丘に吹く風

時には地を這うように、時にはささやくように

料理のできる人

yonkichi, · カテゴリー: バイク

とある平日の夜、女性タレントが料理の腕を競うバラエティ番組を見た。以前時間帯が別だった頃に結構面白くてみた記憶があるが、最近はこの時間に帰ってこれるかどうかわからないので、久しぶりだった。
ジャニーズのTOKIOが出た時は、好きな番組のひとつ鉄腕DASHで彼らの料理の腕は相当だろうと思っていたのだが、実際やってみるとその番組が本当に彼らがやっていたのかが怪しい程だった。ただ確かにその中で料理といえば出てくる2人は、手順をみてもこれは経験がある人だなというのが分かった。
料理というと、以前は女性が本領発揮というものだったのだろうが、実際料理屋に行っても厨房で働くのは男の方が多い。家庭で好きでもないのに台所に立って料理をしなければならない、いわゆる専業主婦は、いつしか義務という言葉で苦しんでいる事が日常になってしまったのではないだろうか。
私は小学生の頃から鍵ッ子だったので、自分で台所に立つ事は少なくなかった。それは自分が腹が減ったから作る、というこれもひとつの必然であり、誰から言われてやった訳ではない。その部分に大きな違いがあるのかもしれない。ちなみに由は掃除も洗濯も工作も好きだが、料理だけは嫌いなのだ。
平日の多くは仕方なく台所に立って夕食を作ってくれる。別に下手な訳ではない。料理の本を手に、その通りに作るというのが由のスタイルで、私のようにあるものを適当に入れてするメニューは出てこない。私の場合はカレーに大根やカボチャが入っている事があるのだが、由のカレーにはそういうものは入っていない。
そのテレビ番組の女性タレントは、殆どがテレビの絵的に盛り上がる為か、一般的に料理をした事がないというのを連れてくる。ある意味可哀相なのだが、そんな中で料理上手という女性も当然居る。まさかこの人がと思っていたらとても気配りのある料理を作る事ができる人だったり、想像を絶する料理方法で作る人も居た。それはそれで面白おかしく観る事ができる。
ただ私はいつも思うのだが、とてもよい食材を使っているのに、とても勿体ない料理のしかたをされる事が多い事が残念だ。その価値だけでなく、生き物であったり、食べ物である価値のあるものを、あまりにも粗雑に扱う場面が許せないのだ。
心が狭いと言われるかもしれないが、やっぱり見ていて気持ちのよい番組がよい。一生懸命料理する姿はとてもよいのだが、甘えた料理の仕方をしている人をみると、少々腹が立つ。そしてそういう人が居た方がテレビとしても面白い訳で、それがまたわざとらしくて気に入らない。もっと素直に料理番組を作れないものなのだろか。
と愚痴のようなものになってしまったが、本題は別にある。その女性陣と対決するグループとして、あの石原プロのメンバーが出演した時だ。西部警察のシーンが流れ、私は懐かしく思った。私は結構好きで見ていたのだ。そしてその中にあの両方のバックミラーのない、明らかに違法の黒バイ、カタナ1100が出てきた。そのあと、石原プロの倉庫のシーンが出て、そこに実車があったのには驚いた。ちゃんととってあったのだ。
カタナといえば銀というイメージだったのだが、私にとってのカタナは黒。真似たといえばそれまでだが、シリンダーヘッドがガソリンタンクの幅を越えて張り出している当時の空冷エンジンは素晴らしく迫力があった。そしてあのデザイン。私の中の永遠の1台だ。
他にもスポンサーを受けていたスズキ車が何台が見えた。黒一色のGSX-R1100、GS650G、そして車は日産車ばかりなのだが、壮観だった。
石原プロのメンバーは、社長を含め料理の腕は本物だった。若いタレントは名前すら知らないだけでなく、やはり料理の腕はまったく望めず、逆に熟練の俳優達は殆どみな料理の腕は素晴らしかった。芸能人というのはこういう事を言うのではないかと思ったりもした。顔やスタイルがいいだけではだめなのだ。中身もある者がやはり本物なのではないだろうか。
写真は昔乗っていた750カタナを開陽台付近で撮影。前にも書いたが、エンジン以外は全て1100で、オールペンとレザー張り替えをして、元が2万のバイクが総額15万程でこのようになった。
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やっぱり好きなXR

