丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

葉の色づく頃

yonkichi, · カテゴリー: バイク

毎朝今シーズン冷え込み記録が更新されているらしい。通勤の時に聴いているJ-WAVEで知らされる。まだ夜が明ける前に起きてきて、ほんの30分準備やら何やらをしているうちに空は白んでくる。
この季節になると、雲の少ない高い空が段々と鮮やかに色が変わってくるのが見れる事と、どう考えても綺麗ではない大都会の空気でさえ、少しは爽やかに感じられる。ただ眠くて寒くて、布団から出るのが日増しに億劫になってくる。その勢いで休んでしまう事もこれからの季節、月に1度くらいはあるだろう。
社会人になってから5年間連続で、11月の上旬に標高1600m程度の林間で数日のキャンプをしていた。風呂に入ったあと、ちょっとロープに干しておいたタオルが干された形状のまま、氷ついている事もある気温だ。夜は焚火にあたりつつ、年を重ねるごとにメンバーも増え、装備もキャンプといいつつも、巨大な鍋などが増えて、それでも必ず林道を抜けてその地でジャムっていた。
斜面の中、少しでもフラットな所にテントを張る訳だが、白樺林の中なので、ちょっとした貸し切り気分になれるサイトで、見上げると空はあまりよく見えないが、それでも枝や葉の間から、星がきらめいていた。ささやかな楽しみだった。職場の人に話をしても通じない遊びだ。でも会社の中には、結構バイク乗りが居て、キャンプに興味をもち始めた友人が居たのだが、9割以上完全にバイクを降り、キャンプなんかしなくなってしまった。確かに当時はブームだとも言えたので、そういう時期だったのかもしれない。
ブームを越えて、今同じ遊びをしている連中は、やっぱり同じなようで、一風変わっている。普通に見えて、普通の遊びにはあまり興味を示さない。面白いもので、やっぱり久しぶりに会っても、髪に白いものが混じっていたり、太ったり、子供ができたりしていても、あまり変わっていない。皆それなりに生活している訳だから、時代に取り残されている訳ではないのだろうが、でもやっぱり筋の通った変わり者はそういう匂いがするようだ。
私もバイクには殆ど乗らなくなってしまったが、でもまた来年はバイクで旅をするだろう。若い頃はバイクに乗っている事にこだわり、乗らない人とは話題も換え、降りてしまった者はよい目で見なかったりした。しかし人それぞれの乗り方がある訳で、それは決められたものではない。
誰にみせるものではない。誰かに言われてする事でもない。自分が決めるまでだ。そう思える歳になったとも言える。
今日電車の窓の外を、看板を背負ったGPz900Rが抜いていった。Kの方でもZの方でもなかったようだが、背中から感じるものが、私にも伝わってきたような気がした。看板を背負って走る事は、カッコいいからするのではない。根底にあるのはヘルズ・エンジュエルスの精神なのだろうが、見えない看板を持っている者も沢山いるだろう。ただ悲しいかな、以前はよく街中を元気よく駆け抜けていく姿を見かけていた彼らを、最近とんと見なくなってしまった。
ロング・ライダーズ。まだ当分、バイクで旅に出られるだろう。落ち葉の敷きつめられた道を走り抜け、舞い上がる紅葉した葉がそれを知っている。
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うなされて浮かぶもの

yonkichi, · カテゴリー: バイク

流石に39.2度まで株式市場の大商いのように盛り上がった熱は、そう簡単に下がる事もないので、今日も相当へこんだまま、なんとかノルマをこなした。熱をはかると随分下がってきているが、また明日盛り上がらなければいいが…
という事で昔の話。何だか段々と露出する事が多くなってきたが…昔の写真ならよいだろうかと思ってみる。眼鏡も今はセルフレームではないし、髪の毛の白髪もないし…熱もある事なので、こんな写真を載せてみる。あとで後悔する可能性大だが…。
土曜にツーリング?をしている旧車のオジサンをみかけてから、やっぱり頭の片隅に大きいバイクでのツーリングを思い出してしまう。熱にうなされているせいか、走っている時の些細な出来事も思い出したりしつつ、頭の中はまったく熱のせいで整理がつかないような感じだ。
GPz900Rに乗る前、というか同じ時期にこの750を所有していたのだが、以前も描いた通り、私はこのカタナに大いなる魅力を感じている。別にマンガで有名になったからではなく、この重くて遅くてアメリカンのようなディメンションのこのバイクは、色々時代を映すストーリーがある。
認可されなかったクリップオンハンドルや、カウルとは言えないがこれまた認可されなかったスクリーン、そして何より前モデルのGSX750E(1100E)とまったく同じフレームで、殆ど独創的なハンス・ムートのライトカウル、タンク、サイドカバー、シート、リアライトカバーだけが乗っかっただけという、パーツリストを手に入れてからあまりに赤ベコとの共通部品の多さに驚いたものである。
写真から少しだけ判るが、ニッシンのタンク別体ブレーキマスターや、初期型750には認められていなかったスクリーン(縁取りされたラバーは取り外してある)、シビック用のウィンカー、ライト下の整流板、グッドリッジのメッシュホースはANDFも生かしてある。フォークスタビライザーやデザインは一緒だがサイズが違う1100用のホイールなど、実にどうでもいいこだわりが施されている。
どんなに引っ張っても200km/hに達しないエンジンは、ほぼノーマル。キャブのオーバーホールだけのエンジンは、やはり当時の美しい空冷フィンや腰下部分の飛び出しが迫力のあるものだ。空冷エンジン、そして「ナナハン」がらしさを主張していたのは、このエンジン部分が殆どではないかと思う。CB750Fにしても、真上からみるとガソリンタンクよりも幅があり、カムカバーが存在感を主張していた。当時のエンジンの美しさというのは、隠さず見せる部分にもあったのではないだろうか。
古い友人の中では、カワサキ派と言われていた私だが、メーカーにこだわりはあまりない。GPz900Rでナナハンとリッターバイクの壁を一気に越えてしまったのだが、しばらくこのカタナと同時期に所有していた。その理由はまったく違った乗り味と乗って楽しいと思えるバイクだったからだ。
当時まだ20代中盤。バイクで旅する事がライフスタイルだという為には、当然限定解除を持っていなければと思い、免許取得前にGPz900Rを購入するが、友人から納車前にカタナを譲り受けてしまった。私のビックバイクライフはこのカタナから始まる。
激しいカスタムが施されたカタナも、嫌いではない。しかし、ノーマルと見間違うスタイルで、実はちょっと違うというようなカスタムの方が好きだ。このカタナもそのコンセプト通りに仕上がっている。
こういうバイクを休日にみかけると、妙に嬉しくなってしまう。ただみかけるだけでなく、できれば元気に走っていて欲しい。おお、と思わず声を出してしまうように…
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ツーリング風景

