったり、一緒に旅した思い出深いバイクだった。
由が東京にやってきてから、バイク2台でツーリングする回数は激減し、私としても都心のタクシーや違法駐車の多い道を由に走らせるのは正直避けたい事もあって、もっぱら車で出かける事が多くなった。私はというと、ささやかに夏だけはソロツーリングに出るので、何とか毎年乗ってはいたのだが、私が気がついた時にセローはエンジンをかける程度で、殆ど3年はまともに走っていなかった。
税金だけがかかり、既に昨年から自賠責も抜いてしまったセローを、どうしようかとは思っていた。ヤフオクで売ってしまう事も考えたが、まずは和琴の友人、ノリちゃんに乗って貰えないかと話をしたが、結局成立しなかった。ノリちゃんには、私のリアサスが抜けたXR250RJを譲った事があるのだが、今はもっと小さい200ccあたりに乗りたいという事だった。
しばらく忘れていた頃、友人のじみおからセローのエンジンを探しているという話が舞い込んできた。エンジンといわず、本体があるという事を返した後、実はそのエンジンを欲しがっていたのは開陽台の友人のjojo氏だった。
そして日程調整の後、今日朝から埼玉のガレージまで足を運んで貰った。
私は朝6時半に自宅を出て、jojo氏が来る10時頃までにバッテリーを充電しようと思ったのだが、外しておいたバッテリーが見つからない。またエンジンをかけようとフューエルコックを開けると、コック部分とキャブのドレーンからガソリンがボタボタ落ちてきた。シートやタンクを外し、コックを分解してみると、どうもパッキンがおかしいらしい。状況をjojo氏に伝え、バッテリとフューエルコックASSYを持参して頂く事にした。
現地にjojo氏が到着し、フューエルコックの交換とキャブの清掃を行ったが、ジェットがすっかりドロドロのガソリンで詰まっている事や、フロートが動作しない事で自走できない状況なのがわかった。彼はZ1100RやGPz750、VFR750などを所有する根っからのビックバイク乗りであり、古いバイクの手の入れ方を知っている。私はキャブなんかそうそう外す事はしたことがない。分解するにもはずれない部品が多数。キャブクリーナーやブレーキクリーナーを使いなんとか動くようになるまでに2時間弱かかってしまった。
アイドリングが不安定で、下が安定せずアフターファイアが出る状態だったが、なんとかjojo氏はセローを駆って葛飾まで帰っていった。見送る時に、ちょっとだけ心の中で「おつかれさん、気をつけてな。」と言ってみた。
由はこれで一旦バイクからおりる事になる。しかしまた機会をみて、復帰してもらう事を考えている。その時はもっと交通量が少なく、静かな場所に引っ越したあとになるだろう。私もそういう環境に住めるようになったら、大排気量のバイクを復活させたい。今は、オフ車で充分だし、しょっちゅう乗る事もできないのはよく分かっている。だけど、由も私もバイクを降りたなんて、これっぽっちも思っていない。
由をいろんな場所に連れていってくれてありがとう。私と出会わせてくれて、ありがとう。これからは旅の友人の手元に渡って新しい生活が始まると思うけど、元気にやってくれ。放置していた私が言うのも何だが、思い出深い相棒であったのは確かなのだから。
写真はとりあえず自走できる状態になった姿のセロー。おつかれさん。