yonkichi, · カテゴリー: バイク

こんなに体中が痛いという、お粗末な状況なのだが、なぜかバイクに乗りたい。きっとそれは春の兆しが明らかに感じられるからだ。そうに違いない。
会社帰りは雪でも降りそうな真っ黒い雲が職場周辺を覆い、突き刺さるような寒さの風が吹き荒れていた。まるで2月に戻ってしまったような感じさえするのだが、春らしく寒くなったり暖かくなったりと、一進一退をしながら季節は変わっていく。
昨日は帯広公害の中札内で記録的な積雪があったようだ。斜里でも結構降ったようだ。北海道もきっと冬と春を行ったり来たりしながら、着実に季節の移り変わりが進んでいくのだろう。
なぜかオフロードバイクに目がいく。最近街中で走っているオフ車は、殆どモタードと言われるオンロードの小径タイヤが装着されている。サイレンサーも結構な確率で交換されている。そしてまたかなりの確率で半キャップを被っている乗り手なのだが、たまにちゃんとしたヘルメットを被っている乗り手もいる。そういうのは乗り方自体が完全に違う。
そういう姿を見ると、動かしてやっていない私の愛車、DJEBEL250XCが不憫でならない。4月いっぱいまでは何かと忙しいのだが、5月あたりになったらメンテナンスをしてやろうかと思っている。ただ気になるのは、手がかかるバイクという事。バッテリはもう確実に買い換えなければならないだろう。何かとお金がかかる車種だ。
それと同時に、できれば程度のよいXRが見つかれば乗り換えたいとも思っている。ヤフオクを見たり、中古バイクサイトを見ては、なかなかそそられる車種がなくて諦めているという状況なのだが、実際これだと思える車種なんかあるわけがない。私の欲しいXRは10年ほど前のモデルだからだ。当然、ネットで探したって程度がよいかどうかなんてわからない。
硬いピレリMT21を履かせて、バッテリーレスの市販レーサー。自分にあっているのはやはりこの車種なんではないだろうか。
写真は依然乗っていたXR250RJ。友人のセロー(現在も現役)と一緒に、フェリーの乗船を待つ朝。
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コーナーの向こう側へ

yonkichi, · カテゴリー: バイク

というタイトルでも、山川健一氏の著書の事ではない。
我が家の近くに、ちょっとした起伏のある道がある。
箱根山地区と言われるちょっと高台。昔軍事施設があったようで、私が小学校、中学校時代は、とても広大な森に見え、少々不気味な雰囲気さえあった。今ではすっかり散歩コースや通勤コースになっている。
私はバスを行きとはちょっと違う、手前で降りて、街灯の少ないカーブと坂が続く細い道を下り、朝とは別の方向から家に帰る事が多い。徒歩で15分程の道のりだ。
このコーナーはブラインドになっている所も、S字カーブもあり、それがフラットではなく勾配がついている。抜け道としてタクシーやトラックが飛ばしていくのだが、一応歩道とはしっかりガードレールで分けられているので安全ではある。途中1つだけ信号のある横断歩道があるのだが、押しボタン式である事と、車が来なければ赤信号で渡ってしまう人しかいないので、めったに赤にならない。
ここをバイクで何度も走った事があるのだが、なぜか攻めるとまではいかないが、ちょっとだけキビキビしたコーナリングをしてしまう。別に必要性はまったくないのだが、そこはバイクに乗っている人間の性なのかもしれない。深いカーブ手前のS字では、筑波サーキットのS字を駆け抜ける平忠彦よろしく、逆の重心をかけたまま切り返したりしてしまう。
夜は特に街灯の部分だけしか飛ばしていると見えない。しかし山道を走るように、点々と間隔をおいて立っている街灯下の道路だけが、ぼんやりと照らされている中を、ストロボに照らされるように、街灯と街灯の間の暗闇と、照らされた明かりの続く真っ暗な道を駆け抜ける。
アスファルトは街灯に照らされ、光っている。そんな道をみていると、ツーリングの帰り、日が暮れた奥多摩や秩父の山の中を、飛ばしている自分を思い出してしまう。デジャヴ、とまではいかないが、真っ暗な世界に、曲がりくねった道を照らすように等間隔で並ぶ街灯の明かりは、独特の世界ではないだろうか。
普段の会社への行き帰りの中に、そんな事を感じさせる道が1本あるという事は、ちょっと嬉しい事だ。バスを使う事で、バックパックを背負い、郊外のバスで移動しているような気分もあって、少しだけ気分転換になるのは、時間こそ早く到着するが、山手線ですし詰めにされながら帰るよりははるかに気分的によい。
たまにそんな事を思っている時に、スロットルとギアをうまくあわせながら美しく走り抜けるバイク乗りをみると、もっと嬉しくなってしまう訳で…
写真は随分昔、旅先で撮影する為に移動中の1シーン。あまり意味はない。
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