yonkichi, · カテゴリー: バイク

週末、キャンプにでかけた。
10時に上信越道の横川SAに集合という、私たちにしてはゆっくりのスケジュールだったのだが、都会生活者の性というものだろうか、渋滞嫌いな私は6時に出発、といいたい所だが、ダレてしまい6時半に出発となった。
JATICの情報では、関越に乗る前に混雑がある程度で、今の所ルート上はクリア。途中関越に乗る直前で大型バイクが10数台待ち合わせをしているのか、それっぽい姿をしたバイク乗りが目立った。ラッキーな事に混雑もなく、関越に乗る。ETCゲートを潜り、本線に入る。料金所手前でも多くのグループツーリングの待ち合わせ姿があった。
一気に横川まで行ってしまうとどうみても時間は1時間半以上あいてしまう。その為順調に外環合流、三芳PA付近と渋滞ポイントをパスできたので、ドッグランがるという高坂SAへ入る。ここにも多くのグループのバイク乗りが沢山いた。しかしソロは殆どみかけない。なんでだろう。
バイクはざっと見回しても50台以上。その1/3はカローラ以上の価格のBMWだ。そして他の1/3はビックバイク。ライディングウェアも最近はお洒落になったのか、殆どがレザーで、聴いたことのあるブランドマークが付いている。私の時代であれば、せいぜいラフ&ロード、ちょっとグレードがあがってクシタニが正統派で、KISSやらNANKAIみたいな、ちょっとセンス的に好みではないウェアもよくみかけた。
そんな中、おやと思った人が数名。ソロっぽく感じた人で、マッハIII、そして別の所でCB750K0あたりのOHC 4本マフラーのマシンに乗る年配の人。どれも綺麗に磨きあげられていて、ずっと乗っていたのか、あとから手に入れてレストアし、磨き上げたのかわからないが、私の乗り始めた時代よりも前のバイク達だ。
高坂SAの、斜面を強引に囲い、飼い主が犬の糞を取ったりする時に転びそうな斜面に椅子まであるのだが、これはちょっと整地してからではないと無理ではないかと思えるドッグランで少し遊ばせ、ホットドッグの朝食を食べたあと、SAをあとにした。
上信越道の分岐の手前、さっきの綺麗なマッハIIIが追い越し車線を勢いよく抜いていった。速度的には200km/hも出ていないだろう。その後ろをピッタリとニンジャGPz900Rがついていく。思わずニヤリとしてしまったが、いくらなんでも追う方が有利な車種なので、逆なら面白かったのに、と思ったりするのは、まだ血が騒ぐ自分を感じたせいだろうか。
アクセルを踏めば免許取り立てでも200km/h以上の速度を、エアコンを効かせ、カーステレオを聴きながら出せる最新のスポーツカー達が同じような事をしているのではない。単にまっすぐ走る事すら神経を尖らせ、ものすごい振動とロードノイズと風切音の中、ヘルメットで囲まれた狭い視野の中で走る事に、何の価値があるのか。
それは乗って見たものでなければわからない。ふた昔前のGPz900Rですら、楽にその速度域で走る事ができる時代、どんなに頑張っても200km/hの時代のバイクでそういう事をする人は、やはりネジ者なのかもしれない。速度という数字ではない。その車種での最大の速度というのは、自分との戦いだから。
私の今の相棒、DJEBELで平均100km/h以上で走るようなものと似ている。何より荷物をフルで積載していると、120km/h程度しか出ないのだから。
そして、待ち合わせの横川SAに、集合時間の1時間前に到着した。
写真はそんなコトをやっていた頃のもの。新しい世界を見させてくれた、GPz900R A7改。筑波サーキット裏で。401モデルのフルスケールメーターを振り切る実力があったが、既に実メーターで320km/hが刻まれたZZ-R1100にフラッグシップを譲っていた時代、10年近く前のモデルが動力性能で叶う訳がないのだが、私が好きだったこの車種で、私は走りたかった。
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